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【305日目】病院食

ご隠居からのメール:【病院食】

体温、血圧などの数値は安定している。点滴の血液ササラにするチューブの投与は中止したが、酸素飽和濃度は相変わらず95%前後を示している。

21時00分、医師回診。肺の炎症は緩急・増減を繰り返しているが、酸素吸入がまだ不十分で、月末退院は難しそうだ。

コロナ患者は、一日三回、病院食を与えられる。朝食は午前8時頃、昼食は正午頃、夕食は18時頃。メニューは栄養バランスを考慮して、つくられているはずだが、豪華な刺身やてんぷらやステーキが出てくるわけではない。ボリュームはやや少なめで、自宅で食べているボリュームのおよそ七分目くらいだ。

コロナに感染したにもかかわらず、私は食欲旺盛で、味覚嗅覚障害もないので、病院食をおいしくいただいている。ボリュームに関しては、物足りなさを感じるほどだ。というのは、食事の時間が近づくと、なんとなく空腹感を感じてくるからだ。この空腹感は昭和二十年代にも感じたなつかしい感情だが、そのなつかしい感情がよみがえってくる。

この世をば 我が世と思ふ 望月の 欠けたるところ なしと思わば

位人臣くらいじんしんをきわめた摂政関白せっしょうかんぱく藤原道長ふじわらのみちなが作と伝えられる和歌だが、今の私は、

この世をば 君が世と思ふ 望月の 欠けたるところ ありと思わば

という気分に近い。君が世の君はだれでもよい。よきにはからえ。


返信:【Re_病院食】

規則正しい、バランスの取れた病院食が、人が本来目指すべき食事なのであれば、毎日の食事は贅沢だね。戦時中や中世の日本国民は、今日の食事にありつけることすら、難しかったのに。これもあたり前の「くらし」になれてしまい、感謝することさえ忘れてしまう。

「この世で自分の思うようにならないものはない」と、藤原道長ふじわらのみちながが和歌にしているのであれば、それはそれで、悲しい人だなと思えてしまう。

平安時代とは違い、今の時代は、物があふれている。手に入れようと思えばたいがいの物を手に入れることができる。物質的豊かさは庶民でも満たされている世なのだ。

だからこそ、精神的豊かさ、心豊かに過ごすために時間を費やした方が、その人の人生は、しあわせなんだろうな。大切な人のために生きて、足るを知り感謝する。

やはり聖人君子の生き方が大切なんだろうけど、じぶんは、自分も楽しみたい。これだけ息苦しい世の中なんだから、少しくらいロクデナシでいる方が丁度いいだろう。

「ロクデナシと聖人君子」「過ぎたるは及ばざるが如し」そして、「及ばざるは過ぎたるに勝れり」だな。

たまには、コッソリ酒でも飲みなよ。


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