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『未来のマカロン [短編集『茶寮』より]』

あらまし
学生のミドリは、お茶室で、
将来のちょっと
かわっているかもしれない生活を
夢みて語ります。
その茶室には、ミドリだけではなく、
もうひとりいたのですが……


いらっしゃい、と叔父の家に黒髪の『ミドリ』は招かれました。叔父の妻はミドリになんともしない笑みと、ゆっくりしていってね、という言葉をかけ、ろう下をすれちがったのみ、特段話そう、親しくしようという具合でないこと、ミドリにもすぐに判ります。

ミドリにとっても好都合です。話をしたいのは、叔父の妻でも、叔父でも、その子供でもなく、ミドリが制服のうえにかさねて着た、色あせした紺色のダッフルコートの背に、大きな登山バッグにかついで連れてきたものだったからです。

すぐにミドリは茶室を叔父に尋ね、案内されました。彼のうしろをついて、すこし伸びたカサカサの芝のうえをサクサクと音をたてて歩いていきます。

大宮という比較的おおきな街を、すこし外れた叔父の家。白い塀にかこまれたおおきな家。彼のおじいさまからうけついだ家でした。なかに母屋とのとなりに古い農機具が収められた用具庫、そしてとおくの塀の隅のかどには、ちいさな池、そばに笹やシデなどが鬱蒼とうわっている、そのちかくの白壁の茶室。

兄弟のなかでもよくできた叔父以外、手にあまる屋敷、庭には塀のそばに南天の実があかくみえるようすを、茶室に向かってあるくミドリは見たのでした。



茶室の "にじり戸" を開け、ミドリに叔父は「入りかたは?」と聞き、彼女は「わかりますから」と答え、叔父は母屋へ帰ります。午後でした。

ミドリが、彼が母屋の庭に面した戸をしめていなくなることを見とどけると、登山バッグを肩から下します。

縦長のバッグの雨蓋を開け、口の紐をゆるめてプチプチに巻き包んだ中身をたしかめます。

さて、どう入れよう。

もういっかいバッグを閉じて、にじり口の戸をあけて、あたまから茶室に押しこみました。そしてミドリもダッフルコートを着たまま室内へと、にじりから、身体をかがめて入ります。



むろへ入ると、登山バッグを開けて荷開きを始めます。ミドリは怖かったのでした。自宅から連れてきたのはいいけれど、行くあいだ、電車にゆられて膝にしっかとかかえているときも、壊れるのではないかと、不安で、こんなことなら連れだすのではなかったと後悔すらおぼえました。けれど電車がひきかえしてくれることはありませんでしたので、ここまで着くことができました。

口を大きくあけ、三重みえにくるんだプチプチを解くと、陶器の肌でできた人形ビスクドールでした。

やわらかなシフォン生地にて作られた白い衣装、すこしへたれてしまいましたが、人形をむろの壁に寄りかからせ、服のシワをのばします。

壊れたところはありませんでした。

「いたいところ、ない?」と、たずねます。「ないわ」と人形が答えます。つけくわえて「いきぐるしかったから、気分がわるいけどね」人形はミドリをみることはありません。

ミドリはバッグの外ポケットに入れていたポーチをとりだします。櫛をつかって人形の髪を梳いてととのえます。プラチナ白金の膝まで届かんとする長いかみのけ。

モジャモジャ黒髪のミドリとは大ちがいです。

人形は命令します。「ちゃんと座らせて」

ミドリは両手で彼女をかかえなおして、ゆっくり畳の上に白いワンピースの彼女をすわらせ、壁によりかからせます。スカートのすそをかるく指でつまんでピンと張り、投げ出す格好だった脚をそっと関節に無理のないよう、洋服の内へとしまい込みました。

16のミドリのひざにも乗る大きさの彼女ですが、顔つきはミドリより大人びていました。西洋人の容貌モティーフだったからでしょうか。

けれど製作した作家は日本人、ミドリが注文したのでした。



11のころに、上野の公園を横切りずんずん歩いたところにある、その古書店の棚の雑誌を手にとると、奇怪な記事写真のなかに人形ビスクドールのかずかず。なかには好かない姿容しようのものもありましたが、やはりその雑誌の表紙を飾る人形にときめきました。以来、彼女はお金を貯めました。自分のためには使いませんでしたし、友だちのためにつきあうときにも使いませんでした。

方法はかんたんです。お金を外出時に一銭足りとも持たなかったのです。おひるごはんは中学のころから極力くちにしないよう努めました。きたるべく高校生の時分にそなえ、昼食をとる習慣をつけさせなかったのです、自分で。

