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【197日目】クリエイティブ

ご隠居からのメール:【クリエイティブ】

「僕の知り合いの中で、五本の指にはいるくらいクリエイティブなことをしている」と、知人のクリエイターに評価された由、話八分で聞くとしても、クリエイティブな仕事をしているという意識を持ち続けることには、それなりの意味があると思う。

『息子へ紡ぐ物語』は、理想の家族とはどのようなものかを考えることをメインテーマにしたらと考えたりもする。尼子の落人の言い伝えは、昔風の家族の精神を引きしめることによって、お家の存続をはかる一種の家訓のようなものだったともいえよう。

導入部で、サザエさんのフグ田家のような平凡なファミリーが親戚のおじさんの死をきっかけにして、中世や江戸時代の幕末の御先祖たちをしのぶ物語になっている。では、フグ田家が理想の家族かというと、疑問もある。跡取り娘のサザエさんはふゆさんのような存在かもしれない。分家ならそれでいいかもしれないが。

売れない作家というご隠居さんとその子供たちという設定の描写には、フグ田家に雰囲気が似通っているようなところがある。平凡ながら意外に非凡かもしれない。そこから幕末の『ふゆ物語』にジャンプすると、実体験ではないために、リアリティはかなりぼやけてくる。

・ふゆ:穏やかで器量ある主人公。
・與左衛門:先祖の言い伝えを守る厳格な父。
・弥左衛門:尊王攘夷を掲げる破天荒な息子。

ふゆさんと父の與左衞門さんとの関係はリアルだが、弥左衛門さんが尊王攘夷を掲げる破天荒な弟だったという事実はない。そもそも尊皇攘夷運動の嵐が高瀬にまで影響を及ぼしていたのだろうか。

想像できるのは、姉であるふゆさんの分家への財産分けに弥左衛門さんが不満を抱いたかもしれないという可能性だ。しかし、そんなことをファミリーヒストリーで書いても読者の共感に訴えるとは思えない。

やはり、『ふゆ物語』のエンディングは祝言だ。仲人をつとめるのは伝蔵さんで、「目出度/\の若松さまよ枝も栄える葉も繁る云ふではないか金光大神は子孫繁昌家繁昌の道を教へるのぢや」とスピーチをする、という想像は如何だろう。これなら、シェイクスピアの『冬物語』のエンディングに近くなる。

祝言の後には苦労が待っているが、信谷家は「尼子の落人」のような言い伝えはなく、息子が野心を抱いて大学へ進学するようなこともなく、平凡ながら、家族仲良く今日まで続いている。


返信:【Re_クリエイティブ】


「理想の家族とはどのようなものかを考える」というメインテーマは、最高
だね。ファミリーヒストリーの本質なのではないかと思う。
 
1945年(昭和二十年)までは、封建主義社会の「家」のなかで、理想の家族を追い求めてきたはず。それが、自由主義となり家族のカタチも自由になった。ということは、日本の歴史のなか「理想の家族」のデータが76年間しかたまっていない。
 
自由な暮らしになったのだから、誰もが模索しながら自分たちなりに「理想の家族」を追い求めているのかもしれない。もしかしたら、自由主義先進国の欧米の家族を調べることで、ヒントが見つかるかもしれないが、日本の離婚率は1.69ポイント。一方アメリカは、2.5ポイントなので、アメリカの方が離婚率は高い。
 
離婚と不幸せが直結するとは思えないが、「自分がなぜ生まれ、何のために生きているのか」と考えると、すべては子供たちのために生きているのだと思う。子孫の幸せを願う生き方をするのが、理想の家族なのではないだろうか。
 
その考えを軸に江戸末期の「ふゆの家族」と令和の「自分の家族」を比較すればいいんじゃないかね。


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