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『NR』のお陰でした

 2011年というのは、まあ本当に厭な年だった。
 2009年の秋にデビュー長編の『丸太町ルヴォワール』を上梓したはいいものの、2010年中に続編の『烏丸ルヴォワール』は書き終わらず、2011年の春になっても完成の目処は立っていなかった。
 理由は色々だ。まず『丸太町ルヴォワール』が期待していたほどには売れなかったこと。いや、売れないのはともかくとして、手応えがないというのはモチベーションに関わる。失敗したのなら次に活かせばいいわけだが、漠然と「売れなかった」というのでは反省のしようがない。担当氏は熱心に応援してくれてはいたが、私の主観では正解を見失い、まるで砂漠を彷徨っているような気分だった。
 もう一つは勤務状況の悪化だ。その当時はまだ会社員だったのだが、比較的イケイケだった配属先も不景気の煽りを受け、しょっぱい案件に手を出さざるを得なくなったのだ。仕事がなくて部員に無駄飯を食わすぐらいなら、相場より遥かに安い案件でもいいから放り込んでしまえということだったらしいが、常駐先で人間扱いされないとなると話は違う。経費削減というお題目でオフィスの冷房は切られるわ、昼休みは照明を落とされるわと、労働環境は最悪だった。おまけに仕事人としては半人前もいいところなのに、会社は一人前の料金を先方から取っていたため、「お前ら、プロやろ。なんでこんなことができへんねん!」という担当者からの悪罵にも耐えなければならなかった(まあ、私はリーダーが庇ってくれたので比較的助かったのだが、少し早くこの現場に入っていた同期は病んで辞めてしまった)。
 やることは無限にあったし、こんな現場で仕事が捗る筈もない。そんな状況で朝9時から夜24時までの勤務を週六日の生活が始まると、いよいよ追い詰められた。
 会社からは「ここから抜け出したかったら必死で働いて一人前になれ。無理なら去れ」という圧を感じたのだが、帰宅後の貴重な時間を会社のために割いてやろうという気持ちはもう消え失せていた。だが一方で小説を執筆する気力もなかった。
 作家としても会社人としても半人前なのは事実として受け入れるとして、一人前になるには五年先、十年先を見据えてやるしかない。それは解っていたのだが、このままでは作家としても会社人としても未来があまりに見えない。結局どちらに全賭けするでもなく、ただ場代だけ払い続けて種銭が尽きるのを待つような気分だった。
 平林緑萌さんに『NR』に誘われたのはそんなタイミングだった。
「奈良に縁のある文筆家で同人誌を作るんですが、一緒にやりませんか?」と。
 なんというか、たったそれだけの言葉で私は随分と救われたような気持ちになった。形はどうあれ、円居挽が求められているという事実は私を立ち直らせるには充分だった。
 実際『NR』で書くことは私にとってプラスになった。テーマが定まっていてメンバーも解っている競作なら、「何を書いたら面白いか」を考えやすく、正解を見失っていた私にとって丁度いいリハビリだった(とはいえ初年の『NR』で書いた作品は「折角誘って貰ったのに落としたら申し訳ない」という気持ちを原動力にして無理矢理書き上げたもので、お世辞にも出来がいいとは言えないのだが)。
 本格的に何かを掴んだのは翌年に書いた『DRDR』だが、2011年の『NR』のお陰で今があることに違いはない。
 今回、星海社から出版された『さよならよ、こんにちは』は『NR』で発表した作品群をまとめたものである。私がどのように甦り、またどのように再度迷走していったかということについてはあとがきに詳しいのでここでは割愛するが、自分の青春の記録がこうして誰でも手に入る形で世に出るということは素直に嬉しい。
 というわけで皆様、『さよならよ、こんにちは』をよろしくお願いします。

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