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凡人はどこまでレベラゲできるのか⸺美容整形をする女の人生

きゅあ怠惰と申します。

普段は美容や整形にまつわるnoteを書いております。SNSを見ていると、整形する人の人生や価値観への偏見や思い込みがまだまだ強いように感じます。
実際、顔面にメスを入れる“狂った”人間はどんな人生を歩んでどういう経緯でメスを入れるのか?ということをテーマに、わたしの半生を書き綴っていきます。

ただの自語りですが、もしご興味ございましたら独白に付き合ってくださると嬉しいです。

◆わたしは凡人

わたしはとても凡庸な人間でした。
特別な才もなく、何をやってもドジばかり。地頭は良くないし、要領も悪い。運動神経もない。おまけに一重の目、潰れた鼻、丸い輪郭、度がきついメガネをかけている冴えない女の子、それがわたしでした。

自分が不細工なんだと自覚したのは幼稚園の頃です。
お遊戯会で美女と野獣をやることになり、やりたかったプリンセス役に立候補したところ、六人くらい枠があったプリンセスに選ばれなかった。プリンセスに選ばれたのは、みんな可愛い子達ばかりでした。

結局わたしはポット夫人の役をやりました。母は「かわいい」と笑ってくれましたが、わたしは着せられた紫のポットの形をした間抜けなビニール衣装とベル役に選ばれた可愛い子たちのドレスを思い出すと、いまだに涙が出そうになるくらい苦い思い出です。

3歳の頃に父親が家を出て行ってからは、働いている母の代わりに祖母がわたしを育ててくれました。中卒の祖父母に短大卒の母、専門卒の父。前時代的な価値観が蔓延る田舎の地元では大学に行く人の方が少なかったです。当然低収入で、経済力などありません。母や祖母との関係は良好ですし、家族に恨みなどないです。愛を持って片親で育ててくれたことに感謝もしています。
それでも、このような、出自の何にも恵まれなかった私の一番のコンプレックスは“実家の細さ”だと思います。

◆ハウトゥー・復讐

小学校に入ると、母が進学塾に通わせてくれるようになりました。国公立の大学まで附属している小学校を受験した際、面接日に39度の高熱を出し、落ちたわたしに中学受験をさせようと目論んでいたようです。

社交的な母の友人は、県内でも教育への意識が高い地域の方が多く、母に教育の大切さや早期受験のメリットについて教えてくれたそうです。良くも悪くも情報を精査せず、「とりあえずなんでも試してみよう!」という考え方の母は一人娘に「良い」と言われた教育を全て施してくれました。
加えて地元の中学がしょっちゅう警察のお世話になるほどのヤンキー学校だったこともあり、母は地元の公立中学に入学させることを快く思っていなかったのです。

さて、進学塾に入ると、クラスに馴染めなくなりました。

わたしの実家がある田舎は先述した通り教育への意識が低く、クラスの子達と考え方や見ているもの、有している知識、何もかもが合わずにどんどん孤立しました。
本格的な嫌がらせをされ始めたのは三、四年生くらいからです。声の大きい目立つ子がお気に入りの、女の担任は助けてはくれませんでした。

今考えれば、私もいじめられていた理由がなんとなくわかります。小憎たらしい理論を並べて、難しい言葉回しをすることが多く、「どうして?」と思ったことは理詰めで相手を追い詰めてしまうことが多々ありました。
けれど、当時の私も小学生で情緒が未熟だったので、他者の気持ちを慮ることができていなかったのです。
私や私の家族の悪口、下駄箱や靴の中に入れられた虫の死骸、初恋の男の子にも裏切られ、私は地元に居場所を失くしました。クラスの殆どの子に口を聞いてもらえず、漠然と死にたいとすら思っていました。

