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渥美俊一と清水信次は対発生

 日本のチェーンストアの父・渥美俊一氏とライフストアの創業者・清水信次(のぶつぐ)氏はは同じ1926年(大正15年)生まれ。二人とも三重県出身で、渥美俊一氏は松阪市、清水信次氏は隣の津市生まれです。

 渥美氏は、三重県旧制津中(三重一中)、官立第一高等学校文科を経て、1949年(昭和24年)東京大学法学部入学。1952年(昭和27年)、東京大学卒業後、読売新聞社に入社します。

 1957年(昭和32年)から、週1回、「商店のページ」を主任記者として1人で担当。その仕事を通じて、商業界主幹倉本長治氏、新保民八氏、公開経営指導協会喜多村実氏らと交流を開始、薫陶を受けたといいます。

 1962年(昭和37年)チェーンストア産業づくりの研究母体としてペガサスクラブを結成。1960年から当時年商1億円以上の商店経営者1,300人と面談。イトーヨーカ堂の伊藤雅俊氏、岡田屋(現イオン)の岡田卓也氏、西川屋(現ユニー)の西川俊男氏、紅丸商事(現ヨークベニマル)の大高善兵衛氏、衣料問屋の大西衣料(現大西)の大西隆氏ら、ペガサスクラブの設立時に全国から13人の経営者が集まりました。のちにダイエーの中内功氏も参加することになります。

 1963年(昭和38年)、その事務局として、株式会社日本リテイリングセンターを設立。1969年に読売新聞社を退社し、チェーンストア理論の普及に全人生を傾注することになります。

 ペガサスクラブの会員企業は増加の一途を辿り、2009年(平成21年)10月末、小売業だけで362社、約3万店。ペガサスクラブ会員企業の小売業の総売上高は、24兆8,838億円であり、日本の全小売業の売上高の4分の1を占めるまでの影響力を持つに至ったのです。

 一方清水氏の両親は大阪市天満で乾物・缶詰・青果などを販売する食料品店を営んでいました。

 1943年(昭和18年)年旧制大阪貿易語学校(現在の開明中学校・高等学校)卒業。学校を卒業した翌年である1944年(昭和19年)年、陸軍に入隊して戦技特別研究要員(白兵戦、剣道助教)として中国に出征しました。初年兵時代の戦友に後に不動産会社・秀和を起こしてバブル期には世界有数の富豪となった実業家・小林茂氏がいました。

 秀和は1980年代後半に流通株を買い占めます(忠実屋・いなげや事件)。この背景には、渥美氏が主宰するダイエー、西友、イトーヨーカ堂などビッグストアに対抗するには、ライフと忠実屋、いなげや、長崎屋の中堅スーパー4社を合併して年商1兆円規模のスーパーを目指すという清水氏の構想があったのです。

 1945(昭和20)年、陸軍特別幹部候補生、本土防衛特別攻撃隊を経て、敗戦を迎えます。清水氏が戻った大阪は一面の焼け野原となっていました。当時19歳だった清水氏は、生き延びるため闇市で食品を売りました。清水氏はこれ以降、食品流通・販売に終生携わることとなるのです。

 翌1946年(昭和21年)、大阪市天満に15坪の店舗兼自宅を構え、家業の食品卸売業 「清水商店」を継いで代表となります。東京のアメヤ横丁で買い占めた進駐軍の横流し物資を大阪で販売しはじめ、東京と大阪を行き来するうちにGHQと直接取引するようになったといいます。

 1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が始まると、貿易の増加による物流需要の拡大を予測して単身上京します。パイナップルやバナナの輸入業で利益を上げ、「パインちゃん」の異名をとります。またこの仕事を通じて、現参議院議員・蓮舫氏の父で台湾人バナナ貿易商を営んでいた謝哲信氏と知り合い、家族ぐるみの交友を深めるのです。

 1955年(昭和30年)には謝氏らとバナナを輸入するための組合「日本バナナ輸入協会」などを設立しました。同年には財閥解体令が廃止され、次第に財閥系商社が復権したため、競合する貿易業から新事業への転換を図り、食品スーパーを創業するのです。

