見出し画像

アイドル50年史⑥1981、1982、1983年

「まちぶせとギンギラギンと若大将と」

1981年、高校2年生となり、私はようやく変性期、いや変声期を迎えました。そういや変性器は結局来なかったかも知れません。もっと畑中葉子と向き合うべきでした。にしても「後ろから前から」は衝撃的だったなぁ。

女性アイドル界は、完全に松田聖子の独裁国家となったと言っていいでしょう。出す曲出す曲皆爆発的ヒットし、私でさえ自然と「フレッシュ、フレッシュ、フレッシュ〜」と口ずさんで自らの夏の扉を開けていました。

あと、私と同じ「杉田かおる世代」の近藤真彦が歌手デビューし、大ブレイクした年でもありました。「ギンギラギンにさりげなく」はこの年のレコ大の最優秀新人賞で、たのきんトリオとして、田原俊彦に続き2年連続受賞ということに。それにしても「金八先生」って、当時はあらゆるオーディション番組よりもスターの登龍門だったかも。まぁジャニーズその前に入る必要があるか。

ちなみにこの年のレコ大は、寺尾聰の「ルビーの指環」。年間で最も売れた曲がレコ大取ったのって、この曲と「踊るポンポコリン」くらいかなぁ。しかしあんな念仏みたいな曲が流行るなんて、でもまぁいい曲なんですよね。

あと、少し話はそれますが、どうしてこの年、「オレたちひょうきん族」は敢えて「8時だよ!全員集合!」の裏番組にぶつけたんだろうか?フジは「ドリフ大爆笑」で恩恵を受けているのに、どうして潰しにかかる暴挙に出たのか疑問です。結局どちらも放送終了して、ドリフ大爆笑とバカ殿がフジで生き残った形になりましたが。

野球界はというと、夏の高校野球は、野球漫談家の金村義明の報徳学園が全国制覇しました。当時の同氏の好きな歌手は杏里で、なかなか当時からモノを見る目はあったのでしょうか。

プロ野球は、「若大将」原辰徳がジャイアンツでデビューした年で、選手というより監督としてあんなに実績を残すとは当時は想像もしてませんでした。江川卓の活躍が凄かった年だったな。「空白の一日」の盲点突いて、ドラフトボイコットして、小林繁放出してまで取った甲斐はあったんだろうな。これもモノを見る目というやつか。

さて、私のこの年のアイドル代表曲は、石川ひとみの「まちぶせ」です。松任谷由実の曲で、以前三木聖子が歌ったものをリバイバルしたもので、この曲が売れなかったら歌手を辞めるつもりだったようですが、いやいや私はこの曲が売れなくても「くるみ割り人形」だけで何杯でもご飯が食えると思っています。「まちぶせ」は、やはり「あなたを振り向かせる」といったストーカー気質の部分が響きました。私がこの曲を人前で感情込めて歌ったら、おそらく通報されるでしょう。

「少女Aと待つわと山びこ打線と」

こちらは1982年、私が高校三年生になった年で、ようやく変声期を終え、背も伸び始め、そして道程を捨てたくなってきたけど、これは上京してからにして、とりあえずこの長野県の田舎からどうやって脱出しようかと模索していたころでした。

この年のアイドル界は、松田聖子の80年組に対抗する大きな勢力として正に花の82年組と言っていいでしょうか。そもそも81年は松田聖子一人勝ちで新しい人と言えば双子演歌デュオの裕子と弥生くらいしか思い出せません。どうしているのかな?ポストこまどり姉妹だと思ってましたが。

しかしながら、この年まず先陣を切って出てきたのは今はもう57だけど、このころは伊代はまだ16の松本伊代でした。わたしはどちらかというと、後ろで踊っていた「キャプテン」が気になってました。伊代から離れて麻生真美子と組んで今はどうしているのでしょうか。

そして、結局この世代の出世頭となったキョンキョンこと小泉今日子、スチュワーデス物語で一発当てた堀ちえみ、ハワイからやってきた夏色のナンシー早見優、スタイル抜群もっと接近したい石川秀美と大豊作でしたが、なんと言ってもトップに躍り出たのは中森明菜でした。

「少女A」は衝撃的だったなぁ。山口百恵の突っ張り系とも棲み分けできる感じもしました。で、少女Aが特別じゃなくてどこにもいるのは良く分かりました。だからといって、そんなにいてほしくないし、特に見た目でアレなのはと、、

あとは「待つわ」を、そこらじゅうの女子がハモって練習していたなぁ。いつまでも待たれるのも迷惑だということをこの曲から学びました。「まちぶせ」も「待つわ」も私がやると通報モノになるんだろうなと。

この年の私の代表曲は、松田聖子の「制服」です。そうです。ただのクラスメイトで終わるからいいんです。そこから先は汚れちまったになるんです。私の卒業ソングのベストワンでもあります。まあ聴いてみてください。

高校野球は池田高校が打ちまくって優勝しました。水野選手は巨人で野手に転向したほうが良かったのではと、少なくとも藤王選手よりも打撃は上だと思っていました。

そして私はしれっと国家公務員の試験に合格し、この家を離れることができる期待に下半身を膨らました一年でした。

「上京とPLと銀蝿と初恋と」

1983年、私は高校を卒業し、国家公務員になりました。大学進学については、一年間勉強でもしながら、次の年にどこかの夜間大学に入ろうと決めてました。いわゆる「勤労学生」になってみようかなと。

アイドル界は、松田聖子と中森明菜の二大勢力が出来上がっていました。「ザ・ベストテン」も、この2人と田原俊彦と近藤真彦が毎回出演し、演歌で五木ひろしと細川たかしが目立っていた頃でした。細川たかしに関しては、前年の「北酒場」に続きこの年も「矢切の渡し」でレコ大を受賞しました。

映画では「フラッシュダンス」が社会現象的に大ヒットしましたが、私はこの映画を未だに観たことがないので、そのうち機会があればと思っています。音楽が「スチュワーデス物語」のパクリかと思っていましたが、そっちの方が先だということに後になって気付きました。

さて、私がこのとき入れ込んでいたアイドルは、「横浜銀蝿の妹」として登場した14歳のドリーミングガール、岩井小百合でした。生まれて始めて柏のそごうでアイドルと握手しました。ちなみに彼女は「最年少日本武道館単独ライブ」の記録を持っている、はずです。私は当時お金がなくて行けませんでしたが。

あとは、高校野球で桑田真澄の登場に衝撃を受けました。私と対して変わらない体格で、あの水野雄仁から、1年生ながらホームランを叩き込んだのを見た時、こういう人が野球で天下を取るんだなと思いました。同期の清原和博よりも、この時は凄いと思っていました。4月1日生まれなので、あと1日遅れで生まれていたら、水野は桑田にホームラン打たれずに池田高校が春夏甲子園を連覇していたかと思うと、生年月日は侮れないということになりますw

さて、私のこの年の代表曲は、村下孝蔵の「初恋」です。とにかくあの野太い声の高音域が本当に素晴らしい。「歌は心でなく肺活量で歌うもの」だと思い知らされました。

私のYou Tubeでも「80年代ナンバーワンソング」とさせて頂いているのでアイドルソングでなくこちらを代表曲で挙げますが、岩井小百合の「ドリームドリームドリーム」は今でもカラオケで歌います。新人賞は「野村義男とグッバイ」に取られて悔しかったですw

実家から脱出し、開放されてまあ悪さをやり放題やり始めた年でもありました。

GOOD LUCK 陽はまた昇る
くずぼしいってつ








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?