アドバイス乞食達へ

私は人のアドバイスに心を打たれない。
誰かに頼られてアドバイスを求められるのも好きではない。
いわゆる「アドバイス」には、多くの場合責任がまとわりついていないから。

私が何かを選択する時の基準は、自分の「納得」「満足」が最優先。

人に相談する時もあるけど、自分で決めるには選択肢が少なすぎる時だけ。選択肢を増やすために聞く。

人に決めてもらうための相談は絶対にしたくない。

退職の相談も1人で決めた。自分で自分を納得させるための充分な動機をたくさん持っていたから。

支えあって生きることになんの価値も感じない。決めるのは自分。支えてくれる人に、責任を持たせたくない。自分が納得行かない状況になった時に、相手に責任を追求して、自分の腹の虫が収まるまで支配したくなってしまう。その相手が自分なら「まあしゃあないか」と言える。私は私の選択を割りと信頼しているから。不利益こうむっても、受け止められる。

批判や意見を言うのは、個人の自由。それに対してわたしも噛み付くけど、それで終わり。議論にゴールも正解もない。その村社会の正解を大切にしたいなら他人の決めた正解に縋ればいい。

私は私の心の声を愛して毎日「納得」を繰り返して死ぬまで納得に包まれながら生きていく。

自分を納得させてくれるのは、自分だけ。

自分の心の声にひたすら向き合うだけ。

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