wowaka

4月6日だったかな?急遽ヒトリエのツアー中止の案内が出た。最初は風邪かなんかだと思ってた。でも音楽詳しい人達によるとあの中止の案内文は亡くなった時に出る事が多いという情報を見た。
2ちゃんねるのヒトリエスレッドと、メンバーのSNSの更新をチェックした。

前日からSNSの更新がなかったのは、wowakaと ゆーまおだった。
そしてその後だか前だか、kzさんが「もう悲しい話は聞きたくないな」とツイートしているのを発見。wowakaに何かあったと分かった。
その後2ちゃんねるのスレにて「亡くなったって、時期にニュースにでる」とのレス。

2,3日前にツアーしてたし亡くなる要因なくない?と、信じられずにいたが最悪の事態に向けて覚悟はしていた。
そして4月8日の11時頃にwowakaの訃報が出た。
数日前に覚悟していなかったら恐らく自分もショックから心臓発作で死んでたと思う。想定していた最悪の事態になってしまったが想定していて良かった。

ツイッターのトレンドが1位になった。

ツイッターのトレンドがwowakaの曲名で埋まった。

ヒトリエの訃報ツイートが10万リツイートされていた。

僕はそれを見てキレていた。

ヒトリエの苦悩を知っている、ボカロを抜けてヒトリエをやってから伸び悩んでたらスランプに陥ってたり、そういうwowakaの苦悩を全部知っている。インタビュー記事は溢さず読んだ。何回も読み返した。新曲で綴られるwowakaの心境を解釈していた。世間でのヒトリエの知名度は低かったが年始にゴールデンタイムのアニメのEDの担当が決まったりと着実に大きくなっていく姿に、自分のことのように嬉しく思っていた。そんな矢先の、漸くこれからの訃報である。悔しいどころの心情じゃなかったよね。

感情的になってきたので一旦落ち着く。


で、まあその日は一日中何もやる気が起きませんでした。夕方に帰って部屋でずっと泣いてました。比喩じゃないです。泣いてました。自分、それまで親族を永遠に失った事が無かったので、大切な人を永遠に失う事の辛さを初めて知りました。初めて悲しみで泣きました。さらにいうと9年間毎日イヤホンで彼の曲を聴いていました。これも比喩じゃなく親の声よりも聞いた音だと思ってます。私が今こうして初音ミクオタク、ボカロオタクをしているのは全部ワールズエンドダンスホールを聴いたあの瞬間からなので、私の今はwowakaの所為なので何があろうと付いていくと心に決めていました。そんな心から崇拝する方の死でした。これからどうしたらいいか分からなくなりました。無法地帯に放り込まれてしまった人形になりました。それからwowakaの声はもちろん、音さえも聴けなくなりました。前に進もうと再生してもイントロの1秒で吐き気がするのです。そんな人間の仕組みがあるなんて初めて知りました。そこから1ヶ月ほど、一切彼の音楽を聴かなくなりました。


そして気持ちのターニングポイントは4月下旬のニコニコ超会議2019にあります。

僕は毎年ニコニコ超会議のボカニコブースに入り浸っています。今年も変わりませんでした。

例のごとく色んなボカロPやDJが音楽をかけます。

僕は誰かしら、wowakaの話をすると心構えながらいました。案の定DJシーザーが最後にwowakaの話をし出しました。予想済みだったので耐えていたのですが前の女の子が泣き始めたのを見て涙腺決壊寸前。「彼が作った音楽を楽しむことが僕達にできる追悼だ」と聞き、そうだな!と前を向こうと跳ねる準備をしました。しかし、何の曲かは覚えてませんがwowakaの曲のイントロが爆音で流れ出した瞬間、一瞬で心が負けました。1ヶ月塞いできた心に無理矢理流れ込んでくる曲、その場で耳を塞いで泣いていました。一番が終わったあたりで無理になったのでブースを抜けました。聞こえない所に行きました。

そのあとは、ゆよゆっぺさんが、直接は言わないけど追悼を示すMCをしていました。

そして2日目の最後にkzさんのDJでした。いつものように盛り上がっていました。

そろそろ終わりの時間になった時にkzさんが「今日くらいいいよね」とだけ言い、ワールズエンドダンスホールの原曲を無言で流し始めました。予想外すぎて突然のそれにまた泣きそうになりましたが、kzさんは世間に訃報が流れる前にツイートしていたように事前に聞いていたのでしょう、そして同じボカロのフィールドにいた仲間が亡くなったという事実はきっと僕より辛いのだろうと思いました。僕より辛い気持ちの人がこうして自らwowakaの曲を流してるという事実に勇気をもらいました。本格的に前を向くことが出来るようになりました。


確かニコニコ超会議よりも前に本来やる予定だったツアーファイナルでwowakaの追悼ライブをやります。とアナウンスされていた。曲も聴けない状態とヒトリエの最後かもしれないという気持ちがぶつかって悩んでいましたが、ニコニコ超会議を経て行くことの決心をしました。


追悼ライブの時には前を向いていて心情の変化はないのでサクサクと綴ります。

追悼ライブの最後にやった曲、「みんな絶対歌えるから、絶対歌って」と、始まったのはローリンガール。「もう一回!もう一回!」のコール(あえてコールという)を入れてる全ての人がwowakaにもう一度歌って欲しいという思いで言っていたように感じた。そして2番が始まるとシノダは手を耳に当て観客に合唱を求めた。Aメロが終わると「もっとだよ!!」と半分涙声で煽るシノダにさらに泣いた。ライブ会場で自分の声が聞こえるくらい叫びながら歌った。

そしてラストサビ、「もう良いかい?もういいよ、そろそろ君も疲れたろう、ね」の歌詞が全てを言っていた。それはメンバーからリーダーへの、僕達からwowakaへの感謝と安眠を願う言葉だった。

