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【353日目】:妙見神社か八幡神社か

ご隠居からのメール:【妙見神社か八幡神社か】

実家は八幡神社の氏子だったが、神様は他にも数多おわしました。妙見様、薬師様、大師様、荒神様、不動明王様、摩利支天様、天皇陛下様、皇后陛下様、等々。

妙見さんと、親しみをこめて祖母が言うのを聞いたことはあるが、私は妙見神社にはお詣りしたことがない。ネット検索で調べてみると、鳥取県側の隣村に標高684mの妙見山がある。山上には永正年間(1504~1520)尼子氏によって創建された山城があり。山麓は福栄神社の境内になっているという。すると、妙見神社は実在していないのだろうか。

心配することはない。妙見神社なら日本全国至る所で参拝できる。近いところでは千葉市中央区の「千葉の妙見さん」だ。千葉氏の祖・平良文が守護神として御尊体を迎え、嫡孫の平忠常に至り現在地に勧請された。

「妙見」は北辰(北極星)に通じ、北辰妙見信仰と結びついている。八幡神社が源氏の氏神とされているのに対して、妙見神社は厳島神社とともに平氏の氏神だったようだ。

実家はご先祖が尼子の落人という言い伝えがあるが、もしかすると、もっと古い時代には平家の落人だったのかもしれない。



返信:【Re_妙見神社か八幡神社か】

今年のはじめ、鎌倉の鶴岡八幡宮で初詣をした。神社での参拝とは、自分自身の誓いを報告するものだと、教えてもらってからは、そのようにしている。

地元の駅前にある八幡宮にも、頻繁に参拝するようになった。嬉しいこと、悲しいことがある度に、報告をして、その度に、自らの誓いをたてている。

ここ数年、機会があれば神様に誓いをたててきたが、じぶんの身の回りに訪れた、七難八苦をのりこえられたのも、神様が、自分自身の覚悟を聞いてくださったからだと、こころのどこかで思っている。

すなわち、何事も、自分自身のキモチ、こころ次第ということになるわけだけど、じぶんでもよくわからない、こころというものを支えてくれて、拠り所となる場所が神社というものなんだな。

それには、ご先祖さまが信じ続けてきた、神社のほうが、自分自身の覚悟も一層、強くなるというものだ。機会があれば、妙見神社や厳島神社でも、ご先祖さまに誓いをたてよう。そう考えると、源氏と平氏の氏や血筋を継いでいると、知っていることは、じぶんの人生にとって、とてもこころ強い。


こんな、メールを書いたあとに仕事で元町中華街へ行った。ひと仕事終えたあと、せっかくだから、中華街で食事をしようと思い、歩いていたら、なんと、「元町厳島神社」が目に入った。

祀っている神様など違うかもしれないが、あのような文章を書いたあとだったので、ご縁を感じ参拝した。こういうことが、なんか、不思議なんだよな。

父さんからメールが届き、機会があれば、八幡宮だけでなく、妙見神社や厳島神社に参拝しようと思い立って日に、全く知らない土地で、厳島神社とで会う。不思議なご縁だなー。


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