そのかわり朝と夕はモリモリ食べました。本かネットで昔のひとは一日二食であったと記載されていたものを読み、それみたことかとミドリはおもったものです。

はじめて人形の値段をインターネットでみたとき、信じられませんでした。うその多い界わいであることは十々承知していたので、住所をしらべ作家をとり次ぐギャラリーへ向い、主人の女性に尋ねましたが、よけいにそこでは大きな金額を申しわたされました。

主人はミドリに紅茶をすすめ、菓子も食べるよう皿に盛ってきました。ミドリは皿の上の様々な色のマカロンをはじめて見て、本当の「かわいい、らしさ」とは、このマカロンのことだと、うっかりすこし泣きました。

主人は来客用のソファにすわったミドリの顔をのぞきこみ、もくもくと食べるミドリの手をにぎり、「大人になっても、人形たちはひとを待ってくれるものよ、そのひとが人形たちを忘れなければ」そう告げました。

はい、と答えてはいましたが、ミドリは主人の目をみていません。もうすでに、彼女ミドリはずうっと、どうやってこの金を貯めて、ふたたびここに来ようか、企んでしまい、他のことなどどうでもよくなったのです。



このあたりまでを、ミドリは人形に話しました。

人形は顔色変えず相づちも打たず、ただ聞いていたのでした。

ミドリは伺いました。「どう?」

人形は答えました。「そう」

なっとくいかない顔のミドリです。

人形はたずねます。「ねえ」

問われただけで、ミドリは胸高鳴りました。

「わたしをどうするつもり?」

はて。

「そばにいてほしいかなって」

ため息の音はミドリに聴こえます。

「それだけかしら」

「え、なんで?」

「わたしが作られているあいだ、わたしの製作者たちの声がきこえたわ。あの子は何体目の注文、またあの男。壊してはあそび、壊してはあそび。あの子はいくたびかの修理、より美しく、より加工して、理想のわが子に。総じて注文ぬしは、みんないかがわしくて、いやらしい人。製作者の顔を初めてみえるようになったとき、彼女は笑顔に影をうかべていた。だからね、わたしはあなたに、どんなあそびをいっしょにするのかなあって、そうおもっているの」

ミドリはこまっていました。そんなことなんにも考えてもいなかったし、他の人形を買うひとたちのことを想像すらしていなかったのです。

じっとミドリは考えました。

外で小鳥たちが枝の上でしょうか、さわいで、はばたき飛びたつまでの音がきこえました。

人形に、ミドリはこう言いました。

「なんにもかんがえていませんでした」

つづけてこう言ったのでした。

「ごめんなさい。あたしはあなたからすると悪もので、なんだかお金を払ってあなたを誘かいしたようなかんじなのかな、うまく、わからないけど」

人形は言います「誘かいは、身代金をよこせって犯人が言うものだわ」すこし頭が右にかしいだ様子。

「あたしが犯人だとして」ミドリは続けます。

「うーん、身代金を払うから誘かいするからな! さもないと悪いことしちゃうぞ! って言ったような犯罪者が、あたしで、それを、もうしちゃったってこと? ややっこしいな、じゃあ、あたしやっぱり悪ものなのかしら」

じっと聞いていた人形は言いました。

「あなたは、ちょっと、バカなのかしら」

ミドリは言いました。

「それでもあなたのことが好き」

そしてカベにもたれかかる人形の正面にすわりなおして、ミドリはしっかりと目をみつめました。

人形は、まばたきができるものなら、したかった。

「これからのあたしの人生で、あなたにずーっと、いてほしいの。たくさんお話したい、たまに怒ってもいいから、ただそばに居てほしい、あなたといたいの、死ぬまで」

人形はたずねます。

「それはプロポーズで、そのことを言うためにこの異常にせまい部屋につれてきたの? こわいわ」

茶室の小さな窓から、人形の伏し目がちの動かない眼にくもり空のすきまから光が当たり、まつげがキラキラと輝きました。

そして日本人ばなれしたその目鼻立ちに、くっきりとした影がつくられます。

人形は言うのでした。

「あなたはわたしをすきにすればいい。どんなことでもできるのだから。わたしはなにもできないのだから」

ミドリは自分をささえる身体のちからが失なわれていく様子を感じました。

人形はこう言いました。

「いやらしいこと、したいでしょう? ほんとうは。めずらしいことじゃないのよ。抵抗できない弱い者をなぶるのは、世のなかでどこにでもある出来事。壊れたら、工房にもっていってちょうだいね、きっとある程度まで直してくれる。あそばれてから、壊されるまでが、人形の一生よ」

うつむいたまま言い終えて、人形はおどろきました。

ミドリが泣きだしていたから。



いつから?

