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【364日目】伝蔵さんからのおくりもの


「今回の伝蔵さんが残した言葉は『息子へ紡ぐ物語』のいや、ファミリーヒストリーの真意なんじゃないかな」と、物語作者のLittle Vaaaderはコメントしている。その意見を採用して、現代語訳「でんぞうさんからのことばのおくりもの」を【364日目】に再掲することにしよう。


そもそも自分というものが、今もこうして生きているのは天地のおめぐみである。そして両親のおかげである。父は天なり母は地なり。父と母がいなければ自分は生まれない。ところが、父と母にも両親がいる。わたしには無数(むすう)の親(ごせんぞ)がある。わたしは、肉体的にも精神的にも無数の親の遺伝子(いでんし)を受けついでおり、無数の親の総代表(そうだいひょう)として今ここにこうしている。

しかも、わたしの無数の親は善いこともしているが、悪いこともしている。徳(とく)を積(つ)むいっぽうで、罪(つみ)も重(かさ)ねているのだ。積善(せきぜん)の家に余慶(よけい)あり、というのは善のほうが罪よりも多い家のことだ。 

ぎゃくの場合(ばあい)は、親の因果(いんが)が子に報(むく)い、となって、子はよけいな苦労をする。わたしは無数の親の悪なる所行(しょぎょう)にたいしては責任(せきにん)をひきうけるが、善なる所行に対しては、徳に受け、こころから感謝するようにつとめよう。

西村伝蔵

伝蔵さんの言葉をかみくだいた現代語訳、よくわかると息子が言ってくれたのは心強いが、気がかりなのは、中学生の孫息子や小学生の孫娘やその他の孫たちや、まだこの世に生まれていないひ孫たちがわかってくれるだろうか、という疑問だ。

はたしてどこまで関心を抱いくれたかはわからないが、とりあえず、あらためて書きとめておくことにする。


西村(旧姓松田)伝蔵さんは明治二十年(1887)、松田家の五男として生まれて、隣家の長谷部家の養子になり、私の祖母津弥つねの婚約者になった人だ。そのままおとなしく養子の身分に甘んじていれば、伝蔵さんと津弥さんとの間に子どもが生まれ、長谷部家の跡取りになるはずだったが、『釈尊伝』を読んだ伝蔵さんは、自分にはもっと大きな使命があることを自覚した。ある夜、彼は、養父母と許嫁に決別を告げ、郷関を出たという。

伝蔵さんのことは、『神郷町史』の「人傑不毛の地の人物略伝」で紹介されている。私の実家にはなぜか『神郷町史』がないので、長い間、気がつかなかったが、たまたま有栖川公園内の都立中央公園を訪れたとき、書架に『神郷町史』があるのに気がつき、伝蔵さんという偉大な宗教人の存在をはじめて知ったのである。

伝蔵さんのDNAは私には伝わっていないが、同じ家で少年時代を過ごしたご先祖の一人として敬意を抱いている。


返信:【Re_伝蔵さんからのおくりもの】  

読み仮名もいいね。子供たちは「徳」のことがわからないかもしれないから、八徳の説明 もわかりやすく書いておいてよ。子どもたちにとって祖父からの教えは、人生の支えになるはず。

善い行いをすれば、自分にも子孫にも善いことが起こると知れることは大切だ。逆に悪い事は、七難八苦と受け止めて、それを乗り越えると自分や子孫に善いことが起こると理解できるといいね。

いままで生きてきたなかで、このような、考え方をしたことがなかったが、「息子へ紡ぐ物語」を通じて、大変な歴史のなか、ご先祖さまがなんとか生抜いてきた、形跡が見えてきたし、無数のご先祖さまの存在があるということを知ることができた。

そもそも、お父さんとお母さんがいなければ、じぶんの命はない。長谷部家の家訓や家督を手放してまで、満州や蒙疆で夢を追った與一お祖父ちゃんや、26歳の若さでこの世を去った貴美子お祖母ちゃんがいなければ、じぶんの命はない。

曾祖父母が長谷部家の養子にならなければ、じぶんの命はないし、お祖母ちゃんのお父さんが救世軍に入らなければじぶんの命はない。このように、父方、母方のご先祖様を辿っていくと何十万通りのご先祖さまが存在するわけだね。

そして、精神的にも肉体的にも、じぶんの存在そのものは、無数のご先祖様のかけがえのない命と、人生や想い、願いが詰まって、ここにいる。だから、じぶんをもっと、大切にしなければいけないと思えてきたよ。

それを、知ることができただけでもありがたいのに、ご先祖さまの徳や罪が、いまの「くらし」につながっていると思うと、確かにそうかもしれないなとまで、気づくことができた。

これは、現代を生きているじぶんへの大切な言葉だ。時代を超えた因果応報。じぶんの人生がこれほど、運よく事が進み、家庭を築けているのは、ご先祖さまのおかげだし、ご縁や運命、宿命を含めて、目の前に訪れる七難八苦は、立ち向かったり、迂回して、なんとか乗り越えるしかないね。

そして、たくさんの徳を積むことができれば、子孫たちに善いことが訪れる。もちろん、じぶんは、そんな完ぺきな人間ではない。ロクデナシに誇りをもってるから、子孫たちに迷惑かけてしまうかもしれないけど、そんな先祖でも、いなければじぶんの命がなかったと割りきって、七難八苦を乗りこえてもらうしかないね。


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