限界が来て、いじめっ子に反論のつもりで「私が死んで遺書にあなたの名前を書いたらあなたは犯罪者だ」と言ったことがあります。これに書いてやるぞ、とじゆうちょうを掲げてそう反論した私が酷く滑稽に映ったのでしょうか。その一連を見ていた担任は笑いながら「じゆうちょうを直せ」「嘘をつくな」と私を咎めました。私はあの担任の名前をいまだに覚えています。

先生、お元気でしょうか。私は本当に死にたいくらい、ずっと苦しかったです。あの頃は死への恐怖だけが私を生に向かわせていて、痛みなく死ねるのであればすぐに死を選んでいたと思います。その時はきっと、あなたの名前もじゆうちょうに書いていた。私の死を以てして、貴女に社会的な死を与えたかった。

幸い、五年生のころに着任した担任はとても誠実な方で、わたしのいじめから目を逸らさず解決に奔走してくださいました。家まで話を聞きに来てくださり、「しにたい」と母親にすら言えなかった気持ちを吐露した際は、担任も母も息を飲むように驚きと悲しみを顔に滲ませて。「必ず、対処します」とお約束してくださった通り、いじめっ子の親には連絡が行き、いじめっ子とその親から謝罪を受け取り、体裁上は解決しました。

私の心を置き去りにして。


そして、そんな一連の流れを受けた母の一言が私の人生を大きく変えることになります。

「復讐しようよ。10年後、いじめっ子を見返そう。あの子たちより綺麗な服を着て、良い暮らしをして、それで、見返そう。社会的に成功を収める事で、あの子達に復讐をしよう」

そんな母の言葉は衝撃的で、自分の意思で中学受験を決意。
そうして中学受験を経て、中高一貫の私立中学に入学することになります。


◆青春は特権

中学に入ると、前よりもずっと息がしやすくなりました。皆同じ試験を受けて、同じような点数でクラス分けがされていたので、周りの子達と話が合いました。友達も少ないながらできて、小学校に比べると学校に行くことが苦ではなくなりました。

中学くらいになると、皆異性を意識し始めるでしょう。その影響で容姿やスタイルといった外見的な部分にも関心が向いていくようになります。
当時の私は冴えないメガネでしたが、クラスの可愛い女の子がかっこいい男の子と付き合いだしたという話を聞いたり、その子が男の子の人気を一身に集めていたり、かわいい子に媚を売ったりする同性を見ているうちに「ああ、この世はルッキズムなんだ」と再確認しました。

不細工なことを自覚していた私に追い打ちをかけるように酷い言葉を投げ掛ける子もいました。「お前の顔はインスタで映えない」。そう言われたことを数年経った今でも覚えています。言った方は完全に忘れてそうですが言われた方は何年経っても呪いのように覚えています。容姿で悩み始めた娘に、能天気な母は「悩む必要ないよ、二重なんか整形したらいいじゃん!」と勧めました。

中でもそのコンプレックスが加速したのは高校に入ってからです。

教室で女の子たちの顔をジャッジする男子たち。
当時好きな人がいましたが、女の子の容姿について大きな声で話している男の子たちと仲が良かったので、「こんなブスが告白しても裏で共有して笑われるだけだ」と思ってわたしは思いを告げることができませんでした。程なくして、好きな人はお顔が可愛いことで有名な後輩と付き合い出したと風の噂で耳にし、ひっそりと失恋しました。

自分に自信がなかった私は、好きな人に思いを伝えることもできず、彼氏なども当然できず、キャピキャピとした思い出を作ることもできず、教室の端で友達と漫画やアニメの話をしている冴えない女で、青春は可愛い女の子のみに許された特権であることを知りました。
先生に内緒で校則違反のメイクをしたり、体育祭でお揃いのメガホンを作ってみたり、そんな遊びが私もしてみたかった。そんなことを私がしたら笑われる、そんなことをしたら私が可愛い子たちのグループに入りたい道化のように見えるんじゃないか。