しかも、泣きながら、こんどは笑みをつくって、人形をまっすぐに見はじめたのでした。

ゆっくり、ミドリのひとさし指が、人形のはな先にむかって伸ばされます。

人形は、なにもかも手放そうとしました。

自分のプライドも、意識も、記憶も、すべてを。壊されて、工房に持ちこまれた人形たちの顔を思いうかべながら。

涙とはなみずまみれの彼女はひとさし指で、ちょんと人形の鼻さきをつつくと、こう言いました。

「もの知りさんで、でも、おばかさんね、あなた」

人形は、それだけかと、安心のうえにイラッとしました。バカにバカ呼ばわりされたとおもったからです。

「あなたは、あなたの見聞きした世のなかをいっぱい知って、あたしのもとに来たのね。あたしはあなたを知らなかったわ、まるで、なんにも。でも、あなた、あたしのこと、やっぱりまだ知らないよ」

人形はこのとき、ミドリの目を見たいとおもいました。ただ人形は伏し目にいることしかできなかったから。

「ほかのひとの愛しかたなんて知らない。でも、あたしはあなたを大切にしたいの。おもちゃじゃないの。ああ、なんて言ったらいいの、たぶん恋だったけど、いまは、それ以上だし、それ以上、そう、言葉にならないほど、あなたのことを、あなたと過ごすこれからを、大切にしたいわ」

人形は、この鼻みずをずびずばしながら、むせながら、そんな台詞せりふを言うミドリの声をきいていました。

ミドリはにぎりこぶしを自分の前でブンブンさせながら言います。

「あたしはお金をかせぐわ。あなたに着せる衣装がそのワンピースで足りていいわけないじゃない! これから冬なのに、あなた半そでなのよ! あなたの靴だって、季節や、お出かけ先によってはきかえなきゃ。そう、定期的に工房で肌のお手入れもしてほしいの、ガサガサじゃもうしわけないもの。だから、これからでも勉強して、うん、いま決めたわ、いい学校行っていい会社入って、たくさんお給料かせいで、あなたのお洋服ちゃんとそろえるから。すてきなお洋服。それまでは、ごめん、ちょっとありあわせのもので苦労させて、しまうかも、しれない。でも、あたしがんばるから!」

人形は、この女の子は善人だが、なんだかやっぱりおかしいな、そんな感想をもちました。

「あなたのために、がんばっちゃダメかしら!?」

質問されたので人形は答えました。

「ダメじゃない」

ミドリは聞きなおしました。

「いいの?」

人形は言いました。

「いまそういったのよ」

ミドリは両手を上げて、ガッツポーズをとりましたが、人形は、こんなせまい部屋で大きな所作しょさをとられるとコブシがじぶんの陶製の肌に当たるのではないかと心配でした。

「ねえ」人形は問いかけます。「夕ぐれなんじゃないかしら」

ミドリが、にじり戸を開けて外をのぞきこみました。

「そうね、ちょっとさむくなってきた」戸をしめます。

「あなたはおなかがすいていないのかしら」

「ええ、あたしくいしんぼうだもん。だからね」

人形をかついできた登山バッグの外ポケットから、小さな水筒と、別のポケットから紙箱をとり出しました。

「おやつをもってきたの。いっしょに食べようと思って」



ミドリは自分のダッフルコートのすそで涙とかがあとをのこした顔を手荒くぬぐい、紙箱の包みをあけました。マカロンでした。

ローズ、エクリュ、ラベンダー、グリーン、四つ入り。

小さなマカロンのまわりに、かずみ草がたくさんしきつめられていました。

人形は言いました。

「お菓子じゃ、あなたきっと、おなかが足りないでしょう?」

ミドリはこう答えました。

「お茶がおわったら、叔父さまのところでいただくつもりよ、あなたも紹介しなくちゃ」

この子はもうなにもこわくないんだなあ、と、人形はおもいました。

「テーブルがないから」

ミドリは麻の生成り、灰色の布を畳のうえにしき、ふたつの紙コップはティーバッグを入れて水筒の湯をぎ、腕時計をみつめます。

人形はいいました。

「おままことなら得意よ、人形だもの」

ミドリは言いました。

「すこし、考えてはきたの」

2分半たち、ティーバッグを空の紙コップに移します。 

茶室にもよいの暗がりが濃く、青く、たちこめてきました。

ミドリはマカロンのまわりのかすみ草を、人形のプラチナの髪にかざりはじめました。

「何をしてるの」

「花よめに花かざり。その髪に似合うっておもって、この花をえらんでみたんだ」

人形は、こころのなかから何かが吐きだされるような、すこし悲しみに似た、強い感覚をおぼえました。けれどそれは辛さではなく、その強い感覚のあと心地よさがつづいたのでした。人形にはそれがなにかその時はわかりませんでした。

