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【#01 子どもから学ぶこと】子どもと同じ詩を読んで、自分のアンコンシャスバイアスに気づいた件

おはようございます。こはるです。
2月は中学受験シーズン真っ盛りですね。
子供たちの戦いを思うと胸が苦しくなります。
努力が実を結びますように。

今日は子供が読んでいた詩を、わたしが読んで感じたことを書きたいと思います。


1.詩人との再会

中学入試用問題に詩人「中原中也」の作品が出てきました。
「生ひ立ちの歌」という詩です。
数十年ぶりの再会に、懐かしさを感じました。

中也の言葉は、どこか心に響くものがあり、余韻を残します。
中也の詩に触れてみると、日本語の中に潜む美しさに気づかされます。

2.生ひ立ちの歌

生ひ立ちの歌


    幼年時
私の上に降る雪は
真綿(まわた)のやうでありました

    少年時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のやうでありました

    十七―十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のやうに散りました

    二十―二十二
私の上に降る雪は
雹(ひよう)であるかと思はれた

    二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました

    二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……

中原中也 山羊の歌 (aozora.gr.jp)

3.雪のイメージ

「雪」の持つイメージは、白くて美しいです。
いずれ溶けてしまう儚さも感じます。
清らかなものが穢れやすいのは、そう、まるで、人生のようですよね。

この詩は、中也が人生を振り返り、「自分が幸せかどうかもわからない幼年時」を、「優しく真綿にくるまれていたのだ」と理解できるほど大人になった時に書かれた詩です。
幸せな幼年期の後、彼の人生に降る雪は激しくなる一方で、生きづらさは増すばかりです。
生きづらさに共感した読み手は「ひどい吹雪」が「いとしめやか」になったとき、安堵するのではないでしょうか。

中也は、代表作の「汚れちまった悲しみに」でも、雪を登場させています。
雪の持つ清らかさと儚さに思いを投影したのかもしれません。

4.子供の視点とわたしの視点

子供は、「二十四で、ターニングポイントのような何かがあった」と感じるけれど、それを恋だとは思わなかったようです。

わたしは、すぐに「人生を変えるような人に出会ったのだろう」と想像しました。子供目線に立てば、安易で野暮な発想でした。
これって、アンコンシャスバイアスのひとつかもしれないとも思いました。

どちらが良くて、どちらが悪い話ではありません。
経験値バイアスをフィルターみたいに自由に付け替えできたら良いなと思います。
まずは、まっさらな心で、作品と向き合うことを忘れたくありません。

5.この詩の続き

ご存じかもしれませんが、この詩には続きがあります。
(…私はすっかり忘れていました)


私の上に降る雪は
花びらのやうに降つてきます
薪たきぎの燃える音もして
凍るみ空の黝(くろ)む頃

私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸べて降りました

私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のやうでありました

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生したいと祈りました

私の上に降る雪は
いと貞潔でありました

中原中也 山羊の歌 (aozora.gr.jp)

長生したいと祈るような人に出会えたのです。
「本当に良かった」と母親のような気持ちになりました。
世界が優しさで包まれてほしいと思いました。

6.無意識に母親目線になってしまったこと

もはや詩に限った話ではないですが、
長い時間の中でものの感じ方が変わっていくことも面白くて仕方がないです。
変わるものと変わらないものとが見えてきます。
それはまるで、自分自身の輪郭のようです。

もし、○○だったら、と立場を想像するのもまた、面白いです。
正解のない問いには、間違いがありません


考えるきっかけをくれた子供に感謝です。
子育てをしていると不意打ちのように、自分自身を問うような場面に出会います。セレンディピティに近い感覚です。
詩をじっくり味わうことは、とても贅沢な時間でした。

最後になりましたが、何気なく寄り添ってくれる日常にも、たくさんの感謝を込めて

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