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優しい人たちと、自己破壊する私と。

試験期間につき、絶賛「限界です」「許して」モードである。もうどうしようもないな。


自分で言うのもなんだが、割と勉強量はある方だと思う。これは学科同期にも言われる。「どこにそんなに問題演習をする時間があるんだ」と。

私は、中々にルーティンワークは得意で、一度習慣に組み込んで仕舞えば、土日に黙々と問題を…「解く」のは難しすぎて無理なのでほぼ解読作業に近いが…まあ演習しているわけです。

私は学科同期よりも頭の回転が遅い。いつも頭に靄がかかったみたいになっているし、みんなが当たり前に使っている知識に対しても「ソレなんだっけ…」と必死に思い出さなければならない。

だからこそ、努力は私の大切な財産だ。優秀すぎる同期にどうにか追いつきたい、なぜなら彼らと議論をしたい。彼らの見ている景色を私も見てみたい。そのためには、やっぱり勉強するしかない。

そんなこんなで、勉強量だけはどうにかこうにか増やすように心がけていて友人の間では「努力家」と言うイメージがついているようだ。それにしては実力がないのはバレバレだが。それでも頑張っていることを褒めてくれる友人がいて何とも、幸せってか。なんていうか。えへ。


…で、困っていることがある。

私は、試験直前になって、その努力の全てを放棄してしまう。

直前になって、全てを諦める。今まで解いてきた問題を見返すこともやめる。教科書の内容は全く頭に入ってこなくなる。テスト勉強って、直前が一番大事じゃない?多分。そこで踏ん張れないから、結局、勉強してきたことは活かせない。

なんかの診断テストで見たな。何だっけか?ACだったか、トラウマだったかの診断テスト。「成功する直前で全て放棄してしまう」とか書いてあった。それに近い。わざわざ、望ましい結果から遠ざかってしまう。自己破壊的行動とか言うんでしたっけ?


そんな自分にも懲り懲りである。大学に入ってからと言うものの、ずっとこんな感じだから。

ただでさえ、そんなに優秀な頭ではない。それが、努力すらできなくなったら、私はどうなる?どんな価値があると言うのだ?

考えは負の方向に傾いていって、結局、直前期にほとんど勉強できずにテストを迎えたこともあった。


だけど、最近、ちょっと状況が変わってきた。

先輩にhelpを求めた(すいません勝手に書きます、ダメだったら叱ってください)。もう無理になってしまいそうです、と。返ってきた言葉は「絶対大丈夫、私が保証する」と言う力強い言葉で。甘えちゃってごめんなさい、でもありがとうございます。

「何とかなるよ。もしダメだったら、僕が何とかするから」と学科同期は言った。何とかする、って、すごいな。そこまで他力本願にはなれないけど、と思いつつ、すごく安心してしまう。

さらに思い出す。

夏休みに「トレーニングだ」と言ってクイズ…と言う名の課題を出してくれた先生が、私の答案を見て「おー、できている!整然と解けているではないですか」「あなたが計算を着実に実行する力はあることはよく分かりました」と褒めてくれたのも。

別の先生のところにお邪魔した時。研究生活について私にいろいろ教えながら、彼は手元の資料に少し目を落として「まぁ、あなたは努力できる人ですから」と微笑んだのも。


嬉しかった。全部全部嬉しかった。自分がやってきたことが無駄になっていない確かな感覚と、私のことをちゃんと見てくれて認めてくれる人がいる嬉しさがあった。


そういう言葉を思い出して、私はちょっと泣きながら、「私は恵まれたところに身を置くことができたんだなあ」と呟いて、またノートと教科書を開こう、と思える。


もう少し、頑張ります。この記事を見た人が応援してくれたら、嬉しいです。


あーーーーーちょっと待って涙が止まらなくて教科書見えん。落ち着け。



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