髪のまわりに輪になるように小花が添えられたあと、ミドリは人形にききました。

「これはマカロンっていうお菓子。このなかで、何色がすき? すきな色を、あなたにもらってほしいの」

人形は、自分の好きな色はなんなのか、わかりませんでした。考えたことがありませんでした。

「その、赤いの」

くらがりにようやく見えた色はその赤いいろ、そのお菓子の白いそれは、わたしに似たいろだから。

ミドリはにっこりしました。

人形の座る手前の、麻布の上にティッシュを重ねて置き、そのうえにローズのマカロンをポンと置きました。

ミドリも自分の前に同じようにして、彼女はエクリュのマカロンを置きました。

「お茶ができました。いただきましょう」



「ねえ、写真でも撮らないの? カメラくらいあるんでしょう? おままごとによくやるんでしょう?」

「いらないわ、あなたとのお茶の時間に、余計なことはしたくないもの」

ミドリはエクリュのマカロンをかじります。

「いつかあなたに、このすてきなマカロンの口触りを伝えてあげる。甘い味を、舌のうえで溶けて喉にながれていくマカロンの甘さを。わたしは年をとってやがて死ぬけど、あなたは適切にケアされていけば、時間を越えて未来を見るわ。そのときが来てマカロンの味があなたにわかるようにできるなら、未来の人間の技術をぜんぶつかって教えてあげたいから、そのためにも、だから、わたしはお金をかせぐ」

人形は言いました。

「ねえ、紅茶をのませて」

ミドリは人形の目をみました。

暗がりのなか、人形のまえに置いてあった、すこし冷めてもまだ熱い紅茶のなかに、ひとさし指を漬け、人形の口許くちもとへ一滴を運びました。

人形は言いました。
「おいしいわ。お勉強、がんばろうね」

母屋のほうから、枯れ芝を踏む音が近づいてきます。

ミドリがささやきました。
「うん。がんばるよ」

ミドリは人形の髪をなでました。
かすみ草がすこし畳のうえにこぼれて落ちました。


このおはなしは、ここでおしまいです。


最終修正:令和五年一月一日 午後
初版掲出:令和五年一月一日 未明


このテキストは短編集「茶寮」に収められています。


このテキストのヘッダー画像は、https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Assorted_macarons_in_a_box,_March_2011.jpg から用いて本テキストの著者が再加工しました。著作権のライセンスは表示 2.0 一般 (CC BY 2.0)となります。ライセンスの詳細は左記のリンクからご確認ください。

本テキストの著作権は一切放棄しておりません
©︎かうかう





あとがき

もー、ありえないほど下手だし、そもそもがなんか変なのはわかってるんですが(茶室である必然がどこまであったんだよー)とりあえずもう書いちゃったんで出しちゃいました……修正してる時間でもういっぽん書けそうなくらい根本的になんか変なんですけど。商業出版だったらそんなんあたりまえなんかもしれませんが、すんませんひとりでやってるアマチュアのそれもルーキーなんで勘弁してください〜、書いていてまだ楽しいんです〜、ごめんなさい〜。

はじめて、万年筆で原稿をノートに書いて、GoogleDocで文字起こししてから、細かいところをnoteで修正していくというスタイルで完成させました。なにがいいって、あんまり疲れない。

ペンを持って書くのは、日記をガシガシ前から書いていたせいか思ったより疲れません。たぶんモニターとにらめっこして物語を考えるほうがよっぽど疲れてあたまがオーバーヒートするみたい。

しばらくこの方法でいろいろ試してみたいです。

あと文体。これ、どうなんだ。
なんというか、いわゆる小説の三人称的な書きかたより、こういうほうが性にあってるみたいで。(一人称は自分のなかで奥の手な気がして、あんまり簡単に手を出したくないんです)そうでなければガイブン調、わたくし文体フェチ、いや変態でございます、ふつうの地の文を書いていると怖気がほんとうにしてしまうんです。なんの呪いや。どこかで変な水でも飲んだんか。

ともあれ、もうちょっとこの文体でいいかんじに書きたい。いろいろやりたい。たのしかったです。……いままでよりは読みやすかったんじゃないかなぁって、おもうんですけど、どうなんだろう。

[追記 もうちょっと細かい話は別稿にしました。]

ここまで読んでいただけた方に深く感謝します。
ありがとうございました。

皆様にとっても、今年がよい一年になりますように。

元旦未明、「かうかう」より