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私の正義が受け入れられない世界なんて、

正義感が強い子供だった。
いじめっ子に嫌な事をされたり言われたら、間違っている、そんなことをするのはよくないと悉く反論してきた。
まあ、当然ながらそんなことを聞いてくれるわけもなく、反論する私が面白いのか激化するだけだったけど!

私の正義はこの世の大半の人が持つような、ごくありふれた普遍的なものだと思う。
いじめをしないとか、人には優しくとか、権力を笠に着ないとか、誰もが幼少の頃アニメなどを見て学んだであろう正義。私も例にもれず、アニメや物語からそういったことを学んだ。
幼心にこの世で大切にしなくてはいけない、大事なことなのだと思っていた。
だって、こんなにもたくさんのヒーローやヒロインたちが頑張っているのだから。

しかしながら、私が信じていた正義はいじめっ子たちにとっては正義ではないらしい。
いじめっ子だけじゃない。引っ越し先の同級生たちには私の正義は正義じゃなかった。
現に誰も私を助けてくれる子はいなかった。

私を助けてくれたのも、支えてくれたのも、慰めてくれたのも、私の正義だけ。

数多のキャラクターたちが信じるのと変わらない、私の正義。
引っ越し前と同じ世界で、なんなら地続きで、もっと言えば隣県なのに。
この世でまず間違いなく正しくて、大切なはずのことが通じないなんて。
…恐怖だった。

冗談だろって思うでしょ?でも、恐ろしいことに事実なんだよな。
私以外の子がいじめられていた時もあったのだけど、一人をクラス…いや学年がかりでいじめていた。
勿論、自分の正義に則っていじめを阻止しようとがんばったが。

そもそも、あの土地では正義や倫理というものがとても軽いし、薄い。ぺらっぺらである。
大勢で群れ、大多数の人間と同じことをすることで安堵する傾向が強く、みんながやっているから私もやろ~!みたいなノリなのだ。

そんな環境に10年近くいながらも自分の正義を信じ続けた。
正直、自分が信じているものって本当に正義なのか悩んでしまったし、世の中では当たり前のはずの事が通じないことも怖かった。
でも、私は救われたかった。
同級生たちが否定した私の正義は間違っていないと信じたかったし、間違っているのは彼らの方なのだと思いたかった。
だから、正義にこだわり続けた。

私にとって正義とは、どうやら自分の核に直結しているもののようだった。
そのせいか、いじめをしないとか、人には優しくという自分のありふれた正義が通用しない土地――いや、世界にひどく絶望した。(その時はその土地が全てだったため。)
それでも信じたのは、上であげたように救われたかったから、そして自分の正義を貫いてもいい世界だと信じたかったからだ。
絶望させられた世界だけど、もしかしたらこの世界のどこかには私の正義を否定しない人も存在するかもしれない。
そういう可能性があると信じたかった。

結局自分の正義を受け入れられたいだけじゃないか…と言われてしまうかもしれない。実際そうだし。
でも、私のちっぽけな正義すら受け入れてもらえないーー守られない――世界なんて存在する意味あるのだろうか?
そう思ってしまうのは傲慢が過ぎるだろうか。

P.S.
ちなみに正義の為なら何をしてもいいとは決して思っていない。念のため。
ただ、困っている人に誰もが手を差し伸べられる穏やかな世界であってほしい。