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TUDOR Black Bay Fifty-Eightについて

もし、あなたが道で助けた老人から「お礼に時計を贈りたい」という申し出があった時、ロレックスのオイスターパーペチュアルとチューダーのブラックベイどちらかを選べるのであれば、迷わず盾ではなく王冠が文字盤に輝く時計を選ぶべきだと断言できる。では、その選択肢がサブマリーナーブラックベイ58なら?

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本稿は誰もが素晴らしいと口を揃えるチューダーブラックベイフィフティエイトについて。HODINKEEの1週間レビューを読めば、何故ここまで熱狂的に受け入れられているかをすんなりと理解できる筈だ。この通称BB58と呼ばれる時計を私が手に入れてから実に80週間以上が経ち、その深まった愛についてインターネットを通じて伝えることは、新しく発表され続けるファミリーモデルの購入を検討する人にとって一助となるだろうと考え、一切のコマーシャル抜きで文章を認めている。

そもそもの始まりは、チューダーがセルフワインディングの文字が微笑む79220からクロノメーターを取得した自社ムーブメントに切り替えた79230が発表された頃に遡る。時計オタク達は文字盤から魅力的な薔薇が散ってしまった事を大いに悲しみ、別れた恋人について町はずれの酒場で悪態と暴言を吐くように「チューダーのブラックベイは取るに足らないもの」「あくまでもディフュージョンラインであってプアマンズロレックス」「一部のマーケットを相手にした下品なブランド」などと蔑み、言わば過小評価していた。余程ショックだったのだろう

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それがBlack Bay Fifty-Eightの登場した瞬間、世界で最も素晴らしいツールウォッチの一つとして満場一致で挙げられるようになったのは、ピンクに近いイエローゴールドのインデックスと黒のコントラストによるヴィンテージの風格もそうだが、なんと言っても41mmから39mmへとダウンサイジングした事が理由であることは誰も異論を唱えないだろう。たった2mmの差ではあるが、この2mmでチューダーは大きく躍進した。

僅か0.1インチに満たないシェイプアップによって、兄弟機種間(つまりノン-フィフティ-エイトと比べて)で5%コンパクトになっており、これが適切な喩えかどうかは怪しいが、身長ならば180cmと172cmと言うことになるし、もうすっかり忘れてしまったかもしれないけれど、古き良き消費税が5%だった2014年にタイムスリップするような感覚がこの2mmにはある。

加えて重量も183gから143gへとダイエットしたことで22%も軽量化。これは体重が85kgであれば66kgに減量したことを意味する。ワオ。言うまでもなくサブマリーナーと比べてもかなりスリムで軽い。時計のBMIや標準体重を計算する方程式はまだ明らかにされていないが、物理的にも金銭的にも79030ことBB58はカジュアルさを手にし、それは絶対的な知性であるかのように受け止められている。

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冒頭でも述べたように、ロレックスのサブマリーナーと比較される事も多いが、仮にあなたがここ30年の間に4桁か5桁のリファレンスナンバーのサブマリーナーを幸運にも入手していたとして、それを理由にBB58を購入することを躊躇う必要は全くない。似て非なる物だからだ。倍の価格差があることさえも逆にあなたのパーソナリティを伝える手段となり得る。大袈裟に言えば、このややアンティーク調のダイバーズウォッチを買うことは、エンジンが地球環境に優しいモーターに換装されたポルシェの初代911を、新車で、しかもかなり手頃な価格で入手できるような話に近い。

言うまでもなく、新型のサブマリーナーは素晴らしい。入手するのがほぼ不可能な状況下で褒めちぎるのも癪だが、大型化を感じさせないラグとブレスレットのバランスは、パリで発表されるブランドのモード・コレクションのような驚きがあるし、セラクロムのベゼルが放つ鋭いエッジの輝きは10フィート先からでも俺はロレックスのオーナーなのだと主張することができる。ただし、それは時として大袈裟過ぎたり、居酒屋で往年のヒットソングが流れ出すと気になって会話に集中できなくなってしまうように、せっかくのコーディネートを台無しにしてしまう可能性もある。

その点においてBB58は全体的に落ち着いた雰囲気があり、時間に縛られたくない休日であってもアクセサリー感覚でそっと左手を彩る。ホリデーシーズンをロビーに暖炉があるようなホテルで過ごす際にローゲージのセーターから覗かせる為に設計されたようでもあるし、少し色褪せた黒いTシャツと初夏の日焼けした肌にマッチするように夜光塗料のエイジングを計算したと言われれば、きっと信じてしまうだろう。

