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みえない道

 来た道はどんどん崩れて、後ろには戻れなくなっているのに、目の前は藪なのか霧なのか、なにしろ道らしきものは見えないので、やみくもに進んで、何かにぶつかったり、得体の知れない穴に落ちたりしている。そんな状況で、君たちはどう生きるか?などと問われたところで、うるせえこちとらとりあえず生き延びるだけで必死だ。

 あなたの信じたものが、あなたの世界を構成する、というのなら、悲観的になったらおしまいのような気もするが、ひたすらポジティブなのも気味が悪いし、物語として平坦すぎる。光だけで影がない世界というのもありえないのならば、その陰影は美しい方がいい。

 とりあえず絵を描こうと言ってきた。それが下手くそでも、言葉で構成されたものでもなんでもいいので。自分の好きな世界をイメージできるならコラージュでもなんでもいい。気持ちの悪いものに浸っているのは辛いし、他人の夢ばかり見てもそこには入れないので、自分の世界を描くことからはじめればいいのではないかなと。

 アートとか、そういう名前のついたものは好きではないけれど、なかったものを想像から形に移す、という行為は、魔法の訓練になる。それなら別に絵である必要すらない。

 本と本のつながりを見出して、隣に置くことは、表現としては、かなり消極的で伝わりにくいものだけれど、だからといって、細かく説明しすぎてしまうとつまらない。人によって、繋げ方が違うかもしれないけれど、その違いが面白いと思う。国語のテストに出てくる文章題の正解がアホらしく思えるのは、そこのところかな。

 読んでいたのは真ん中の本で、読んでいる最中に、これはあれかなと引っ張り出してきたのが左右の本である。実際に書名が出てくるのは、右の本で、左の本は、私の勝手なイメージによって接続されているので、著者の意図とは関係ないと思う。こうやって順々につないでいく遊びが店の棚になっている。この遊びがまた、誰かの本棚と繋がっていればうれしい。


 

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