『お兄ちゃんはおしまい』とバ美肉おじさん

はじめに

 『お兄ちゃんはおしまい』というアニメ、原作コミックがあります。あらすじはこうです。ニートの成人男性まひろが妹の薬と策略により美少女になり、女子中学生達と仲良くなり、やがて彼女達が通う中学校に通い、日常系のような日々をおくる内容です。

 この作品はバ美肉おじさんになるような層に好まれ、欲望を投影していると思われ、尚且つ初出が2017年2月というバ美肉おじさんが誕生する直前に始まったので、そこにはバ美肉おじさんが現実化する前の現実に揉まれていないバ美肉おじさんの願望を投影した世界が広がっていると思われます。それと現実を比較する事で何が実現し、何に実現しなかったのか、その違いは何を意味するのかが分かると思います。

実現した事

 実現した事は二次元美少女の姿になり、オシャレを楽しみ、他の二次元美少女と交流する事です。

 具体的には、作中では主人公であるまひろが最初は嫌がっていたものの、段々とお洒落に目覚め、楽しむようになっていきました。

実現しなかった事

 それは生物学的女性と同質の存在であると自己規定しなかった点です。

 おにまい作中では、まひろは最終的に女子中学生として中学校に通うようになります。つまり、作中ではあの姿になる事は女子中学生になる事を意味しているのです。

 しかし、現実のバ美肉おじさんは自らを「バ美肉おじさん」と呼ぶ事でむしろ自らがおじさんである事をアピールし、おじさんが二次元美少女になる事に意味を見出しています。

作中で実現した事以上に実現した事

 それは望めば永遠に複数の二次元美少女になる事ができる事です。

作中ではあくまで性転換で若返りなのでなれる美少女の姿は一人でしたが、現実のバ美肉では複数のアバター所持する事で複数の美少女になる事ができます。

 また、作中でなったのは生物学的女性でしたので年を取りますが、アバターは年を取らない為に望めば永遠に美少女になる事ができます。

おわりに。実現した事、実現しなかった事が意味するもの

 それはバ美肉おじさんは二次元美少女としての美を追求しても、女性を模倣する事を追求しなかった事です。

 なぜなら、実現しなかった事は生物学的女性に関する事で、実現した事と原作以上に実現した事は二次元美少女の美に関する事だからです。

 その事から、バ美肉おじさんは二次元美少女としての美を追求しても、女性を模倣する事を追求しなかった事が分かります。

 この願望の追求はメタバースができて、実際にバ美肉おじさんになれるまでは未分化のままで、メタバースができて、実際に経験ができるようになってから本当の願望、本当に追求したかった事が分かるようになったと思います。

 また、メタバースによって培われたこの文化と知見は現実の体験を元にフィクションを作るかのように、フィクションにフィードバックされると思います。

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