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蒸しパン

源氏名としてのわたしは、フォトフェイシャルにしようかライムライトにしようかで悩んでいる。
いつまでも若くいないといけないし、在籍できる限りは可愛くいたい。
基礎化粧品も何層も塗りたくる日もあれば、めんどくさくて化粧水と乳液しか塗らないときもある。
使いきれない美容液やパックが積み重なってる。
キラキラしたアイシャドウが増えて、髪もメンテナンスに行きまくる。
丁寧に皮を鞣しているみたいに。

一方で、家に帰れば何もできず、部屋も乱雑だ。
食べ物さえ危うい。
コンビニにいけばいつも同じものを買う。
飽きてやめて、戻って、また飽きて、その繰り返しだ。
だから体の中はコンビニで出来ている。
最近は蒸しパンか馬拉糕がお気に入り。
昔から蒸しパンは好きだけど、長年の時を経て、再熱したのだ。
空いた時間に食べやすくて甘くてむちむちしていて美味しい。狂ったように、毎日毎日蒸しパンか馬拉糕を食べて、コンビニに馬拉糕がないと不安になる。蒸しパンもない時があると、一日中ソワソワしてしまう。

皮だけキレイでも意味がないのに、見てくればかり気にして、肝心の暮らしや体はほったらかしだ。

セルフネグレクトが常態化すると不思議とあまり気にならなくなってくる。
諭吉を眺めても寿命は伸びないし、むしろ縮む一方。
体を売る仕事で源氏名には、古くから花や果物の名前がいいという。
花は咲く、果物は熟れる(売れる)からだと、某新地のオーナーから聞いた。
ただ花も果物も枯れ果て、腐りゆく運命もある儚いものなのだ。


もし仮に、体内から腐って風と共に塵になって消えるなら、残るのはジェルネイルで艶めく爪くらいだろうか。
残骸、とよぶべきものが少しでもあるなら、腐り果ててもマシかもしれない。

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