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「ゲストハウス思い出ノート」~ぼちぼち三十路女子の旅の話と身の上話~

初めまして。なかなか思い通りに旅ができない日々ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

以前お世話になったゲストハウスのFacebookページで、この「ゲストハウス思い出ノート」の企画を拝見すると同時にいろいろな記憶が蘇り、思い切って参加してみることにしました。
これまでの旅の話、そして人生の岐路になった旅人との出会いの話などをつらつらと書かせてもらおうと思います。
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私が旅を始めたのは大学2回生のとき。猛暑の中クーラーもない自室ではかどらないテスト勉強をしていたときに、「うぉぉ~夏じゃぁ~~~!!!」と思える、今風に言うと(多分)「エモい」体験をしてみたいという思い付き(というか半分暴挙)で夏の一人旅を企画したことから始まる。
そのときはまだ「ゲストハウス」というものを知らず、旅好きだった母からの勧めもあり、とあるユースホステルに宿泊した。道中のローカル線から見える里山の風景に心奪われ、ユースホステルの企画で、お盆終わりに船から海へ灯篭を流すボランティアをしながら花火を見る、という体験に参加し、自分の中での「夏を感じる思い出」は満点。その上で、夜にゲストの皆さんと歓談したり、翌日ノープランの私に「バスがあるから、隣町の舟屋を見に行こうよ!」と提案してくれたゲストさんに乗っかってバスに乗った先で、どんな形容詞をつけても足りないくらい感動した舟屋の風景に出会えたり、ゲストさんとの交流によって大切な思い出ができたことで、私はすっかり一人旅の虜になってしまった。

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それ以来、大学生のうちは長期休暇になる度に、社会人になってからは連休がある度に、今度はどの路線に乗って、どこに行こうか、どんな宿に泊まろうか…とそんなことばかり考えるようになった。(余談ではあるが、私の家族は男3人全員が結構重度な鉄道マニアで、残った母もその影響か鉄道偏差値では60に近い50後半ぐらいの知識を持ち合わせている。ついでに父の弟である叔父ももちろん鉄道が大好き。というわけで遺伝子に鉄道マニアの要素が組み込まれているらしく、私がローカル線に乗ってどこかにふらふらと出かけるようになるのは必然だったようだ。)

前述の通り、きっかけはユースホステルだったのだが、あるときどこかの宿で「ゲストハウスの方が若向けだよ!」と聞き、確かに同年代とも交流したいな…と調べ始めたのがゲストハウスである。

そしてこれまで、ゲストハウスで様々な年代、職種、バックグラウンドの人たちとの貴重な出会いを経験させてもらった。確かにゲストハウスでは10代の大学生~20代後半くらい、私にとっては年の差プラスマイナス5歳くらいの人と出会うことも多く、一緒に過ごしたのはせいぜい1泊か2泊かそこらなのに、妙にウマが合って連絡先を交換し、出会ってから数年経った今でも交流している大切な友人もいる。

ゲストハウスで出会う人とは大半が初めて同士、基本的にホームもアウェーも存在しない。そして数日以内には別れが訪れる。そんなある意味行きずりのような関係が人の心を開放し、普段は表に出すのが少し恥ずかしいような自分の素の部分も含めてさらけ出すことで、ゲスト同士がたった数日で昔から知っているような間柄になるのかもしれない。そして、『ホントの私、デビュー♪』ではないけれど、「自分らしくいられる時間」みたいなものが心地よくて、人はゲストハウスに集うのかもしれない。(あくまで個人的な感覚ではあるが…とにかく私はゲストハウスに行くと普段の生活の5倍ぐらいしゃべる。そしてそういう人、多くないですか?笑)

この「旅先だと何か大丈夫な気がして思い切りが良くなる現象」がもたらしたものなのだろうか、私は旅を通して、ひとつの大きな人生の岐路となる出来事を経験した。
旅先で出会った人が生涯の伴侶になったのである。

