見出し画像

【111日目】仮説

ご隠居からのメール:【仮説】

ファミリーヒストリーを書くには仮説をいくつかたてる必要があるが、その仮説には読者をある程度納得させるだけの確かな根拠が必要だ。確かだと思われる事実だけはおさえておきたい。

1)與一さんはヤケクソをおこすような人ではなかった。

2)昭和18年の再婚が、素さんの意向だったとは思えない。伊丹さんが公孝・貞女の結婚式の仲人を引き受けたように、単なる親戚付き合いの義理をはたしただけだろう。昭和18年という時局柄、盛大な結婚式はできない。高瀬ではなく、京都でひっそりと式をあげたのではないか。

3)中根さんと百合子さんは見合い結婚だ。二人は恋仲だったはずがない。

4)菊二さんと菫子さんの結婚式のため、素さんがわざわざ京都から高瀬まで足をはこんだとは思わない。

5)菊二さんが菫子さんと入籍したのは、昭和18年4月12日、輿一さんが文子さんと入籍したのは、昭和18年5月11日。わずか、1ヶ月で兄弟が入籍するにはそれなりに理由があるはず。ーーすでに敗色濃厚だった日本ーーいつ命を亡くすのかわからいのに、何を急いで結婚しでのか。日本が負けることがわかっていれば結婚などする気になれないと思うが。非常時に際しての種族維持の本能によるものだろうか。

小さな取り組みではあるが、Excelの事業報告書の話はいいね。そのような小さな成功のエピソードをファミリーヒストリーにもとりいれるよう心がけたい。


返信:【Re_仮説】

ありゃりゃ笑。仮説が全くハズレたね。面白い現象だ。断片的な情報だけでストーリーを考えると作者の希望やイメージで勝手に物語が作られるから、事実とは全く違うフィクション物語ができあがるね。司馬遼太郎の小説で人物像なども鵜呑みにしてはいけないね。しかし、時代背景や事実関係、証言を調べながらつなげ合わせ、ストーリーを想像するプロセスは、とても楽しいよ。


昭和17年8月3日には、見田守登さんが戦死して、福栄村で村葬が行われているので、山を越えた隣村の高瀬村にも相当な影響があっただろうな。翌年の昭和18年11月にゆみ子さんが誕生してるから、昭和18年1月には菊二さん、菫子さんのふたりは、お付き合いしていることになる。単純に妊娠したので二人は4月に入籍したのかな。

でも、昭和18年には召集が盛んになるし、英語が禁止になって、動物園の動物たちも毒殺され、25歳未満の未婚女子は勤労挺身隊となる。食料難で野草の食事を推奨されているし国民の生活に直影響が出ている時期。輿一さんは何故この時期に再婚を希望したのか。。身の回りを世話してくれる人が必要だったのかな。やはり、謎だな。

前から疑問に思っていたのだけど、文子さんは、入籍後、與一さんと張家口に行ったのかな。3歳の息子を高瀬に残して。昭和19年7月には礼子さんが誕生してるから、一時は張家口で新婚生活を送っている計算になる。すると、関東軍に入隊しているのに家族を持てる身分になる。やはり、與一さんは、最前線で仕事をしていたが、戦地には赴かない研究者で秘密部隊。国益のために、替えがきかない存在だったのだろうか。


<<<次回の話【より道‐37】隠された歴史_大陸浪人と大東亜共栄圏

前回のメール【110日目】論語>>>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?