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自分を動かす力

行動力があるとかないとかいうけど、なにを基準にしてそのようにいわれているのかしらとふと考えた。それに行動力があるとはどういう行動を指しているのか。

おそれを知らず何事においてもチャレンジするひととか、思い立ったら即行動するひととか、そういうひとたちは行動力が「ある」方のグループに入るんだろうか。そして、それとは逆の傾向があるひとが行動力が「ない」方に振り分けられるんだろうか。

あるいは自分の意志による行動が多いのか、ひとに指示されて動くような受動的な行動が多いのか。でも、指示によるものであろうが、常に動いているのなら行動力があるとも言えるし(言われても動かないひともいる)。

わたしは30代の頃に外国に渡って仕事をしていたことがある。会社から派遣されたんじゃなくて、いわゆる現地採用だった。
その国で使われている言語もできないし、しかも旅行などで行ったことすらないのに、よくもまあ行ったなあと思う。
最初の半年くらいはつらくてつらくて、日本に帰って変化のない生活がしたい(つらくなると変化のない生活を求める癖は今も変わらない)と思っていたけど、仕事もおもしろかったし生活もしやすかったから、結局3年半その国にいた。

実際に外国に行く前もなんとなくどこかほかの国、とくに台湾に住みたいなと思っていた。だけど、それほど熱心に情報収集してたわけでもなく、たまたま転職を考えた際に海外勤務も含めて検索していたら、自分の経験にマッチするものがあって採用されたというわけだった。
あちらで知り合った現地採用のひとたちは、この国に彼氏・彼女がいるという理由で来たひとが比較的多かった。そういった動機に動かされて彼らは異国まで来ていた。

有給休暇をたった1日取ることすらもじもじしてできないようなひとが、一人でぴゅーっと海外旅行に、有給を何日も取って行ってしまう(コロナの前ね)。
掃除はぐずぐずしてなかなかできないけど、料理となるとすくっと立ち上がってちゃっちゃっと作るひととか(わたしはその逆)。
仕事ではリーダーシップを発揮してがしがし切り込んでいくひとが、プライベートではママ友・パパ友とうまくコミュニケーション取れなかったりとか。

ひとが動く原動力となるものはそれぞれちがうと思う。動け動けというが、当人にとって今ひとつ動く理由にならないものに対して動くことはできないんじゃなかろうか。
逆に動かないでおこうとおもっても、それが自分の原動力となるものだったら、ある程度の危険をおかしても、ひとはやらずにはいられないんじゃないだろうか。もちろん大人であれば、身上食いつぶさないような保険はかけつつだけど。

わたし今でも外国に住みたいとうっすらと思う。理由はわからない。単なるあこがれか、または生活に飽きているだけか。
たぶん外国に住むことも、その魅力が強ければ原動力となるのだけど、外国の魅力よりも現状維持のほうが魅力的になっちゃっているのだと思う。
そんなことよりも、ここ数ヶ月わたしはまったく動いていない。だけど、今少し原動力が盛り返してきたことがあるので、よきタイミングでちょっとずつ動いてみたい。ひとと一緒にやるのは自分には合わないことがわかったので、あくまでも一人で、できる範囲で失敗上等くらいの気持ちでちょびちょびと。

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