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「青鬼」の思い出

「青鬼」というホラーゲームをご存じだろうか。現在も新作が制作されているので、知っている方は多いはずである。

内容を簡単に紹介すると、「青鬼から上手く逃げつつ、謎解きを進めて館から脱出するゲーム」が「青鬼」である。広い館を探索している最中にいきなり青鬼が現れるので、プレイヤーはびっくりするしかない。ちなみに青鬼の見た目は、こんな感じである。


まさか20歳にして青鬼のファンアートを書くとは

この「青鬼」というゲームは、私の小学校で大流行した。青鬼と聞けば誰しもがあの奇妙なビジュアルを思い出すし、節分の時期によく見るあの可愛らしい青鬼を見ると「まがい物め」と顔をしかめた。周りの友人達がどうだったのかは知らないが、少なくとも私はそういう子供であった。

私の通っていた小学校では「豆まき集会」といって、鬼の格好をした児童に向かって全校生徒で豆を投げるむごたらしい集会があった。本物の豆を使うといよいよ暴力なので、代わりに短冊へ自分の中にある倒したい鬼(「宿題を忘れる鬼」や「ゲームをしすぎる鬼」など)を書いて丸めた物を豆として使う。自分の中の欠点を見つめ直しそれを改めようとする意識を養うためのイベントであったのだろうが、実際にそれで欠点が直ったという話は聞かなかったので、鬼役で豆を当てられた児童は無駄骨であった可能性が高い。

かくいう私も鬼役の友人に向かって豆を投げた者の1人であるが、「本当の鬼はこんなもんじゃないんだけどな……」と納得いかないまま投げてしまっていた。ゲームの青鬼は人を喰うのだ。静かな館を散策していると突然「バタンッ!」とドアを開けて現れ、主人公をどこまでも追いかける。決して豆で倒せるような相手ではないし、手作りの金棒を振り回しながらのこのこと体育館に入場するような真似はしない。気持ちがノらないまま投げやりに豆を投げてしまった事については、今となっては申し訳ない気持ちである。

「青鬼」は当時、パソコンでしかプレイすることが出来なかった。「Yahoo!きっず」しか使えない学校のパソコンで遊べるわけなどなく、悩んだ私と友人たちは「青鬼ごっこ」という遊びを開発した。ゲームが遊べない小学校では「そのゲームを模した遊び」が度々開発される。想像力を養う良い機会だと思うので、小学校内でのゲーム禁止は今後も続けるべきだと思う。今では娯楽の中心はSNSになっているだろうから、「裏垢女子ごっこ」や「ステマごっこ」なども作られるのだろうか。お世辞にも健全とは言えない想像が膨らむ。

せっかくなので、「青鬼ごっこ」のご紹介をしよう。青鬼役が1人必要で、それ以外はプレイヤーとなる。ゲームが始まると、まずプレイヤーは輪になって

「中は思ったより綺麗だな」

「なんだか寒いわ……」

「お、おい、もう帰ろうぜ……」

「なんだよたけし、ビビってんのか?」

という、館の中に侵入した登場人物たちのセリフを再現する。これらのセリフは暗記していて当然であった。一通りオープニングの再現をした後は、普通に鬼ごっこが始まる。「青鬼」のゲームとしての醍醐味は謎解きなのだが、そこまで再現する力量は我々には無かったし、「謎解きもやろう」とわざわざ口にする人間も現れなかった。ゲームの動きをそれっぽく再現するために「走るのは禁止」というルールも設けられた気がするが、途中から我慢できずに走っていた記憶がある。想像力も継続力も乏しかったということで、「トホホ……」といった感じだ。「これなら普通に鬼ごっこをした方が楽しい」という事にはどんなに馬鹿な子供でも気がついた。

小学校6年間で、「青鬼」の人気はどんどん上昇していった。ある日、母と行ったTSUTAYAで「青鬼」の小説版が売られているのを見つけ、母に買ってもらった覚えがある。好きなゲームのノベライズ化は初めての経験だったので夢中で読んでいたのだが、それを見ていた姉から「内容薄そう」と言われてしまった。人が気持ちよく読書をしているのになんて無神経な姉だ、と腹が立ったが、残念ながら姉の予想はおおむね当たっていたのだった。

なんと「青鬼」は映画化もされた。個人が作ったフリーゲームが映画になってしまうなんて、なかなか夢のある話である。映画にあまり興味がなく、金曜ロードショーなどを見ても「あぁ、自分とは関係の無い物語だなぁ」としか思わなかった当時の私にとって、「青鬼」の映画化はまるで母校が甲子園に行くような快挙であり、「俺らの青鬼がやってくれた!」と興奮に満ちた嬉しさがあった。ボロいバスのような匂いがする地元の映画館では案の定上映しなかったので、DVDがTSUTAYAでレンタルされるまで待った。こうしてみると、私の幼少期のエンタメはTSUTAYAに支えられているなぁと感じる。

せっかくの「青鬼」なのでみんなで観ようという話になり、私の家で友人達と鑑賞した。元がホラーゲームなので映画はきっとホラー映画である。雰囲気を出すためにリビングの障子を閉め部屋を薄暗くしたのだが、途中で祖母がやって来て元気なおしゃべりを開始したため何も怖くなくなった。映画の内容もあまり覚えておらず、青鬼がゲームでは見せない大ジャンプをしてみんな困惑してしまったことしか覚えていない。「どういった事情があるかは知らないが、原作がそのままに映画になることはまずない」という学びを得られた良い経験であった。

「青鬼」は、幼少期の私たちに数多くの思い出を残してくれた大好きなゲームである。それなのに、実は私、自分で「青鬼」をプレイした事がない。友人たちも同様で、当時自分で青鬼をプレイしていた人は少ない。みんな、実況プレイ動画をYouTubeで見て内容を知ったのである。謎解きも、青鬼に追われるスリルも、すべて顔の見えない他人がプレイした動画を見て体験していたのだ。

「青鬼」は確かに学校で大流行していたが、ハマっていた人は誰もいなかった。自分でプレイしていないのだから、ハマるもなにも無いのである。そのため当時を振り返ってみても、楽しかったのは確実だが、どこか中身の詰まっていない「空っぽ感」がある。自分でプレイしたゲームより、実況プレイ動画を見て内容を知ったゲームの方が多い。「青鬼」もその1つであり、いかにもZ世代らしい思い出のあり方と言えよう。