ビジョンに向かう守破離

 自分のためにできるこなんてたかがしてれる。
私も、ひとりぐらしの頃なんてお湯を沸かすのすらめんどくさがったけど、家族のためなら魚を釣ってさばくことだって厭わないし、お客さまのためなら結構な面倒ごとも引き受ける。

やはり人は人のために生きるからこそ生きがいを感じるものだな、っていうのは、オトナになっていろんな人と共に手を取り合って生活するから初めてわかってくるものなのですね。

そんなことを言うのは私だけではなく、凡事徹底を追求される名経営者であられる鍵山秀三郎さんもこう仰います。
「自分を守ると弱くなる。反対に自分以外の人を守ろうとしたとき、見違えるほど強くなる」

まさにそうだ。

「誰かのために」を発揮する思いにはじまり、そうした利他の精神から、企業を公器である、との精神ができあがってきたとき、ようやく自らも燃え立ち、周りからも認められるビジョンが培われるんじゃないかな、って感じるようになりました。

儲けや自分の食い扶持ばかりに目が向いているうちは、夢は小さく、ビジョンも共感を呼ばないのではないのでしょうね。でもそんなの当たり前か。

確かに、誰かのために本気だな!と感じさせられる理念やビジョンは心を打ちます。有名すぎるけど、「技術者の自由闊達なる理想工場」なんてのはやはりぐっときます。

ところでこうしたビジョンができるプロセスって、なんだか「芸」の磨かれるプロセスとして有名なあの「守破離」のプロセスに見えてきました。

<守> 自分のために稼ぐ
 ↓    ↓
<破> 誰かのために働く
 ↓    ↓
<離> 社会を変えるビジョン

変容し、模索しながら、かがやかしいビジョンができあがる様子が見て取れるように感じるのは僕だけですかね。

ビジョンこそが今の日本企業にもっともたいせつだ、とうたわれる江上隆夫氏が、著書の中でこう仰るのにひかれました。

「高い倫理性と利益を還元する仕組みを持った企業、つまり「私たちは公器である」という公共的な意識を持った企業が、二十一世紀半ばから主流になる」

こうした信念をもつ方々や企業さんたちと歩みを共にしていけたら、そんな幸せなことはありません。僕はいまようやく<破>だろうか。誰にたいしても胸張って語れるところへ<離>れていきたいもんだ。

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