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文語体の豊かさ、コンパクトさ


最近、世の趨勢に押されて口語体で詠むことが多いが、「文語体詠みてえな」とか、そう言わなくても勝手に手が文語体詠んでることがある。
これは別にぼくが古文好きなわけではなくて、古文はむしろダメだったほうで、書き下し文と解釈がごっちゃになってたくらいだ。漢文の方が理論的に読めるので得意だった。

ではなぜ文語体推しなのか。
それは二つ理由があって、ひとつには文語体の持つ「コンパクトさ」がある。例えば、「泣くんじゃない(7)」=「な泣きそ(4)」勿論逆に長くなる場合もあるが、次に挙げる例は違った意味でのコンパクトさだ。
「はつはつ」
意味はお分かりだろうか。

“はつ‐はつ

〘形動〙 (「はつか」と同語源)
① あることが、かすかに現われるさま、ちょっと行なわれるさま。副詞的にも用いる。ほんのちらっと。はつか。
※万葉(8C後)四・七〇一「波都波都(ハツハツ)に人を相見ていかにあらむいづれの日にかまたよそに見む」
② やっとのことでそうなるさま。かつかつ。〔日葡辞書(1603‐04)〕”

たった四文字の中にこれだけの意味を込めてしまう。
枚挙に暇がないが、こういった特殊な日本語が文語体には豊富にある。
むろん読者に意味を問うてしまうことになるので、注釈は欠かせないだろうが、詠み手にとっては魅力的だ。
枕詞などもそのひとつと言える。一見、文字数の無駄に見えるが「荒魂の」とくれば次は「日、火、陽などだな」と類推出来る。
このように、豊富な表現力、言葉が二番目に文語体推しである理由だ。


文語体は難しいから、と敬遠する人が多いと思う。
ひとつには「慣れ」てしまえばこっちのもの、と経験上言う。もっとも、これには一定の言語スキルが必要であって、慣れられない人もいるものと思う。
もうひとつは、理詰めで行くというもの。
これはぼくみたいな文法がダメな人には向かない、むしろ文法得意な人向けのやり方だ。正攻法であるとも言える。これは間違った使い方をしないので、のちのち役にたつものと思う。

それでは、語彙の増やし方は?

推しの歌人を何人か作ることだ。
そして、もしあなたがsnsをしていたら、歌人のbotをフォローしよう。一定時間ごとに流れてくる短歌で、「あれ? この単語/用法は?」と思ったら即座に調べよう。調べるクセをつけることが、このやり方のキモだ。

それで、好きな短歌の何首かをソラでそらんじることが出来れば、何も言うことはない。


口語体のdisではないことは、注意して言っておく。
ただ、消えようとしている文語体の良さを再発見する何かになれればというだけのことだ。
正しい文語体は美しい。
何よりも、「?」と思ったら、調べるクセを付けよう。
それだけが伝えたいことだ。



シキウタヨシ

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