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2020年には、夏のビーチで着る白のリネンシャツに合わせるのに打ってつけのカラーバリエーションであるネイビーブルーが発売された朗報も忘れてはならない。この「ネイビー」とは言うまでもなくフランス海軍のマリーンナショナーレのことであって、先日パートナーシップの再構築が発表されたので今後の展開にも期待が持てる。

海を思わせる青い文字盤を採用するロレックスのダイバーズウォッチは青サブのみだが、その快活な明度やコンビであることの贅沢さは特別な存在であるものの、沖縄のリッツ・カールトンで過ごすリゾートバケーションより日常的な、つまりそれは海に行きたいとせがむ娘を連れて湘南までドライブする週末にはトゥーマッチかもしれない。そんな時に純白のインデックスが爽やかな紺のBB58は、これ以上ないムードを演出できる素晴らしいチョイスだと言えるだろう。

今後、ブルモク(青い文字盤目当て)でオメガやタグホイヤーのことをもう考える必要がなくなったことは大きい。青と言えばペラゴスという選択肢も無くはないが、あまりに男性的過ぎる四角いアワーマークと独特のクラスプ、そしてLHDを設定するような思想からも理解できるようにナード向けであるので、ギークである私達はチューダー以外の選択肢を考えるのであれば、振り切って海を想像させないブルーウォッチ、例えばIWCの星の王子さまモチーフ等が候補にあがるだろう。

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そして更なるニュース。今年のWatch and Wondersで発表されたサテン仕上げの貴金属製の新作には、シースルーバックという新しいオモチャが与えられロレックスとの更なる差別化が行われた。これはポジティブに受け止めたい。ブレスレットモデルを発売しなかったのはコストもだが、過去のS&Gモデルからも分かるように依然としてテクニカルな問題があり、折角のダイエットをリバウンドさせないためだと考えられる。925と名付けられたスターリングシルバー(!)にトープダイヤルの新色は恋に落ちるような早さで私を虜にした。

灰色の持つアンニュイな表情を求めてIWCのスレートグレーであったりウブロのレーシンググレー、あるいはブルガリのチャコールグレーを好むような層にとって、異なるアプローチだが好意的に捉えられるだろう。ショパールのアルパインイーグルのスモールサイズにグレーがないと嘆いていた諸君にもきっと刺さるはず。何よりも銀という素材のチョイスは全くもって刺激的だ。

イエローゴールドグリーンの文字盤とアリゲーターストラップのコンビネーションである18Kは、いわゆる"ツウ"と"ミーハー"向けの美味しいとこ取りで、スペック偏重型の評論家からも嫌われない世界観を確立。HODINKEEの速報記事中に「乾いた埃の多い基地に駐留する将校が手にしそうな雰囲気」という完璧な表現があったが、基本的にはそれで全てを説明できるだろう。

180万円というプライスをロレゾールのシードゥエラーと同じと考えるか、それとも金無垢のサブマリーナーの半額と考えるべきかは、メタルブレスレットの有無やケース自体がゴールドであるという点を熟慮しなければならないが、数あるゴールドウォッチの中でも稀有なマイルドなビジュアルとホットなマインドを併せ持つ存在であることは間違いないだろう。

これまでもチューダーには特徴的なブロンズモデルがあった。PVDコーティングのせいなのか、もしくは銅という素材そのものの特性によるものなのか、経年変化を謳い文句にし過ぎるデニムメーカーのような堅苦しさ、敢えてカッパーのZippoを購入するような気恥ずかしさに近いと受け止めていたが、2つのニューモデルはBB58シリーズを次のステージへと導き、新たな時代の到来を予感させる。

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すっかり話が大きく脱線してしまった。ブラックベイにも僅かながら課題点はある。例えば、チューダーのモチーフとして定着したイカ針よりも、正直に言ってメルセデス針の方がムードがある。リシェイプされたスノーフレークはシンボリックだがモダン過ぎるからだ。

BMWのキドニーグリルと違い、チューダーのアイデンティティを表現する方法としてクロックハンズに固執する必要はないと言うのは、誰もが思いつくことだろう。奇跡的にダイバーズタイプは文字盤内に存在する記号のバランス※が良くクロノより顕著でないものの、素直にペンシルタイプであればとも思う。私が彼らの哲学をまだ理解できていない証拠かもしれない。

