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【339日目】:ワクチン

ご隠居からのメール:【ワクチン】

順天堂大学付属浦安病院で三回目のワクチン接種を受けた。これでコロナウイルスへの私の抗体は最強ブースターになったと医師は言う。

しかし、ワクチン接種にはほんとうにコロナ禍を予防する効果があるのか、という根本的疑念は残る。昨年の春頃は、ワクチンにゲームチェンジャーだという期待が高まり、私自身も「ワクチン接種がすすめば、コロナ禍は終息に向かうだろう」という期待を強く抱き、五月と六月に一回目と二回目のワクチン接種を受けた。

ところが、正月明けにはコロナ陽性が確認され、入院する羽目に追い込まれた。接種の半年後には抗体が減ってしまったのだ。そんなに早く抗体が減少するようなワクチンはそもそも最初から、接種の効果がなかったことを意味するのではなかろうか。

しかし、入院して、手厚い治療を受けた結果、私の症状は重症化せず、命拾いした。それは、一回目と二回目のワクチン接種をしたからだともいえないことはない。もし接種していなかったら、私は死んでいたかもしれない。

どちらの見方が正しいかは霧の中。医学は謎だらけのミステリーだ。


■中世太平記

原稿ネタをひとつ提供すると、北条政子まさこ、阿野簾子れんし、日野富子とみこという日本史を動かせた三悪女というテーマで随筆を一本書いたらどうだろう。阿野廉子と日野富子は自分の胎を痛めた愛児を権力の座につかせたいという欲望があらわになっていて、ある意味動機がわかりやすい。女とはそんなものだと片づければすむ。

ところが、北条政子は違う。権力の座についた愛児よりも実家の父や弟のほうが大事だという異色の筋書きのファミリーヒストリーになっている。源頼家よりいえ殺しや源実朝さねとも殺しに政子が直接関与した証拠はあがっていないが、間接関与が疑われる余地は残している。

源氏の家に生まれないと征夷大将軍にはなれないという暗黙の掟があったといわれ、北条氏の執権は誰も征夷大将軍になっていないが、後醍醐天皇が一時的にでも息子の大塔宮を征夷大将軍に任命したという話題も面白い。

足利尊氏たかうじが白拍子に生ませた足利直冬ただふゆを足利直義ただよしが養子にして事態を複雑に混乱させたのも、タテマエを重視したためだろうか。こんな話は細川、山名、斯波、畠山、佐々木、赤松など、有力大名家でも後継者争いにからめてゴロゴロころがっているだろう。


返信:【Re_ワクチン】

阿野簾子れんし、北条政子まさこ、日野富子とみこの随筆はいいね。ぜひとも、題材にして書いてみたいと思う。しかし、最近、どのように歴史を辿り、記していったらいいか悩んでいる。それは、「家系図」に登場する長谷部氏のご先祖様の記録が、1467年(応仁元年)「応仁の乱」までないからだ。

なので、「尼子の落人」という言い伝えをもとに、血筋としてのご先祖様、佐々木道誉どうよを遠い先祖と見立てて、歴史を追いかけていこうと思うと、「バサラという生き方」をなんとか、カタチにしたいね。

一方では山名氏の台頭を知る必要があるね。山名氏は、高師直もろなおが、足利直義ただよしを失脚させるために、足利尊氏たかうじの屋敷を囲んだ頃あたりから台頭してきた人物。それから、どのように活躍して六分の一殿になるのか、知る必要があるな。それを調べなければ「応仁の乱」を理解することができないだろうな。

師直もろなおは、バサラといわれているが、ただの、傍若無人の乱暴者にもみえる。それに比べて、佐々木道誉どうよは、足利尊氏たかうじがみた理想に共感していて、立ち居振る舞いが華麗だ。


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