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お講さん

生まれてから19歳まで神奈川県で育った。
今やここ京都北部に住んだ年月の方が長くなってしまったから、関東とは違う地域行事・宗教行事、考え方も受け入れているし、子供ができてからは我が家なりに実践して楽しんでもいるのだが、どこか気に入らないというか、反発も覚えるものもある。それは、今よりはるかに余所者を排斥する住民の態度を受けた経験、義母に対する反発が多大にあると自覚している。

その中で、年末から年始あたりに各隣組単位で行われている宗教的寄合、わたしが最初に住んだ地域では「臨時祭(りんじまち)」と呼んでいた。現住所における名称は「お講さん」。
当隣組においては、全ての過程を皆が妄信しており、これって不合理なのでは?差別的なのでは?なんて微塵も思わない、こうせねばならない、の圧力を強く感じさせ、(地区によっては)男尊女卑を色濃く残す神事にわたしは毎年全く納得いかない、気が重い(けど参加はしてる)。

だいたいなー、お講さんお講さんって、「講」って何よ?とぶつぶつ言っていたところ、夫が「無尽講とかの講やん。」って言うので、それってネズミ講の講??とスキャンダル的に食いつき、昔ながらの相互扶助(でありながら結局強いものと弱いものを作る)のシステムの名残かよ!!神事神事って有無を言わせんこと言いやがって!と独り憤慨し(講とは「信仰やお金の融通を目的とする団体」(by 学研国語辞典第二版、高校時代より継続使用(汗))、
あー、ますますめんどくせー、楽しく呑めない席なんて金と時間の無駄だ!!と無理矢理の予定を言い訳に行かなかった年もあった。
ついでに言うと、講に「さん」という敬称?愛称?をつけるのもなんかいらつく。お稲荷さん、祇園さん、らは崇拝対象だからよしw

「お講さん」における神事はほんの一時である(後は宴会、でも楽しくない)。神道にとって死は穢れであり、神事に同席できないと皆了解の上で、その年に不幸のあった家族は席を外した。。。その時の同席者の態度が本当に穢れ=汚いものを見る感じで見下し、穢れている者は肩を落として小さくなって出ていく姿がとても印象的だった。概念として否定はしないが嫌悪感を感じた。かつては女人禁制だったのかもしれないな、神事だしね(嫌味)。

でも、この「お講さん」が隣組の繋がりを保つ一つの重要な機会となっていることは否めない(だから仕方なく参加してる)し、移転する前の地区の臨時祭はとても楽しく、単身移住してきたわたしが近所と仲良くなれて、住民としての一歩を踏み出せた感謝こそすれ、嫌な気持ちにはならなかった。


それはいったいなぜか、一つに新参者の立場の違いではないだろうかと分析する。
前地区は、もともと世帯主のみの寄合で、わたしも単身といえど世帯主としての参加だった。今は、嫁としての参加である。
隣組会費も区費も世帯単位の支払いであり、嫁は付随者、世帯の代表ではないのである。男性陣はみんなそういう意識が少なからずある、わたしなど眼中にないのがわかる。
また、他のご夫人たちは、あそこの嫁は、と言われないように自らを制御している(女だけなら盛り上がることもできるのに、話題の少ない男性に気を使っている)。わたしは、もう10年以上経ってもいまだに一番の新参なのであと数年、いや奴がもっと弱るまで言いたいこと言うのは我慢だ、とただにこやかにしている(まさに田舎あるある)。

もう一つの理由として構成メンバーの資質が明らかだ。
これを言ったらどうしようもないけれど、「はずれ」たのだ。。
この権威主義の塊らのオーラを、いつかわたしは突然に巨人となって破壊したい。

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