聴覚障害者の逸失利益を巡る裁判のニュースを見て

法律に詳しくはないので、解釈に誤りがあるかもしれないけれど、思ったことを書いてみる。


 聴覚支援学校に通っていた女児(当時11歳)が重機にはねられて死亡した事故を巡り、遺族が運転手らに計約6100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は27日、約3770万円の支払いを命じた。女児が将来得られたはずの収入「逸失利益」について、武田瑞佳裁判長は「さまざまな手段や技術で聴覚障害によるコミュニケーションへの影響を小さくできた」とし、全労働者の平均年収の85%に相当すると判断した。

 争点は、生まれつき難聴だった安優香さんの逸失利益をどう評価するかだった。

 判決は、安優香さんが幼少期から発音の練習に励んだ結果、長文での会話もできるようになっていたと指摘。学習意欲があったことも踏まえて「将来さまざまな就労の可能性があった」とした。一方で、聴力を考慮すると「就労の上で他者とのコミュニケーションが制限されることは否定できない」とし、全労働者の平均年収(497万円)を基に逸失利益を算出すべきだとする遺族側の訴えは認めなかった。

 安優香さんが亡くなった18年の厚生労働省調査で、週30時間以上働く聴覚障害者の平均月収は全労働者平均の約7割。被告側は、こうしたデータを基礎に逸失利益を算出すべきだと主張していた。武田裁判長は音声認識アプリなどの普及によって聴覚障害の就労に及ぼす影響が小さくなっていき、将来の収入は18年の調査時点よりも高額になるとの見通しを示し、全労働者平均年収の85%(422万円)が相当だと結論付けた。

 障害児の逸失利益を巡っては近年、障害者雇用の推進やITの向上による就労環境の改善を背景に、健常者に近い形で認められる司法判断が相次ぐ。

 逸失利益は損害賠償額を算出する柱の一つ。交通事故などで亡くなったり、重い障害を負ったりした人が将来得られたはずの収入を示し、「命の価値」にも例えられる。働いていない子供の場合は厚生労働省のデータなどが活用され、就労が可能な年数を考慮して算出されることが多いが、障害児の場合は健常者よりも低く認定されている。

出典:Yahoo!ニュース内、毎日新聞記事より一部抜粋
https://news.yahoo.co.jp/articles/4f9087c28aabf1b1216233d6da80c8b6e316f8b9


父親は会見で「裁判所は差別を認めた」といって涙を流していた。元記事には過去の障害者死亡事故者への判例も出ていたが、やはり逸失利益の計算元の数値は健常者より低い額で計算されている。

単純な数字だけで見れば、被告側主張の約7割という数字よりも大きい労働者平均の85%という数字の判決は、一定の価値があるように見える。だが、この父親にとってはそれは何の価値もない。原告側主張の労働者平均100%にならなかったことは数字の問題ではなく、障害者であるという属性に関わらず取り扱ってほしいという主張が認められなかったことに他ならない。あの涙はそういう意味のものだろう。その憤りはわかる。
(余談だが、仮に障害者の平均年収が労働者平均よりも高い数字であったとしても、この主張をするならば労働者平均100%に減額するよう主張しなければならない、と私は考える)

仮に、裁判長の言うように今後技術の発達で聴覚障害者でも健常者と同じだけの収入が得られることが確定的だという根拠をして、労働者平均100%の判決を下したとする。その場合でも、父親は涙を流していただろう。彼の主張は差別的な取扱いをやめてほしいという点にあるからだ。

しかし、そういった点を踏まえても私はこの判決を非難することはない。現状、ルール(法律)やその運用(判例)がそうなっているからだ。

つまり、ルールやその判例が通る社会がそもそも間違っていて見直しの必要があるというのが私の主張である。


今回のケースで労働者平均年収100%になる方法は二つあり、一つはこのニュースの父親が主張した障害者差別をなくすというもの。そしてもう一つが(差別云々は抜きにして)聴覚障害者の平均年収が労働者平均よりも低いことが改善されればよい。(今回の判決はこちらの考え方に近い)

労働者平均年収から逸失利益を計算し、個々の事情によって増減させるのが現在のルールだ。今回のも聴覚障害者だから聴覚障害者の平均年収での算出を被告は主張したわけだが、聴覚障害者の年収が健常者の年収と差が生じているからこそこの主張が出てくるのだから、この収入格差自体を是正することがきっと望ましい。けれども、現実問題としてそれは不可能なことであろう。

だからこそ、個々の事情という部分に性別や障害などの属性を加味することが時代にそぐわない気がする。障害のケースはその重さなどによって個別判断が必要であろうと思うので割愛するが、もっと大きいくくりで、なおかつ違和感があるのが性別による逸失利益の計算方法だ。


女性の平均年収は男性のそれよりも低い(当然、男女の平均年収は男性のそれよりも低い)。この根拠として、少なくとも現代の日本におけるその最も大きな理由としては、女性特有の子供をうむという機能によるところが大きいと私は考える。つまり、子供をもたないと決めたり実際にもたずに仕事に励んでいる女性からすれば、女性の平均年収という括られ方は著しく不利となる。逆に、男性に関しても(子供をうむことは出来ないが)育休を取ったり育児に積極的に参加することは可能であるが、男性の平均年収という括られ方をする。

とはいえ、実際に就労している人に関しては実は男女別の年収を計算の根拠にすることはなく、実際の収入状況や男女混合の労働者平均で計算されるので実は問題はない。

性別が問題となるのは、主婦(主婦)と子供の場合だ。

主婦も主夫も、逸失利益は女性の平均年収で計算される。これは、主婦業も仕事と換算して逸失利益を計算するためである。主婦業の仕事に対する労働負荷は男女に差はないため主婦と主夫が同じ計算式を用いるのは理解できるが、どちらも女性の平均年収を用いるその根拠がない。これは、主婦が女性が就くことが多いことが要因なのだろうか。それとも計算式として女性の平均年収が最も低いから用いられているのだろうか。いずれにせよ、現代とはそぐわず、摩擦が生じるものだと思う。


子供の逸失利益に関しては、男女別の平均年収が用いられる。これはつまり、子供の間は「性別によってのみ命の価値が変化する」と言い換えられる。男性であっても主夫になって女性の平均年収が適用される可能性があるのと同等に、女性であっても男性と同等の収入を得る可能性があるのだから、男女どちらも公平に男女混合の平均年収を用いるべきだと考える。おかしなことに、幼児の場合は男女差による差が著しくなるために、女児も男女混合の平均年収を用いるらしい(男児は男性の平均年収)。これはつまり、男女差があり、なおかつそこに生じる違和感を認識してはいるものの、是正する必要はないと考えているともとれる。そして男児と女児のその命の価値の差は解消されない。



男女間の賃金格差をなくそうという動きがある昨今。これが成され、結果的に男女別の平均年収に差はなくなるのかもしれない。しかしそれだけでは、あのニュースの父親と同じ涙を流す人は消えはしないだろう。生活に支障が出るほどの後遺症がのこったり死んでしまったりした時に、こういうつまらないことで心を痛めるようなルールは見直しが必要だと考える。


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