あの日からローリンガールの歌詞の質量が何万倍にもなった。

また、僕よりも遥かに遥かに辛いメンバーが泣きながら演奏している姿を見てまた僕は力をもらい、遂にはwowakaの曲を聴けるようになった。


そして月日は流れマジカルミライ2019である。

事前の特番でwowakaへの特別な演出がある事は分かっていた、また、R3システムの関係からセトリの序盤にローリンガールが来ると予想していた、なのでローリンガールからwowakaの過去の楽曲をサビメドレーで演奏するのだと予想していた。

しかし現実はそんなものじゃなかった、来ると予想していた3,4曲目に来ず、R3パートも終わりMCで言及するわけでもなく、いよいよ分からんぞとなっていた。そしてそのまま本編終了、いつものミクコールが起こる。僕はいつもバンドメンバーが戻ってきてから立ち上がってミクコールに参戦するようにしている。それまではゆっくり椅子で休憩。しかし今回は中々バンドメンバーが出てこない。そろそろだけどなあ、と思っていたら映像が流れ出す。流れた映像は黒背景に白のひし形2つと十字のグリッド背景、まあよくあるモーショングラフィックスの画だ。

僕は趣味で映像制作をしているので、マジカルミライでもミクよりも上のスクリーンのモーショングラフィックス映像やCG映像を見ていることが多い。

その黒背景のモーショングラフィックスの映像が目に入った途端全てを悟った。だって、アンノウンマザーグースの時の上スクリーンの演出映像の1シーンだったんだから。多分初めて今年のマジカルミライを見てあの映像みただけで悟った人他にいないんじゃないかなってレベルで周りが「ミーク!」と言ってる中全てを悟って天井を見上げていた。そしたらまああの演出ですよね、過去の曲と歌詞と、その歌詞が集まってスクリーン上でミクの形になっていくあれ、僕はそれをみて「やめて…」としか言えませんでした。既に号泣の僕はタオルを口元に当て「やめて、やめて、やめて」と言っていました。あのガサガサって感じに編集してるの卑怯ですよね。そんでそのままアンノウンマザーグースが始まりましたがペンライト振れませんでした、タオルで涙拭ってひたすら泣いてしまいました。3ヶ月ぶりに亡くなった事実を突きつけられて心が持たなかったです。その後の曲とか全然分かんなかったです。

そしてマジカルミライ東京1日目を終え、大阪のセトリを見ました。アンコール後のセトリを見て理解しました。明日と明後日はWEDHとローリンガールだと

WEDH は僕の原点の曲なのでそれを思うと泣いてしました。

そしてローリンガールです。

ヒトリエの追悼ライブでその歌詞の質量がとてつもないことになったローリンガール。

ローリンガールの本質は「もう良いかい?もういいよ」だと思っていたので、みんなが、もう一回!もう一回!とコールを入れる中(僕も叫んでましたが)胸の中で「もういいよ」「もういいよ」と言ってました。

ヒトリエの追悼ライブもあの日だけのものだろうし、マジカルミライでwowakaの演出をするのもこれが最後、こんなに大きなところでwowakaにありがとうを言える最後の機会だと思ったので、これは嫌に思う人もいるかもしれないしいたかも知らないけど、ローリンガールが終わった後、wowakaさんに向けて「本当にありがとうございました!!」と叫びました。許してください。

ヒトリエの追悼会では献花で手を合わせて胸の内でありがとうを言うだけだったので声を出せて良かった。


突然の訃報から、超会議、追悼ライブ、マジカルミライを経て現実に向き合えるようになりました。今もこうしてwowakaについて語ったりしてしまうくらいまだ傷は癒えていないけど、カラオケで歌ったりライブDVDを見直せるくらいには元気になってます。

正直もうこれからwowakaの新曲が聴けないという現実には絶望するしかないけど、10年間のうちに発表された曲をこれから僕の生が続く限り聴き回していつまでも胸に居続けてもらおうと思ってます。また、ヒトリエのライブTシャツも普段着として着るようになりました。理由は同じです。

あ、このnoteにオチなんてありません。全部自分語りです。ここまで読んでる人いるのかな?いたらありがとうございますwヒトリエはいいぞ、wowakaはいいぞ


最後に、最初に言ったように僕はwowakaを亡くすまで死というものを架空のものだと思ってました。ですが初めて死というものの存在を真に知って、色々と考えが変わりました。一番デカイのは進路です。いつ死ぬか分からないこの世界で無駄なことしていられないと思いました。死ぬ時は呆気なく死ぬし、死なない時はしぶとく死なないこの世界。何やったって死なないんだから死ぬ前にやりたいことやるべきなんです。wowakaは最後の最後まで大好きな音楽をやっててきっと幸せだったんじゃないかなと思います。だから僕もあの人のようになりたいと思っているので、そうすることに決めました。好きなことやって生きて行くと決めました。結果私は進路として就職を選びました。そして職種はずっと好きだった芸術系に就くことができました。芸術系の職につけなく、下請けのSEになっても再受験して美大に行く予定でした。院に行くか、どんな職につくか、金か、と色々と悩みましたが、好きな事をやる、ということに決めました。死ぬ時に幸せで死ねるように。

wowakaの曲でボカロにハマり、wowakaの曲を毎日聞いて歌って過ごし、初音ミク好きな人がいっぱいいそうだからと大学を選び、大学でボカロ関連のイベントを起こし、wowakaの死で進路と人生の幹を通した。感謝しても仕切れないです。僕の人生全部この人の所為なんです。一生ついていきます。


書きなぐり自分語りでした。文書のチェックはしてないので読み辛かったと思いますが、ここまでご覧いただきありがとうございました。

プリズムキューブは神曲





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