自信のなさによる被害妄想で私はついぞ、高校卒業まで青春らしい青春を一度もできませんでした。

◆大学受験という成功体験

さて、冒頭でお話したように、「いじめっ子たちよりも社会的に成功を収める」ことを目標としていた私は、社会的な成功のためにいい大学に入学することがいちばんの近道であることを知っていました。

故に、ボランティア系の部活に入ったり、実行委員や生徒会を務めたり、奨学金の試験に合格して奨学金をいただいて留学に行ったり、課外活動や実績作りにも必死で取り組んでいました。

高校二年くらいになると、賢いクラスから順に勉強ムードに染まっていくのですがわたしが所属していた一番頭が悪いクラスではまだまだ緩んだ空気が蔓延していました。
学力的には真ん中のクラスだったのですが、文理選択で文系のクラスを選んだおかげで、殆どが文系を選んだ一番下のクラス出身の子達と同じクラスになったのです。

私は得意なこともやりたい勉強も文系だったので、何の迷いもなく文系を選びました。また、数学や理科が苦手だったので、下手に知名度がない国公立を選ぶよりは三科目に絞ってブランド力のある私学に行くことに決めました。
私学に行くためのお金は祖父が遺してくれた学費でなんとか賄えたのですが、いかんせん予備校などに通う余裕が我が家にはありませんでした。

自称進学校である私の母校では「受験は団体戦」などという戯言をよく聞かされたのですが間違いなく個人戦でした。
クラスの八割が指定校で合格を決める中、本命の総合型推薦の試験と並行で一般試験の準備をしていたこと。一緒に一般で頑張ろうと励まし合っていた友人が結局指定校推薦でランクを下げた大学に進学を決めたこと。他のクラスに「あのバカクラスの子が◎◎大学狙ってるらしい」と噂され、馬鹿にされていたこと。いろいろなことが重なって、あの頃の私は毎日泣き疲れて寝ていました。

ギリギリまで関関同立やMARCHの指定校に出願するか悩みましたが、やはり第一志望を諦めきれず、茨の道を行くことを決意しました。
重ねて容姿でも病んで、軽度の摂食障害になってしまい体重もどんどん減っていき、BMIは16前半に。「食べなさい」と家族に怒られながら、味のしないご飯を泣きながら無理やり口に流し込んでいました。

友人の人生は友人のものだから私に口を出す権利はないのですが、それでもやっぱり裏切られたように感じ、闇の中を一人で走っている気分でした。この道で正解なのか?私の努力は正しい方向に進んでいるのか?何から手をつけたらいいのか?苦しい葛藤をしながら勉強に打ち込めていたのは間違いなく、母と企てた“復讐計画”のおかげでした。


だからこそ、第一志望の大学のサイトで合格の二文字を見たとき、全てが報われたと思いました。
私の努力は間違っていなかった。毎日妥協と怠惰で選んだ大学に合格を決めた子達の私語に邪魔をされながらも真剣に勉強に向き合った日々。

「予備校に通えない」というハンデを背負いながらも、私が人並み以上であること証明できたことが何よりも嬉しかった。私の努力が認められたのです。この成功体験は、何よりも自信になりました。

努力をすることで自信に繋がることを知ってから、私の中で努力とは自己肯定の手段になったのです。


◆顔にメスを入れること

人生で初めて整形をしたのは二重埋没でした。まあ、定番だよね。大体の人の整形のスタートはこれじゃないかなと思います。
するとどうでしょう。目の上に一本線ができただけで“インスタ萎え”扱いはされなくなりました。

この世の中はルッキズムです。見た目が全てではないとは思いますが、間違い無く見た目は大切です。それでも顔で失った自尊心は顔でしか取り戻せませんでした。この身をもって、それを痛感してきました。

そんなわけで、わたしの中での整形は「努力」のひとつの形であり、自己肯定の手段なのです。

総額三桁以上は顔に注ぎ込んできましたが、二の腕の脂肪吸引や外側人中・小鼻の切除、額の脂肪注入エトセトラ。私の整形はまだまだ終わりません。では私は整形に依存しているのか?と言われればそうではないと答えます。