ー△○□ー 伝わるだろうか。おでんの串、つみ木、あるいは美大の入試で課される空間構成のよう。

クラシックなフェイクリベットのブレスレットには賛辞を送りたいが、バックルや刻印からはあまり愛情が感じられない。セーフティキャッチに盾のモチーフを使うアイデアは決して悪くないが、もう少しデザインの精度を高めて欲しいと思ってしまう。少し辛口に述べれば新卒のジュニア・デザイナーに丸投げした印象は拭えないが、この価格帯の時計に対しては過剰要求だとも言える。

また、COSCを取得した自社キャリバーのMT5402(5400)は70時間のパワーリザーブを誇り、マニュファクチュール搭載であると誇らしい気持ちにさせてくれる反面、オーバーホールの際は修理されず交換されると耳にした時は、ひどくガッカリした。なんだか急に安物の腕時計のように感じてしまったからだ。

私はETAやセリタの凡用ムーブメントは適材適所で使えば良いと思っているし、ユーザーの経済的な利便性を追求するのであればそれが最適解なのだと理解はできるものの、メーカーから「この時計は使い捨てです」と暗に伝えられる事は頂けない。高級時計は夢を売る商売なのだから。当然私も大人なので、メンテナンスの際に「オプションとして分解修理ではなくムーブメントの交換を希望されるのであれば費用は1/3になりますが如何されますか」と言われれば、大いに自身の選択に納得するのだけれども。

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さて、そろそろ最初の質問に戻る事にしよう。ロレックスとチューダーどちらを選ぶべきなのか。ーーー出来ることならば、助けた老人がイソップ寓話のヘルメースで「あなたが欲しいのは金のBB58ですか?銀のBB58ですか?それともステンレススティールのBB58ですか?もしかしてサブマリーナーですか?」と尋ねることを願う。そして、どうか正直者の私にすべてを与えてはくれないだろうか。



※この記事は4/7/2021にWatch and Wonders Genevaのデジタル展示会を見て興奮のあまり深夜に書き殴ったもので、翌日に加筆と画像を加えて公開しようとしていたらすっかり仕事に追われ存在さえ忘れていたものである。1ヶ月ぶりに読み直すとあまりにもな内容なので公開を躊躇ったが、このまま下書きに埋もれさせてしまうのもと思い時間を割いて可能な限りの加筆修正を行なった。あまりにモテから遠い文章である。HODINKEEやwebChronosのような読ませる文章を中心としたオタク向けのコスメに関するウェブサイトがあったら良いのになとふと思いつく。


6/26追記

スウォッチグループに対する経緯は前回のブラックベイセラミックについてで触れたが、オメガ憎けりゃ五輪まで憎いのか金と銀に続いて遂に銅のフルブロンズモデルまで発表されてしまった。もうここまで新作を連投されると生き急いでる感じさえするわ…チューダーどしたん?話きこうか?^-^

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クラスプ改良を大きくフィーチャーしてるけど、このnoteで偉そうに指摘してた通り造詣レベルが甘かったセーフティーキャッチがTモチーフに改良されグンと質感を上げたのはマジでめでたい話。T-fit言うんやて、へえ。ネーミングはさておき今後「T」を推してくのは良さそう。私の霊感だと針にもTデザインが採用されると思うんよね、そう、ベンツ針ならぬT針です。いやこれは絶対に当たる。我ながら書いてて自分天才やんなと思ったし。

ここまで素材が色々と揃ってくると次の一歩として異素材ミックス、そうウブロ十八番のフュージョンみたいなんはやるでしょう。現状でも既にブラックベイセラミックではセラミック&スチール&レザーをコンビとして機能させてるけど、より大胆に打ち出していく、そういうバイブスを感じます。新文字盤はオニキスが最有力候補かなー、シェルやウッドだとクオリティコントロールの面で不安が残る。あとは今後アメリカ市場を重視する方向へと転換する際に、おニューのカリフォルニアダイヤルでバカ売れって算段よ。▽を盾にする日も近い。

占い師みたいになってきちゃったのでもうやめとくけど、チューダーはそろそろダイバーズ以外も攻めて来ることもお忘れなく。。

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