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ドライフラワーを葬った





よく晴れた日曜日、ドライフラワーを葬った。



花はまだ少し新鮮なうちに水から抜いて、日の当たらないところに吊るしておけば色合いが保たれたままドライになるんです。
4年前にこの街に来たばかりの頃、街で一番素敵なカフェで教わったドライフラワーの上手な作り方は、主語を「終わりかけの恋」に変えてもそのまま成り立つよなぁと話を聞きながら思ったりした。
終わりかけの恋は、まだやり直せる…?まだどうにかなる…?って段階のうちに終わらせてしまって、そのまま心の宝箱に封じてしまえば美しい思い出になる。
それを一度や二度経験して、私は27歳になった。


日曜日、起きてすぐに「良い天気!!」と思い立ち、溜まっていた4年分のドライフラワーを全て集めた。
葬るならよく晴れた休日にしようとずっと前から思っていた。
この街もこの家も大好きだから、出来ることならずっとこの暮らしを守りたい。
でも私、3月末に引越さないといけない。この街を出ないといけない。
引越作業で慌てる前に、余裕のあるうちに、大好きだけど引越す際に荷物になるものは自分で葬ろうと決めていた。
玄関の壁に吊るしたりリビングや寝室に一輪挿しにしたり、空き瓶になんとなく飾ったり、いろんな形で私の生活を彩っていた花の存在に、今更ながら気付かされる。
それぞれに付随するエピソードがあり、私の歴史がある。
友達の結婚式でもらったブーケとか(それを大切に大切に、新幹線で持ち帰った懐かしい記憶)
ばあちゃんちに寄った帰り、ばあちゃんが「これ、持ってけ」と急いで切って持たせてくれた一輪のバラとか
飼っていたかわいいハムスターが亡くなった時プチ祭壇に手向けた青い花束とか
そうやってうちに来た花を、捨てるのも忍びないから…と吊るしながら
(💐を🥀にする魔女になりたい)といつも思っていた。
魔女になり花を吊るしながら、何百年も静かに生きてみたい…って。


これも
これもポイする
この小さい青色もポイ
亡きハムスターの写真立てに手向けたこの花束だけは、引越の日まで玄関に置くことにした


4年間の思い出と、私の歴史に手を振る。
モノとしてはさよならだけど、思い出はしっかりと私の中にある。
新居に越したら、まずは花屋さんを探そう。
これからの自分に手向ける花束を買おう。そう思った。


その勢いでもうひとつ、私のコレクションに手をつけた。
各地を旅行するたびに集めていたサイダーの空き瓶。
サイダーを味わうというよりも瓶のイラストや瓶の色、そしてその地名から思い出せる旅の思い出に価値を置いていた。
大学を卒業する時に大半を処分したけれど、コロナ禍の3年間を挟んだけれど、それでも少しずつ増えた瓶を並べて最後に写真を撮った。
コロナ禍で旅行が制限されたものの、思いの外各地に行けていたんだなぁ。
あの地もあの地も、どれも大切な思い出。
当時の彼氏と出かけた先で買ったなぁ、温泉宿で2人して飲んだなぁ、これは友達と卒業旅行で行った先の売店で見つけたなぁ。職場で一輪挿しにしてしばらく置いといたなぁ。
次々と、まるで噴水のように湧き出てくるたっくさんの思い出。
本当は捨てたくないけど、やっぱり空き瓶は荷物になるから仕方なく手放すことにした。
これもまた、私の生きた歴史。

本当は捨てたくない…(T . T)(T . T)(T . T)


陽の光に当たるとこれまた綺麗




一度読んだきりで満足した本は10数冊あって、読書好きな友達にその背表紙を並べた写真を送るとすぐに返信が来た。
「えっ読みたい!」と丸ごと受け入れてくれる友達で良かった。ありがとう。


こうやって少しずつ少しずつ、物を片付けていく。
この街を去ることは本当に寂しいけど、次の地が私を待っている。
未来は明るいってことを、「陽の光はあたたかい」と同じくらい当たり前のこととして信じていたいな。
私の未来、楽しいことばっかり待っているはず。




最近、自分にとって必要な言葉が次々と降ってくるような不思議な感覚が続いている。

仕事中の雑談やたまたま聞いたラジオ、はたまた偶然読んだ本、そういうところで(…あ!これ、私が欲していた言葉)という出会い方をする言葉が多くある。
これまでもそうだったのか、今になって五感が研ぎ澄まされてそう思うようになったのか定かではないけれど、すんなりと私の心の深い部分に入ってくるその言葉は日記アプリにメモしている。
いつか振り返った時(あの時のあの言葉は、そういうことだったのか…)って答え合わせをするために。
未来に種を蒔いているみたいでちょっと楽しい。


相手には相手の考え方がある、相手のルールがあるということを、理屈ではなく感じ取れる力は人を幸せにしてくれるでしょう。  

仕事で読む雑誌に載っていた


タイミングが良いとうまくいく。タイミングが合わないってことは、今は準備段階ってこと。

私が尊敬してやまないベテラン上司との雑談中に言われた


相手が彼ではなかった、ただそれだけのこと

偶然読んだどなたかのnoteより


忘れたいことって、忘れられるように出来てるからねぇ

ラランドの声溜めラジオでのさーや



恋は終わったものの残り香の変化が凄まじく、これはこれで書きたいからまた今度。
今はとにかく、「自分で自分を幸せにする」をあらゆる手で実践中。
そしたら(私って休日の満たし方うますぎない?!)とご機嫌で過ごせる日が多く、割とエンジョイできている。
人生って、小さい山や小さい谷を通りつつ、長い目で見た時にゆっくりと上昇していく、そんなもんなんだろうなぁ。(まるで世界経済)
予想外の絶望を味わってからが人生の本番。いつか見つけたこの言葉も、案外その通りなのかもしれない。




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