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どうせうまくいく 2024


年末の仕事納めの日、職場近くの丘から満月が地平線から昇るその様をぽけ〜っと眺めた。
柔らかい色した満月がゆーっくりと現れ、東の空の色も絶え間なく変化していくあの時間。いいもの見たなぁ。



年が明けた。明けてしばらく経った。
読んでくださっているあなた、明けましておめでとうございます。

すっかりお正月気分も抜け、仕事のペースも取り戻してきた。
年末年始は数年ぶりに実家に1週間もステイして、うちの母親がなんかおかしいことをまじまじと実感してきた。(うちの母親がおかしい話は、いつかここで文字にできたら良いな。かなり労力が必要だけど)
友達と会う時間以外はとにかく暇で暇で、ランニングか読書をして過ごし、しまいには献血に行ってみたりもした。なんてヘルシーなお正月。


19の冬から27の冬まで、ほぼ途切れることなくお付き合いの対象がいた。1人(大学時代)は3年、2人目(投資家元彼)は足掛け4年のお付き合い。
途切れている間も私には“ときめきの対象”って言うのが常にいた。会っていない時間だって連絡を取ったり相手のことを思ったり、そうやって生きてきた。
ありがたいことにそういう対象がいたおかげで「誰かとわかりあって生きる私」のまま自我が形成されてきたのかも知れない。
だって高校卒業してから20代後半までの数年間(いわゆる青年期?)って、それぞれのアイデンティティや人となりの大部分が確立されそうな、大切な時期じゃないですか。大きな数年間。

だから先月突然「彼氏も好きな人もいない、恋愛対象のいない世界」に放り込まれたことで、私、どこかがずっと空っぽだった。
「誰かに愛される私」ばかり演じてきて、そんな私のことを大切にしてきた。
「特に誰かに愛されている訳ではない私」と“あ、どうもご無沙汰しております〜”と突然再会してしまい、心の拠り所のない生活にすごく戸惑った。
これまでずーっと、約8年間、誰かが私の気持ちを分かってくれて、生活の中の些細なお喋りを聞いてくれていた。その相手がいないことにも戸惑った。「〇〇が面白かった!」とか「夕飯はこれを作った!」とか、誰に向かって話せば良いの??って。
いつかみたいに、仕事終わりに家の玄関を開けるのが怖くなった。(また1人の夜が来てしまう…)と孤独にやられるのが分かりきっていたから。
それが辛くて辛くて、お正月から何冊か本を読み、「私は私のままで素晴らしい」「誰かっていう存在の有無に関わらず、私が私であるだけでサイコ〜!」っていう考え方を必死にインプットしている。
ゆったり休んで過ごした間にそういうことを考えて、自分の中のなにかを埋めたくて、変わりたくて、最近はそんな日々を過ごしています。まだまだ道半ばです。



話は飛んで、2024の私のテーマは「どうせ、うまくいく」です。
お正月にprime readingで流し読みしたお金のメンタルブロックの本に出てくるたまご型の神様が言っていた言葉。(情報量が多い〜!)
この言葉にたどり着いた時(…これ!!)とピピンと来たし、その言葉が画面の上で光っているように見えた。

たまに転んだって、やなことがあったって、誰かに振られたって、1人の寂しさにやられそうになったって、
どうせ、うまくいくんだから。
だから落ち込む時はそのままで良いし、また歩き出せそうな時が来たら歩き出そう。どうせ、うまくいくんだから。
自然とそう思えるような私になりたい。

寝る前ベッドに入った時に呟いてみたり、朝、家を出る前の歯磨きタイムに呟いてみたりしている。わざわざ声に出して耳で聞き、自分の中にインプットしている。
言い聞かせているってことはまだ私、もがいている途中だよなぁ。
言い聞かせなくても自然と(どうせ、うまくいく)と思えて肩の力が抜けた時、きっと私はまた少し素敵になれているはず。



春には引っ越しが控えている。この町での残りの生活も、今の職場の穏やかな人間関係も、一つひとつをぎゅっと大切にしていきたい。
自分のことをたくさん掘り下げて考えたい。私が私を幸せにする術をたくさん身につけたい。
それが3月までのプチ目標。

どうか、実りある日々になりますように。






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