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【94日目】人間失格

ご隠居からのメール:【人間失格】

太宰治『人間失格』ではオレの経験と重なっている箇所がある。たとえば、

自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳を二列に向い合わせに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十数人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。

これは五歳か六歳の頃、高瀬での経験に似ている。膳がひとつずつ縦に並び、上席には勝治郎さんが座っていて、威厳があった。女の人は列の前にいて、もっぱら給仕にあたる。封建的な男尊女卑の典型的な風景だ。廊下から庭に向かって小便をしていたところを見つかり、勝治郎さんにきつく怒られた記憶がある。

また自分は、肉親たちに何か言われて、口応(くちごた)えした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂(へきれき)の如く強く感じられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系の「真理」とかいうものに違いない。自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。

この描写も自分の経験した少年時代の思い出に近い。これもファミリーヒストリーにはちがいないが、昔風の大家族制度の生活習慣と成人後、人間失格の人生につながりかねない萎縮した心理の少年時代だったと思う。


返信:【Re_人間失格】

1945年の敗戦後でも、そのようにお膳を並べて食事をしていたのだね。驚きだ。亀尾神社、氷室神社の宮座の件もそうだけどやはり、高瀬は、日本の伝統やしきたりを守り受け継いできた印象がつよい。そもそも、「神郷町しんごうちょう」という名もスゴイ。

自分の知っている、昭和20年頃は戦争孤児がいて、闇市があって、戦争が終わったことで、笑顔を取り戻し復興に向けて日本人が前に向いているイメージだ。

県境の高瀬、きっと鳥取県の日南もそうだと思うけど都心から離れた田舎では、情報が入ってくるのも遅いし少ない村の人々が助け合わないと生きていけないため、家族の序列社会を重要視していたのかな。勝治郎さん、輿一さん、亀三さん、貢さん、文孝さんが列に並びいしさん、ツネさん、文子さんが給仕の用意する姿を想像すると大変そうだね。

そういえば、新見にいみの駅で降りたことがないので、わからないが、あのあたりの都会と言えば新見になるのかね。岡山までは、到底行けそうもないし、広島も遠い。


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