 1956年(昭和31年)、清水商店を母体に株式会社清水実業を設立。欧米視察をもとに、1961年(昭和36年)にライフストア(現:ライフコーポレーション)を設立、1号店を大阪府豊中市に開店します。バナナの輸入業を続けながら10年がかりで10店舗まで増やし、以降軌道に乗せます。

 戦後の焼け跡から身を起こし、一代で営業収益(売上高)7,654億円(2023年2月期)、首都圏、関西圏を中心に300店舗を展開するスーパーチェーンに育て上げた経営手腕からだけではありません。流通業界のリーダーとして、国家権力を相手に堂々と正論を主張する雄姿だけでなく、天下国家を語る論客としても注目されました。

 日本チェーンストア協会の会長に2度(6代:1986~1988、23代:2011~2018)就任しています。

 一度目の会長となった1987年(昭和62年)には、当時の中曽根内閣が打ち出した売上税構想の反対運動の先頭に立ち、結果的に廃案に追い込みます。その後、旧知の間柄だった竹下登氏から首相就任直前に呼び出され、消費税導入への協力を求められた時も「売上税(の問題が)が終わったばかり。1年は我慢して」と伝えたといいます。

 2度目の会長となった2012年には、当時の野田佳彦総理と会食し、消費増税の反対を具申しました。

 「業界再編と寡占化は資本主義の業である」「一番がもっとも危ない」壮絶人生96年で得た悟りだったのです。

 私は、渥美俊一氏と清水信次氏は対発生だと思います。

 森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物は「陰」と「陽」のように「対発生」しているのです。具体的に「陽」は、光・明・剛・火・夏・昼・動物・男に例えられ、「陰」は、闇・暗・柔・水・冬・夜・植物・女などに例えられます。

 これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ません。森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、相反する「陽」と「陰」の二気によって消長盛衰し、「陽」と「陰」の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれるのです。

 渥美俊一氏の唱えたチェーンストア理論は、一部のエリート(管理職)による独裁支配です。適性検査により、新入生を管理職候補とワーカーに分け、管理職には階層別教育を施し、最も優秀なものに経営の全権を委ねる。一方でワーカーは、マニュアルに従うことのみ許され、創意工夫や改善の余地もありません。

 チェーンストア理論とは、奴隷理論であり、エリートの専制独裁を許す口実を作るものなのです。渥美氏の理論を妄信し、全国各地に金太郎飴のようなチェーンストアを築いた企業は出店が滞った段階で破綻します。なぜなら、チェーンストア理論では、店長に売上げ責任がないからです。店長は経費を削減し、店舗レベルでの利益責任のみが要求されます。

 売上げ増は新規出店によって賄われます。2ケタ成長がしたければ、2ケタの出店をしなければならないのです。2ケタ出店しているスーパーは現在の日本にはありません。

 そのため、各社ともM&Aに活路を見出そうとします。M&Aされる側も、現在まで生き残ってこれたのは、チェーンストア理論を排して、店長に大幅な権限を委譲し、売上げ、利益を維持してきた企業がほとんどです。

 マニュアルを超えたサービスを実施してきたからこそ、業績が維持できたのです。マニュアル以下のサービスは言語道断ですが、マニュアルを超えたサービスをすることも罰せられます。仕入れの権限ははく奪され、本部が仕入れた商品をマニュアル通りに並べ、指定された売価で販売します。

 自ら仕入れて、自ら目論んだ売価で売り切る。そこに商売の醍醐味があります。他人が仕入れた商品を並べて売るだけなら面白くもなんともないのです。M&Aされた側の企業で、商売の醍醐味を知るものは次々と辞めていきます。残るのは、渥美氏の言うところのワーカーのみです。

 ワーカーとは、渥美氏流に言うと向上心がない人たちです。勉強したくない、仕事したくない、休みが欲しい、愛社精神はない、条件が良い転職先があればいつでも転職しようと考えている、時間があれば、スマホでゲームに興じ、漫画を読んでいる普通の人たちです。