なぜなら、私は顔が全てではないと大学受験を通して知ったからです。私は死ぬ気で努力をしてトリリンガルになった純ジャパで、高学歴でもあります。大学名を言うと、高い確率で一目置いて頂けます。
また、わたしは美しさや若さという武器にタイムリミットがあることも知っています。あくまで美貌や若さは金棒でしかない。そうしたものを鬼にしようとした瞬間に、女の人生は詰むことをわかっています。

対して、知識は無限で、奪われることのない財産です。それに、見目の綺麗さは努力なしで手に入る素敵な遺伝子を持って生まれた人間がいるのに対して、会得するまでに必要とされる努力量に個人差はあれど、知は努力する者にしか与えられないものです。だからこそ“頭がいいこと”は魅力的だと考えられているのだと思います。

これは余談ですが、わたしの母はわたしの整形に関して口を挟んだ事、止めたことがありません。
それは決してわたしを愛していないからではなく、「わたしの体はわたしのものだ」と思ってくれているからです。
産み落とした時点で、「親にもらった体」ではなく「娘に帰属する、娘の体」だと認識してくれているからです。心配こそすれど、わたしの整形を一度も止めたことがないのはそういった所以です。まあ、二重埋没を勧めたのも母ですしね。


整形も、勉強も、体型管理も、すべて自己肯定のための努力の一つに過ぎません。私が自分のことを好きでいられるように。


◆成人式の話

整形をして外見で悩むことが少なくなりました。第一志望に合格して自信がつきました。

顔に恵まれなかったので、体型管理や勉強、語学。どれも必死に努力してきました。
よく整形している人は顔が全てだと思って他に大切なこと蔑ろにしていたり、努力を怠って顔のせいにしているとネットで言われることがあります。

私は今でも自分に自信がありません。けれど、自分が重ねてきた努力には自信があります。恵まれない私が得たもの、それは底なしの野心でした。野心があったからこそ、ここまで努力してこられたのだと思います。私は生まれを理由に何かを諦めたくなかった。


成人式のことは昨日のように思い出せます。
久しぶりに帰った地元、変わらない景色。いじめっ子がホールに入ってきた瞬間、息が詰まるような感覚がありました。すぐに「あの子だ」とわかりました。
心臓はバクバク、冷や汗すらかきながら、私は全く式に集中できず、いろんなことを考えながら彼女を見ていました。

終わったと同時に席を立ち上がって、彼女の方へと歩みを進めました。怪訝そうな顔で私を見る彼女。

「久しぶり、元気だった?私、小学校が同じだった○○○○っていうんだけど、覚えてる?」

存外はっきりとした声が出て、不思議と目があっても怖くなかった。ニッコリ笑顔で挨拶ができたことを、とてもとても誇りに思います。

話しかけてきた私のことを彼女がどう思ったかはわかりません。気味が悪いと思ったか、あるいは久しぶりで驚いたか、誰なのか思い出せなかったのか、それとも気にも留めていないのか。私は知る由もないことですが、あの時間は間違いなく私のトラウマを断ち切って前に進むために必要な時間でした。

いじめてくれてありがとう、とすら。
おそらく私はいじめに遭っていなければ普通の公立に進んでいたでしょうから。そうして一生田舎で、適当に遊んで暮らして、どこかの専門学校を出て、地元で就職して、一生地元で生きていく人間だったはずだった。けれど、あなたが人生を変えてくれた。いじめから逃げるように進んだ私立でたくさんのことを学び、たくさんの縁を紡ぎました。あのとき、死にたいと思った私を抱きしめてあげたい。よく頑張った、よく生きていた、と。

ようやくいじめのトラウマと決別して、私は私のためだけに努力を重ねられる。あの子より優る私でいるため、じゃなくて、何より私が私を愛していられるために、これからは努力できるのです。