初対面はとある湖の近くにあるゲストハウスだった。湖畔では遅めの桜が咲き誇る季節、数か月前の大雪の時期に私は初めてその地を訪れ、最寄り駅にたどり着くまでのローカル線からの景色や「ただいま!」と言いたくなるような宿の温かさ、ゲストさんとのおしゃべり、そして同世代の宿のスタッフさんとの交流で、すっかりその宿にハマってしまっていた。
連休を利用して数泊し、その2泊目だっただろうか、鉄道業に従事するお兄さんとその友人という男性二人組と泊まり合わせた。
まだ私が乗ったことのないローカル線の車掌さんだったお兄さんに、私は
「鉄道マンってどういう経路で就職される方が多いんですか?」
「夜勤とかどれくらいあるんですか?」
「18きっぷの時期にお客さんが増えるのって正直迷惑ですか?笑」
などなど、日ごろ鉄道マニアとして気になることを根掘り葉掘り聞いたような気がする。
その夜は他のゲストさんもさほど多くなく、スタッフさんも含め総勢5人ほどで一緒にご飯をつくり、食後はやたらと大富豪で盛り上がった。そして翌日は、お兄さんのスポーツカーにゲスト皆が乗り合わせ、近くの山に行き、湖と緑が広がる雄大な景色を眺めた。お昼はトンデモナイ量のご飯が出てくる地元の定食屋で、フードファイターのようなゲストさんに白ご飯とカツを少し引き取ってもらいながらカレーを食べ、楽しかったです!ありがとうございました!でお別れ。

…つまり、初対面は通常のゲストハウスでの交流と何ら変わらない。
一昔前であればその場で終了。楽しかった思い出だけを持ち帰るところである。しかし、まあこの辺が良くも悪くも時代というもので、Facebookを利用していればゲストハウス好きなんていうのは「共通の共通の共通の共通の友人」ぐらいまでいけばすぐにつながってしまう。恐らくそのつながりで居合わせた別のゲストさんから申請が来て、芋づる式にお兄さんとも友達になっていたのだと思う。

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そこからまた数か月が経ち、お兄さんと別のゲストハウスで再会した。一度会っていることもありえらく意気投合し、その後も連絡を取り合うようになった。なんだかんだ紆余曲折はあるのだけれど(笑)、そんなこんなで私が当時住んでいた関西地方と、お兄さんの勤務地である東海地方での遠距離恋愛が始まった。

私の中で「旅先の宿で交際相手を見つける」なーんてのは現実にあり得ることでも、自分にはまず縁がないというか、もっと華やかで笑顔がかわいいような明るい女の子に似合うロマンスなのだと思っていた。それが自分に舞い降りてきた訳で、恐らくそこには、初対面のときの「せっかくやしいろいろお仕事のことを聞いてみたい」という好奇心や、再会した時の「改めて話したら楽しいしめっちゃいい人やん!今日ぐらいは思いっきりしゃべればいいやーどんな印象持たれても多分もうそれっきりやしな~」という妙な思い切りの良さが働いた結果なのではと今となって思う。「ゲストハウスマジック」というと語弊があるかもしれないが、自分の中で考えすぎずにのびのびと過ごせるというゲストハウスの環境により、私はこんな形で自分の未来をつくることができたのである。

交際期間中も、よく旅のようなことをした。もちろん一緒にゲストハウスにも行ったし、あまり知られていないようなディープな飲み屋街をはしごしたりもした。そうこうしているうちに交際から3年が近づき、そろそろお互いに「年ごろ」かな~という話もしていた頃、出会ったゲストハウスの近くにある、これまたお互いに通い詰めていたゲストハウスに連休を利用して一緒に行こうか、ということになった。

何度も乗ったローカル線でお馴染みの宿へ。古民家であるその宿では、縁側から四季折々様々な自然の厳しくも美しい姿を見ることができる。季節は秋。連休ということもあり、集まったたくさんのゲストさんとおしゃべりに花を咲かせながら、稲刈りしたり、流しそうめんをしたり、バーベキューをしたり、温泉に入ったり、またお兄さんと出会ったゲストハウスの当時のスタッフさんと久々に再会してテンションが上がったり、心の充電になるような濃密で楽しい時間を過ごしていた。

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そして連休最終日。朝食が終わりそれぞれがのんびりと旅の終わりを名残惜しんでいるような頃。宿のスタッフさんから「皆で縁側で記念写真撮るよー!」」と声がかかった。
(ん?今までそんなことなかったけど…今日は人がたくさんいるからかな)
何となく不思議に思いながら自分もカメラを持って縁側へ。
皆わらわらと集まってきたけれどなぜかそこにお兄さんの姿はなく、「あれ?一人いない?」とスタッフさん。「多分二度寝してるんですよ。」と私。
そこに、さっきまでTシャツ+ジャージという寝間着姿だったお兄さんがジャケットを着て出てきた。なんか珍しい恰好してるね?今日帰りに職場寄るとか言ってた??

