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アイドル50年史⑦1984年

「涙のリクエストとワインレッドの心とロス五輪と青春のいじわると、でも代表曲は、、」

1984年、私は国の行政機関の職員となって最初の正月を迎え、御用始めの出勤日に当時住んでた柏市から職場に向かう際、常磐線に乗って北千住に差し掛かった辺りでその車窓から富士山がくっきり見えた情景が何故か今でも時折頭の中でフラッシュバックしてきます。

1984年の1月4日の午前8時半くらいのその画像がどうして今でもこびり付いているんだろうか。なんの象徴だろ?

そういやこの年20歳になって、成人になって性人になって、いろんなことが「幕開け」してはいたのかな?夜間大学通い始めたのもこの年だし。

この二年前は、長野県のど田舎でカモシカに餌をやるバイトをしていた高校生だったのが、いつの間にか国の行政機関で働き、表参道でキャンパスライフを送るというトレンディなw生活となっておりました。中身は全然変わってはおりませんが。

既に日常的に酒は飲んでいて、麻雀と競馬に手を染めて、そして風俗にも通い始め、ここから依存症人生もスタートしたかなと。富士山はそれを祝うかの情景かもしれません(わけわからん)。

とまあ、この年のアイドル界はというと、松田聖子も徐々に「実力派」になりつつさらに郷ひろみとの結婚秒読みの噂も流れておりました。

そして、アイドル界を牽引したのは「82年組」で、中森明菜が筆頭格。しかしながら小泉今日子の人気も爆上がりしてきて人気を二分するところまで行きました。さらに、松本伊代、堀ちえみ、早見優、石川秀美も固定のファンが付き、正しく「最強世代」となってましたが、

この年に新星として出てきたのが、岡田有希子と菊池桃子でした。

アイドルって、当時はなんですけれども、アイドルとして見てられるのは2、3年くらいかなと。売れてきて登り詰めて「安定期」に入ってくると、なんかそのワクワク感が薄らいでくるんですよね。

で、そういうのを「トップアイドル」というのですけど、そうなったらどうぞあとはご自由に、という感覚に私はなってしまって、そうなるとまた、新しく出てきた人に注目をするという感じでしょうか。

なので、松田聖子や河合奈保子はもちろん、中森明菜を始めとする「82年組」も私には「用済み」となったところで出てきたのが岡田有希子と菊池桃子といったところです。

特に、菊池桃子の「青春のいじわる」には、私はハマりました。感動が、浅田美代子や原田知世のそれと同じでした。にしてもこういう人たちって、芸能界に長く留まることができるんですね。アイドルは歌唱力はあくまでオプションで、もちろん「アーチスト」に突き抜ける人もいますが、女優とかで大成する人もいます。

♪君は怒っているみたい、なにも話してくれないねー

「青春のいじわる」のここのフレーズがなんか好きなんですよね。あとは、あの声はキャッチーだったな。

この年に流行った曲はというと、わらべの「もしも明日が」だったのですが、そういや前の年にフォーカス事件でその三人組の一人が消されてしまいました。まあその後、社会人として立派に活動しているようなんですが、あれが無かったら紅白にも出てたし、大河ドラマの主役まで張れたんじゃないかなと。「積木くずし」のあの演技力は相当なもんだと思っていたのですが。

結局、当時のアイドルは結構似たようなことやってたんだろうし、喫煙率は高いはずですw。てか、私の周囲もカワイイ女の子ほどタバコ吸ってたなw

他に売れたのは、というか出てきたのが、安全地帯とチェッカーズで、私の友人の多くは髪型や服装どちらかに寄せていました。

どっちも1年で消えると思いきや、今や伝説的なグループだからなぁ。サザンオールスターズが出てきた時もそういう印象でした。

レコード大賞は、五木ひろしの「長良川艶歌」で、中森明菜と最後まで争いましたが、まぁ予想通りでした。

演歌は、まだまだ勢いがあって、やはり団塊の世代が働き盛りで、外におおくの愛人を飲食関係で作っていたのが基盤だと私は思っていて、「不倫は文化である」の代表的なものが演歌ではなかろうかと。

高校野球は、春は岩倉高校、夏は取手二高が初優勝したのですが、準優勝はどちらもPL学園でした。桑田と清原ってやっぱスゲエんだなと。

プロ野球は、王貞治巨人監督1年目というシーズンだったのですが、スタートダッシュに躓き3位。結局優勝まで4年かかっちゃいましたね。江川も少し勢いが無くなってきていたし。で、日本シリーズは広島対阪急で広島が日本一となり、喜ばしいのは年間MVPに「鉄人・衣笠」が選ばれたことかなあ。

鉄人つながりと言えば、この年はロサンゼルスオリンピックが開催されてて、ハンマー投げの鉄人、室伏重信も出場しておりました。結果はメダルには届きませんでしたが、その無念をご子息の現文化庁長官がその20年後に金メダルで晴らすこととなります。ってか、ハンマー投げって、日本のトップは40年くらいこの親子が独占してたような気もします。

ロス五輪は、東欧諸国やキューバのボイコットもあって、その分日本は多くのメダルを獲得することができたのですが、個人的には他はメダルなしでもいいから、瀬古利彦さんに金メダル取って欲しかったです。力負けじゃないと思うんだけど、予想以上の暑さ負けなのかな。

あとは、射撃の金メダリスト48歳の蒲池猛夫さんかな。白髪の人が金メダルというのが当時の私には衝撃的でした。てかやはり、40年近く前と今では老け方が違うかなと。当時の48歳なんてアイドルに興味ある人なんて皆無だったろな。私のその時の48歳の上司は芦屋雁之助の「娘よ」を必ずカラオケで歌ってました。そいや雁之助さんはすごく若い奥さんもらったよなあ。

で、この年の私の代表曲は、中森明菜の「北ウイング」で、この人の楽曲で「スローモーション」とともに最も好きで、以前、握手会で日向坂46の齊藤京子さんにこの曲が好きだと言ったら共感していただきましたw

今回はここまでとします

GOOD LUCK 陽はまた昇る
くずぼしいってつ

2022年8月18日 8時10分

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