◆整形は悪か、救世主か

整形はフェイクでしょうか。
わたしの人生はフェイクでしょうか。

とあるTikTokでの動画がバズっていましたね。整形女はフェイクだ、そんなものは努力と呼ばない、と。
私の半生は、フェイクだったかしら。

整形に至るまでにたくさんの葛藤があり、たくさんの苦しみや痛みがあり、たくさんの努力があります。リアルな人間だからこそ、ここまでの苦しみを感じてきた。
整形に必要なお金を貯めるために必死でしてきたバイトさえも努力ではないと否定されるのであれば、もうわたしに言えることは何もありません。

繰り返しますが私の整形は誰のためでもなく、私のため。男の子と付き合うため、モテるためじゃなくて、私が前を向いて生きるための自己肯定の手段の一つです。

だからこそ、顔に悩む女の子は別の何かに打ち込んで欲しいのです。あなたの悩みは決してフェイクじゃないとわたしは知っています。整形もメイクも努力だと思います。けれど、それを努力と呼ばない人間に「顔を武器にして許されようとしている甘い人間」だと認識されるのは悔しくないでしょうか。わたしはそれが悔しかったから「自分は努力のできる人間であること」を勉強を通して証明しました。
何か別のスキルやテクニック、知識を持つことはあなたが自信を築く基盤になります。顔で悩んだことの根本の解決にはならないことが多いですが、努力したという事実は必ずあなたを魅力的な人間に仕立て上げてくれます。

もしこれを読んでいる方で容姿に悩む方がいればどうか、憎悪を他人に向けず、何かに打ち込んでみてください。

「努力した者が全て報われるとは限らん しかし! 成功した者は皆 すべからく努力しておる!!」

漫画『はじめの一歩』鴨川会長の言葉

わたしはこの言葉が大好きです。つらい時はこの言葉を思い出して努力をしてきました。要領が悪い分、人よりも結果が出るのが遅かったけれど、「できるまでやる」と、できるようになります。

わたしにとって整形は手段です。救いでも悪でもないです。ただ、何かを達成するための道具でしかない。言語もそう。それが目的になってはいけない。だから、わたしは整形した人を「フェイク」と呼ぶのは違和感があるのです。だから、そんな人たちにわかりやすいやり方で「私は努力家」であることを提示したかったのです。

顔に悩む方がいれば、どうか顔を可愛くすることを目的にしないで欲しいと思います。どうせ皆向かう先はしわくちゃです。シワだらけになっても誇れることを何か一つ手にすることができたらあなたはきっと自分を少しだけ好きになれるはずです。だって、それは誰にも「フェイク」と否定されない努力だから。

◆さいごに

興味本位でのぞいてくださった方、同じ悩みを持っていた方、さまざまだと思いますがここまで読んでいただいた方はつまらぬ一人語りを聞いてくださってありがとうございます。存外、普通の人間だったでしょうか。コンプレックスへの固執が狂気的だと思われたでしょうか。

わたしは少しだけ欲張りなんだと思います。
人より恵まれなかった分、誰よりも飢えていて、わたしはその飢えを満たすために一生努力を続けるのです。
綺麗な外見でいたい、お金がたくさん欲しい、人に一目置かれる存在でありたい、全部完璧になりたい。
たとえ全部完璧になる日が来ないとわかっていても、その野心が私を努力に向かわせる限りは終わりのない努力を続けるのだと思います。その一つが整形であるというだけで、わたしは整形依存というよりは度の過ぎた完璧主義なんだと思います。

凡才のわたしは天才には敵わない。生まれながらに可愛い子に羨望を抱くこともある、わたしより頭のいい人なんてごまんといるし、勉強しなくとも環境に恵まれて他の言葉をわたしよりも流暢に操ることのできる人も多い。それでもわたしは報われるまで、自分を愛してあげられるように頑張りたいと思います。

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