どうやら空気が違うと察し、「皆下がって~」というスタッフさんの言葉に一斉に下がるゲストさん。「いや、あなたは下がっちゃダメやん!カメラ置いて!」と縁側の前に一人引っ張り出される私。ナンデスカコレハ?

「このゲストハウスの縁側を借りて、一つ言いたいことがあります!」

あぁ…なるほど…つまりは…その…よくキャピキャピした女子たちがシチュエーションを妄想して盛り上がるやつ…え??????????何か黒い小さい箱出てきた?私アクセサリーなんて貰い物以外ほぼ持ってないよ?

「僕と、結婚してください!」

えええええええええええええええええええええええええええええええ

ゲストハウスで出会ったちょっと背が低くて足が短くてゆるい空気の優しいお兄さんは、二人にとってお馴染みの場所のいつもの景色を背景に、(一昨日出会ったばかりの方々に見守られながら)一世一代の思いを伝えてくれたのだった。
そしてゲストハウスは、こんな旅先のみHPと口数が5倍になるような地味な陰キャラ鉄道マニア女に、それまでの人生で絶頂とも言えるような素敵な瞬間を提供してくれた。

しかし私はそのとき、「きゃ~~~~!!やばーーーーーい!!」と嬌声をあげるでもなく、「あ、ありがとう、うっうっ…」と感動して号泣するでもなく、完全に固まってしまい、普段の声量の5分の1ぐらいの声で「よ、よろしくお願いします…。」とぺこぺこするのが精いっぱいだった。
(せっかく動画を撮影してくれていたスタッフさんの撮れ高が随分と残念なものになってしまったことをここでお詫びしたい。)

そしてふと我に返り、一昨日会ったばかりのゲストさんたちの方を見た。すると、何とまあ思いのほか温かい空気が広がっており、同年代の女性ゲストさんには涙ぐんでいる人もいて、この世界は私に優しくできているのね何の徳も積んでないのになんで?と思ったことをよく覚えている。
居合わせたゲストさんたちの優しさも、この瞬間を彩ってくれた。

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それからもうすぐ3年。入籍と同時に私はお兄さんが働く山間の観光地の町に移住し、現在新しい仕事に励みながら田舎生活を満喫している。この町にはゲストハウスがたくさんあり、ご近所さんのように親しくさせてもらっているゲストハウスのオーナー夫婦もいる。こんな時勢になる前は、国内外からたくさんの旅人がこの地を訪れ、おいしい空気や雄大な山の景色、温泉、お酒、古い町並みなどを楽しんでいた。都会から旅をする立場から、都会の人たちを迎える立場になった気分である。もちろん、これからもまだまだいろいろな旅先やゲストハウスを訪れたいけれど。

そんな私は、万事うまくいけば、今冬母になる。
まだ見ぬ我が子がどんなものを好み、どんな人生を歩むのか想像もつかないけれど、本人の意向に関わらず、それなりの低年齢でゲストハウスデビューを果たすであろうことは容易に想像できる。
夫からは「あんまり重度の鉄道マニアには育てないでくれ…」と残念ながら釘を刺されてしまったが、旅というものは、ゲストハウスというものは、視野を広げ人生を豊かにするエッセンスになるよ、少なくともお母さんはゲストハウスに行って人が好きになれたよ、そんなことを何かの折を見て伝えられればな、と思っている。

そういえば、旅を通じて、印象に残っている言葉がある。
旅を始めた最初の数年、宿ではいつも最年少、チヤホヤされっぱなしの私が「なんかすいません、こんなに良くしてもらって…」と恐縮したのに対し、そのとき居合わせたゲストさんが私にくれた言葉。

「私たちも若いころ先輩たちにたくさんお世話になったから。あなたが恩を感じるなら、もう少し年齢を重ねてから、同じように若い旅人をお世話してあげてね。私たちもそれで嬉しいから。」

うーん、それから10年近く経つけれど、私は何かできただろうか。もしかすると、こうして私が次の世代にゲストハウスというものの醍醐味や魅力を伝えることができれば、ひとつの貢献になるのかな。我が子よ、ゲストハウスは大冒険だぞ。面白いぞ。

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このような長々とした身の上話を最後まで読んでくださった方がいるなら、心から感謝申し上げたい。そして、夫をはじめ、数々の貴重な出会いを経験させてくれたゲストハウスにも、改めてお礼を言いたいし、これからも大切にしたいと思う。

世の中が落ち着き、新しい家族とともに、またゲストハウスで思い出をつくれる日々が来ることを心から願いながら、この投稿を締めさせていただく。

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