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テツガクの小部屋5 パルメニデス

パルメニデスの思想は簡単である。「ある、そしてないはない」というものである。この簡潔な命題によって彼は、存在に関してはただ「ある」ということしかできないこと、「ない」といい、そのことによって「ない」(非存在)が一個の存在者として存立しているかのように語るのは不合理であるという主張を行っているのであり、非存在の端的な不可能性を説いたのである。なぜなら非存在(ない)が語って意味ある何かだとするなら、非存在も存在しておらねばならないことになろうが、そうすれば非存在(無)は存在ないしは存在者(有)であることになってしまうからである(自己矛盾)。

従って非存在は存在に対立する何ものかではありえない。対立するなら存在していなければならないが、それは矛盾だから。かくて存在は何ものによっても制限されないのであって、無制限かつ永遠不変に「ある」である。

存在は一であるとともに全体であり、連続であって、その内に空虚の入る余地はない。空虚は非存在そのものであるがゆえに、不可能である。また生成消滅も不可能である。生成は非存在から存在への移行であり、消滅はその逆であるが、非存在は存在しないからである。また運動も不可能である。運動は空虚を必要とするが、存在はいかなる非存在によっても破られないがゆえに、存在の内に空虚が生まれる余地は存しない。さらにまた多も不可能である。ものが二つに分割されるためには、その間に空虚が介在しなければならないからである。このようにしてパルメニデスは現象においてみられる生成、消滅、変化、空虚、運動、多岐性のすべてを仮象であり、死すべき者の臆見(ドクサ)であるとして否定した。

参考文献『西洋哲学史―理性の運命と可能性―』岡崎文明ほか 昭和堂

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棒線より下は私の気まぐれなコメントや、用語解説などです↓(不定期)

一つ個人的に分からないのは「運動は空虚を必要とする」という点である。パルメニデスの文献に直接当たっていないし、それほど詳しく調べもしなかったので、この点は学生の時以来、疑問のままである。

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