 ワーカーは消耗品です。ワーカーの仕事は誰がやっても同じ。だから、賃金が安い人に置き換えていくのです。賃金の高くなったワーカーは常に職を失う立場にあります。

 チェーンストアの反対は、個店主義です。個店主義では、店長に大幅な権限が委譲されます。利益責任だけでなく、売上げ責任はもちろんのこと、採用や配置、教育、評価など人事政策、チラシの企画や商品構成、配布枚数に至る販売政策まであたかもミニ経営者のごとき権限が与えられます。

 個店主義の店は、適性検査をするまでもなく、あらゆる人間は可能性を持っていると信じています。すべての人間は意識と意思を持っています。意識とは波動の受信機です。意思とはプログラムです。プログラムとは、他人の役に立ちたい、他人の喜びが自分の喜びだと思う「利他の心」の発動です。

 「店はお客様のためにある」社長の思念波が届いた従業員から覚醒し始めます。そして自ら率先して、お客が喜ぶとこを実践しだすのです。

 清水信次氏は、渥美俊一氏のチェーンストア理論にどっぷり漬からなかった経営者の一人だと私は思います。2000年(平成12年)ごろから、清水氏は「潜みの経営」に着手します。店長に大幅な権限を委譲し、清水氏がいなくても会社が回るようにしたのです。

 1996年(平成8年)、当時三菱商事の社員であった岩崎高治氏(30歳)をスカウトし、1999年(平成11年)ライフストアに招き入れ、10年後の2006年(平成18年)社長につけます。岩崎氏はその後メキメキと実力を発揮し、現在では関東と関西で300店舗、売上高7,654億円(2023年2月期)の食品スーパーとしては日本一の業容を誇ります。「いくら売り上げたかよりどれだけ喜んでいただけたか」、「利他の心」で「地域一番店の集合体」になることを掲げます。

 ライフストアの旗艦業態「セントラルスクエア」の押上駅前店の年商50億円、恵比寿ガーデンプレイス店42億円といわれています。同規模のチェーンストアの年商が10~12億円であることを考えると異質です。

 人間の可能性を否定したのがチェーンストア理論です。人間の可能性を信じたのが個店主義経営です。チェーンストアの鮮魚売場には、生簀もなければ、対面コーナーもありません。マグロも価格の安いビンチョウやキハダ、せいぜい冷凍のバチ鮪どまりで高級な生本鮪を並べてはいけないとされています。①大衆品、②実用品、③廉価、④多店化というチェーンストアの絶対原則に反するからです。

 「セントラルスクエア」では1トンの生簀があり、16尺の対面コーナーがあり、のどぐろや甘鯛、金目鯛などの高級魚が丸のままならびます。マグロは生の本鮪、寿司ダネは、生簀の魚が活〆されたものや、さっきまで対面コーナーで並んでいた高級魚をおろしたものを使用しています。すべての商品が専門店に引けを取らぬ品揃えと品質を誇るのです。

 儲かることを最優先し、お客の喜ぶこと、生産者の喜ぶこと、働く人が喜ぶことを無視したチェーンストア理論は金科玉条ではなかったのです。批判する事すら許されない時代が長く続きました。現在でも狂信者がいます。彼らは虎の威を借る狐なのです。

 「チェーンストアのための必須単語1001(用語集)」を一言一句間違えないよう丸暗記したものです。売れる店ではなく儲かる店をつくれと渥美氏に叱られたころが懐かしい。

 とはいえ、渥美氏とチェーンストア理論が、チェーンストア産業の育成を通じて大衆の生活をより豊かにしたこと、その産業に働く人々に勇気と誇りをもたせたことは間違いありません。

 渥美氏と清水氏は対発生し、紆余曲折を経ながら、全く異質なものに発展したのです。チェーンストア理論を捨て、個店主義に回帰すれば、人も店も輝き出します。人も店も輝き出せば、日本は甦るのです。

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