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【284日】疫病の日本史

ご隠居からのメール:【疫病の日本史】

人類の歴史をふりかえってみると、狩猟や漁撈を中心に暮らしていた大昔、日本でいえば、縄文時代には感染症は大流行していない。少人数で野山や海浜で動物を狩り、魚介類を採捕する暮らしでは、いわゆる三密(密閉・密集・密接)にはなりにくい。

弥生時代になって、農耕社会へ移行すると、人口が増加し、三密にもなりやすくなったが、周囲を海に囲まれた島国なので、外国と接触する機会が少なく、細菌やウイルスが侵入する機会も少なかった。パンデミックと呼ばれる世界的な感染症の蔓延の影響は比較的受けにくい。

それでも、天平時代になると、天然痘てんねんとうが大流行し、一説によると、総人口の三十パーセントが死んだ。当時の総人口は約六〇〇万人、死者数は一八〇万人にものぼったと推定される。なかでも、権勢をふるっていた藤原不比等ふじわらのふひとの息子、武智麻呂むちまろ房前ふささき宇合うまかい麻呂まろの四兄弟が二年間のうちに次から次へ亡くなったことに衝撃を受けた聖武天皇しょうむてんのうは、疫病退散を祈願して東大寺の廬舎那仏るしゃなぶつ(大仏)の建立に踏み切ったという。


返信:【Re_疫病の日本史】

今日は、2022年の初出勤日だ。通勤電車にはそれなりに人が乗車しており、座席には座れない。年末年始休暇の日数が例年より少なくもう少し休みたいところだったが、正月ボケでいつもより遅い時間に家をでてしまった。

正月ボケといっても、今回の年末年始は、ジョギングをしたり、noteの原稿を書いたり、カラオケや初詣に行ったので、充実した年末年始休暇だった。ただ、飲みすぎなのか、食べすぎなのか、胃の調子はずっと悪く、毎日胃腸薬を飲んでいた。


奈良の大仏は、聖武天皇の時代、西暦700年くらいに疫病退散を祈願するためにつくられたのだね。知らなかった。大仏は過去に何度か焼失しているようだけど、当時600万の人口のうち、260万の人が工事に携わったという。これは、幼児や老人、病人以外の日本国民ほとんどの人が、奈良の大仏をつくったと考えてもいいんじゃないかね。

日本の文化、伝統を象徴する国宝だけれどもこの頃にも、じぶんのご先祖様がいたはずだ。当時、流行り病に感染して亡くなった方もいるかもしれないし、大仏工事に携わった方もいるかもしれない。

あの頃のご先祖様が存在したから、いまのじぶんが、ここに存在している。現世はどんどん変化していくものだけど、ご先祖さまが残した日本の文化伝統は、これからも大切にしていきたいな。


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