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【350日目】:長谷部氏か松田氏か

ご隠居からのメール:【長谷部氏か松田氏か】

我が家のご先祖は尼子の落人という言い伝えがあるが、同じ言い伝えは隣家の松田氏にもある。松田氏の墓地にはご先祖様の墓だけではなく、祠もあるという。

尼子氏の歴史をみると、尼子十旗の筆頭に松田氏の名がある。宍道湖北岸の白鹿城主が松田氏を名乗っており、特に松田誠保さねやすは尼子十勇士の一人に数えられている。白鹿城しらがじょう美保関みのほせき及び中海なかうみの水運を押さえる商業・経済の要衝であり、尼子氏の支城中、随一といわれた堅城でもあった。

ところが、尼子側の武将の中に長谷部氏の名はない。それどころか、「陰徳太平記」などの軍記によれば、長谷部元信もとのぶが毛利側の武将として戦功をあげている。とすると、松田氏は尼子の落人だったが、長谷部氏は尼子の落人ではなかったことになる。

では、長谷部氏のご先祖はなぜ尼子の落人と称したのか。それには深い事情があり、屈折した心情に根差す切実な叫びがあったのではないかと推察される。


返信:【Re_長谷部氏か松田氏か】

長谷部氏が「尼子の落人」と称する方が違和感あるよね。それだけ、氏を残したかったのだろうか。それとも、「尼子の落人」と称した方が都合良かったのか。

大倉山を超えた、日野下榎には「厳島神社」と長谷部館がある。神主は、長谷部氏だ。長谷部信連のぶつらの「信」の字や、「連」の字を代々名付けられていた形跡もある。

それなのに、わざわざ、隣村の岡山県高瀬に落ち延びて、長谷部を名乗っていることに意味を感じるな。我が家のご先祖さまは「與」の字が継がれているようにもみえる。「與」の字だと、大内義興よしおきや塩冶興久おきひさを想像してしまう。

それにひきかえ、松田氏は正真正銘、「尼子の落人」ということになるのかな。松田誠保さねやすは、尼子政久まさひさの娘を妻として娶っているしね。

ただ、戦国期に長谷部氏と松田氏が高瀬村の百姓に落ち延びたことは、間違いなさそうだ。氏であれば、長谷部信連のぶつら。血筋でいえば佐々木道誉どうよということになるが、よくいえば、いいとこどり、悪くいえば、どっちつかずというところか。

それでも、氏とDNAは、今日まで引き継がれている。


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