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5.誰かさんが思い出になる日

キバナさんの葬儀は、
吸い込まれそうな程の青色が広がるのにどうしてかいつまでも雨が降り止まない怪訝な気候の日に、関係者のみで執り行われた。

黒色の中から浮かび上がる、蒼白な顔で佇んだユウリは、悲しんで涙を流すでも、取り乱すでもなく、
今にも消えてしまいそうに、ただぼうっと彼の棺を見つめていた。


 莫大な人気を誇るジムリーダーの、あまりにも突然の死に世間は騒めいたが、2週間が経つ頃には少しずつ日常を取り戻していった。
彼が務めていたナックルシティのジムには、カントーからの新しいジムリーダーが選任されたと聞いた。


ユウリは見ていて怖いくらいに落ち着いている。


チャンピオンとしてバトルをし、仕事をこなして、たまにあたしとご飯を食べに行く。
キバナさんが居た頃と変わらない生活をし、明るく振る舞う彼女は、あたしの目には酷く恐ろしく映った。
もう更新される事のない身体の傷は、こびり付いてしまった首筋のアザだけが、独占欲剥き出しの解けない首輪みたいに、癒えずに残っている。
あれからユウリは、時折変な表情をするようになった。
スイッチが入ったかのように空気が切り替わって、目の前にいるあたしすら見えていないような昏い瞳を彷徨わせ、何かに見惚れた様子で虚空を見つめるのだ。
声をかけると気付いて普段通りに戻るのだけど、その後に決まって浮かべる儚げな笑顔は、毎回今にも崩れ落ちそうで。
その度、耐えられないくらいの憂苦があたしを砕く。

彼女はずっと、居なくなったキバナさんに囚われ続けている。
存在が消えてなお深く刺さり続ける猛毒の牙は、ユウリに噛み付いたまま蝕んで抜けない。

 きっとあの人は、これが狙いだったんだろう。
無理矢理付き合わされたバーでの彼の言葉が蘇り、すっと府に落ちた。


『ユウリが自分を愛したまま自殺する事で、ユウリの中に永遠に残り続ける』


いかにもあの男の考えそうな事だ。
彼の見え透いた魂胆は、悲しい位に成就して、彼女を先の見えない暗闇に引き摺り込んだままにした。

息抜きも兼ねヨロイ島への遠征は、無茶を言ってユウリと2人きりで出発した。
どうしても2人で行きたい、と頼んだ際にビートには「そういう事でしたか」という顔をされた。
キバナさんとユウリが交際していたという事は、あたし以外には誰も知らないままだ。

「キバナさんね」
その日の調査が終わり、曇天から僅かに香る雨の気配に備え、大きく張ったテントに防水対策を施している時にユウリがうわ言のように話し始めた。
「酷いよね。
 手紙も何も、残してくれなかったの」
作業をする手は動かしたまま彼女は続ける。
「退院したから、マラサダ食べに行こうって。ほら、この前キバナさんだけ行けなかったでしょ?だから、ちょっと眠って、一緒に行こうねって話してたの」

彼女の言葉が、段々と湿り気を帯びていく。

「ご飯食べたらブティックに行って、指輪買いに行こうって。
旅行にも行こうって、カントーとかシンオウとか、いっぱい、遊ぼうって」

誰かがバケツをひっくり返したみたいな雨が、急にあたし達を打ち付けた。
それでもユウリは話すのを止めない。

「ずっと、一緒に、居るって言ったじゃん。結婚しようって、幸せにしてくれるって、約束してくれたんだ、
それなのに、なん、で、なんでっ....。
キバナさんが居てくれたら、それだけでいいのに、なんでも許して、あげるのに....っ!
置いてかないでよ、勝手に居なくならないでよ、
私一人で、キバナさんが居なかった頃の自分なんて、忘れちゃったよ。
私が、キバナさんを幸せに、して、あげるのに....っ」
まるで駄々をこねる子供みたいにしゃがみ込んでうずくまるユウリ。
掠れた悲痛な叫び声は、雨にかき消される事なくあたしを殴る。
あたしの視界が滲んでいる理由は、きっと雨のせいじゃない。
ユウリは、キバナさんが消えてから初めて感情を吐き出す事が出来たんだろう。
涙を流す事が、出来たんだろう。

