地獄のはじまり

施設での話しは、後ほど語っていきます。



施設に預けられてから一年後、父・大槻力が私と胤違いの兄・誠を引き取りにくるのです。

この時には力は、ヤクザになっていたのです。

当時は、稲川会富田組組長 富田進は、稲川会本家の要職に就いていました。たしか、常務理事か、専務理事だったと思います。
森田一家 森田祥生と五分の杯を交わして、裏社会で名を馳せた人物でした。稲川会で五本の指に入る実力者でした。

森田祥生は、稲川聖城の右腕と言われ、稲川会の基礎を築いた人物と言われています。

大槻力は、富田進と従兄弟関係にあったのです。その流れで富田組に所属することになったのです。

富田進は後にどんどん落ち目になり、当時、稲川会 総本家本部長 岸本一家・岸本卓也の傘下となるのですが、四つ木斎場事件により岸本一家は解散となるのです。


施設の先生達は、わたしを宝物のように思ってくれました。

「この子は、あなたじゃ育てられない。こんな優秀な子は見たことがない。施設はじまって以来の優秀な子です。施設が責任を持って育てるので、置いて行ってほしい。」

力は言い返すのです。

「いや。俺の子だ。俺が責任を持って、立派に育てる。」

・・もちろん、父・力に人を育てる力などありません・・・。

ちなみに、笑い話です。
「あ、誠君は、引き取って貰って結構です。」

施設の先生方の見立ては、正しかったのです。

私を育てる気なんかサラサラありませんでした。ただただ、罵声を浴びせ、暴行を加える毎日でした。力が死ぬまで・・。誠は、施設の先生の思った通り、絵に描いたようなチンピラになりました。

土浦の施設・窓愛園から私は、笠間市に連れてこられるのです。



  ・・これから、私の生き地獄の人生が始まるのです・・。

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