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1.感情の色


 ユウリがダンデさんに勝って、
ガラルチャンピオンになってからその座を守り続けて5年経った冬に
キバナさんとユウリは付き合い始めた。
ユウリの一目惚れから、ずっとキバナさんが好きだと相談を受けていたあたしは、
ユウリの事が好きだと思いを伝えられず、自分の恋心を隠して彼女の応援をしていた。
彼女が20歳になったその日に、
キバナさんから告白を受けたのだと、冷えた街灯の下に2人で並んで腰かけ、涙目になりながら嬉しそうに話すユウリは眩しくて、なんだか凄く遠い存在になってしまったような感覚がしたことを覚えている。
はしゃいで話す彼女に対して、どんな返事をしたのかは、いまいち思い出せない。
買っておいた2人分の缶コーヒーはすっかり冷えてしまっていたと思う。

 この思いは一生伝えられない。
この想いはきっと、一生浄化されることはない。
長年積み重ねてどろどろの呪いのようになったこの感情すらも、隠し続ける事で彼女の傍に居られるならそれでいい。
喪失感も、虚無感も、辛さも苦しみも、彼女が居ればそれだけでいいのだと。
彼女があたしの存在する全ての理由だと。
心からそう思う。

初めて会った時から月日が流れて、ユウリの髪色は明るくなり、
少し大人びた表情には彩色が加わって、女性の香りに変わった。
あたしも腰まで髪が伸びて、それなりに成長し、方言が抜けた。
それでもいつまでも風化せず劣化せず、くすぶって膨らんで、彼女への感情は日々募るばかりだ。


 ユウリとあたしが21歳になった頃、暖かさが消えた真夜中1時過ぎに彼女からの着信があった。
「マリィ、夜に、ごめん。いま、から会える?」
電話越しにしゃくりあげる彼女の声は酷く怯えた様子で、大慌てで上着を羽織り、心配そうに起きてきたモルペコにすら構えずに
土砂降りの中、携帯以外の荷物を全て忘れてなんとか聞き取れた場所へ向かった。
アーマーガアタクシーのおじちゃんが何も言わずに傘をくれた。

ワイルドエリアを深く進んだ逆鱗の湖の一番奥に見慣れた影が小さくうずくまっているのを確認して慌てて駆け寄ると、
真っ赤な目の彼女はあたしを見上げて安心したように
「ごめんねありがと」と力なく笑った。

「キバナさんと喧嘩したの」
「初めてだったからテンパっちゃって」
「マリィしか頼れなくて」

適当な木の下に傘を半分こにして腰かけると、そんな事をぽつりぽつりと震えた声で説明してくれた。
うずくまるユウリの胸元から少しだけ覗いた、いつもであれば陶器のように透き通る滑らかな肌は、ところどころ赤黒くなっているように見えて、
そこだけが浮いて、どうしてかやけに現実味があって、いつまでも記憶から消えない。
湧き上がる怒りを抑えられずに体が震えて、それでも核心に触れてしまったら彼女が居なくなってしまうような気がして、
ユウリが少し落ち着いてからゆっくり歩き、ナックルシティのホテルにチェックインした。
彼女がポロポロと涙を溢すので怯えさせないように初めて同じベッドで眠ったのに、思考は鮮明で、2人とも眠れないのにそれでも一言も言葉を交わさず
ただ静かに手を繋いで横になっていた。
小さな手はいつまでも冷たく震えていて、ときおり鼻をすする音だけが部屋に響いた。
不思議と涙は出なかった。


 その時がキッカケだったのだと思う。
日を重ねるごとにユウリの身体には傷が増えていった。


「マリィ、お待たせっ!
 ほんとにごめんね、忘れ物しちゃって。」
いつものように元気な声が聞こえ、カフェラテから顔を上げると、
息を切らして乱れた髪を撫で、ワンピースに緩いカーディガンを羽織ったいつも通りのユウリ。
いつもと違うところは、左頬に大きな肌色の湿布。
「・・・・、あ、いや、ううん全然待ってない。行こう。」
あまりにも異様なその状態を迂闊にも凝視してしまい、慌てて目を逸らす。
「あ、これ、ね、昨日試合でケガしちゃって、あはは、目立つよね」
彼女は咄嗟に頬を抑えて笑顔を作り誤魔化した。

 ユウリ、そっちは反対の頬だよ。
ユウリは嘘が下手だ。
最近は、笑うのも下手になった。
わずかに腫れた目も、赤い筋の入った唇の端も、隠しているつもりのそのあたりから浮く赤黒さも。
塗りたくった様子の首のコンシーラーから透けて見える仄かに青い、まだ新しい大きな手の跡も、何もかも。
嘘をつくのが下手で、辟易する。
それでも彼女を失うことが怖くて何も言えない自分自身に一番、辟易する。


 話を聞いているとユウリはキバナさんの事が、本当に好きなんだろう。
恐らくキバナさんにとっても、ユウリは本当に大切なんだろう。
ぐちゃぐちゃに歪んだ彼女達の関係を問い詰めて、糾弾して仲を引き裂くのはきっと簡単だ。
それでもそう出来ないのは、この呪いのせいで。

2人の関係に酷く嫉妬して、殺したいほど憎くても、
あたしは女性というだけでユウリにとってのキバナさんにはなれない。
多分女性でなくても、ユウリはあたしを選んではくれない。

あぁこれは呪いだ。

彼女を蝕んでいるのも、感情という真っ黒な呪縛だ。



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