その涙が、彼女が前へ進む一歩であると信じて。

彼女から溢れる嗚咽は、エコーがかかっているかのようにあたしの中で鈍く響く。
堪えきれずに、酷く震えるユウリを壊しそうな程に強く抱き締めるとぐちゃぐちゃに歪んだ彼女の顔が上がった。

長年恋焦がれた、想い人。
残酷なくらい、愛している人。

神様、お願いだから。
もう他には何にも要らないから、あたしに。
あたしにユウリを下さい。

居るとも知れない神に、あたしはそれでも懇願する。
彼女まで消えてしまわないように、腕に力を込めてきつくしがみつく。

だってこのままではあまりにも救われない。
絶対にあたしにはくれない彼女の表情にたまらなく嫉妬して、自分自身訳も分からないままキスをした。



 染み込んだ冷たさをお風呂で流し、雨が上がってから2人分の服を干していると、湯気の上がるマグカップを持ったユウリが隣に来た。
2つ設置した簡易的なイスの片方に腰掛けた彼女は、あたしの作業が終わったのを見計らって暖かいカップを差し出してくる。
ココアの入ったそれには、半分溶けた大きなマシュマロが1つ、ブラウンの池を揺蕩っていた。
「2回目だね、マリィとこうやってびしょ濡れになるの」
彼女の眉が困ったように下がる。
「懐かしいなぁ、覚えてる?」
「うん」
「あの時もさ、キバナさんが原因だったよね。ほんとに、いつもごめんねマリィ」
ユウリの頬に一筋だけ流れた光は、カップを包む華奢な手の甲を伝って、柔らかな繊維に吸い込まれた。

「なんかね、最近たまに、全部夢だったんじゃないかって思うの。
長い長い幸せな、キバナさんが居た、そんな夢。
夢みたいに幸せで、嘘みたいに辛いそんな夢をね、ずっと見ていたんじゃないかって」

自嘲っぽく、彼女は空を仰ぐ。

「マリィは居なくならないでね、お願い」
あたしを向いてからそう言うと立ち上がり、ずいっと顔を近付けられた。
シャンプーの匂いがいっぱいに広がって、唇に、つい先程にも感じた柔らかい刺激。

「さっきのお返し」
イタズラに笑い、パタパタとサンダルを鳴らしてテントに戻るユウリ。
フル覚醒したあたしの脳内はそれでも状況が飲み込めずに、間抜けに眼を丸くしたまま暫く活動停止し、ココアよりも自分の方が熱を持っているようにすら感じた。


 これといって特に問題もなく、遠征が終わった。
遠征から帰った翌日に顔を合わせたユウリは、肩甲骨辺りまであった髪をバッサリと切り落とし焦げ茶に染めていて、チャレンジャー時代を彷彿とさせた。
心情の変化があったのだろうか。
彼女の抱える哀情が、少しでも昇華されていればいいと願うばかりだ。



 1年に1度のトーナメントでユウリに勝ったら、ひとつの区切りとして気持ちを伝えようと決めたのは、彼女が初めてチャンピオンとして君臨した時の事だった。

ユウリの首筋からアザが消えて、
あの春から2年が過ぎた、
トーナメント最終決戦。

あたしとユウリの闘いは、モルペコのオーラぐるまで決着がついた。

高らかに勝利を告げるファンファーレと、割れんばかりの茹だるような観客の歓声がスタジアムを揺らす。
目の前には、初めて出会った時と同じ笑顔をしたユウリ。
彼女に絡まる愛憎の鎖から、彼女が解放される日はきっと来ない。

でも、それでも。
そうだとしても。


ちゃんと息を吸い込んで呼吸をしたのは、果たしていつぶりだったか。



全ての音が、
振動が、

遠く響く。


あぁ、心臓だけが、酷くうるさいな。
鼓動の音が、胸元のピンマイクから伝わりそうだ。
少し前はあんなに嫌だった身体の震えが、
今はこんなにも心地良い。





ユウリ、あたしね。
初めて会った時からずっと。
あんたの事が誰よりも、
世界で1番好きやけんね。





今この瞬間だけは観客も世界も、
全部置いて。

あまりにも眩しい晴空の下に、
あたしとユウリの2人だけ。


続けて彼女から貰ったその言葉で。
あたしは初めて上手に、笑えた気がした。




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