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粒≪りゅう≫  第十一話[全二十話]

第十一話


やめて やめて やめて
と、心が悲鳴を上げていた。

自分がなんなのか、どうしたいのか、どうするべきなのか・・・
それを、絶えず人から、どうあるべきなのかをいつも伺っていたのか

自分で自分に石を打ち付けて、そんな自分を懲らしめたかったのか。目を覚まそうとしていたのか。
 
 人は何とでも言うのだ。だって皆、自分が一番可愛いのだから。
自分に都合のいいことだったら、他人が大変な目に遭っていたとしても、平気だったりするのだ。

 そんな風に思ったことも何度もある。それは、本当の事だと今も思う。
だって、人の事ばかり気にしていたら、生きていけない。
人の痛みを知るのも大概にしておかないと、自分の方がおかしくなってしまいそうだ。
 
だから、自分可愛いでいいのだ。その方が、精神的に安全に生きていける。
先ずは、自分。自分の精神を守らないと!
 
 
 やはり、自分は、常識外れな人間かもしれない。
けれど、そんな風が心地よいのだから、しようがない。


 長い間我慢してきたよ。すごく頑張ってきたよ。
それが、自分にとって必要としないものだったとしても、やり切ってきた。

もう、いいじゃない。


粒は自分で自分に言い聞かせた。これまでずっとそうしてきたように。


【レイノー現象】だという事がわかった。

 粒の指の症状は、この現象が起きていたのだ。
指先の血管が痙攣して細くなることにより起こる症状で、寒冷刺激や、精神的なストレスによって誘発されるが、原因は様々らしい。

 総合病院で受けた血液検査の結果、心配したような病気ではなかったが、医師には、今よりも頻繁に起こるようになったら、すぐに再診すること。
そして、この症状が長く続くようになると、潰瘍や壊死を生ずることもあるから、と注意を受けた。
 
 
 蒼白になった指はまるで死人のそれのよう・・・私は死に始めているのかもしれない・・・と粒は思った。

 心が、身体が、死人に近づいているような気がした。
自ら自分を、そのような状態に仕向けてきたのだろう、長い間。
 
 一番に大切にしなくてはいけないのに、一番に可愛がらなければならない自分自身を、長い間痛めつけてきたのだと、強く思った。

粒は、自分の、血の気を無くした指が、そう訴えているような気がした。

***


「今日は、大丈夫そうで良かったです!」

“屈託なく笑うあなたのお陰で、私は救われたのですよ”

と、粒は心の中で、星加に礼を言う。本当にそうだった。

 粒は、どれほど救われたかしれない。
関係性も、立場も場所も何もかも、あの時、彼の頭の中にはなかった。
ただ、粒の、蒼白の指をどうにかしなくては、の一心で行動したのだろう。 
 
 心が揺さぶられるではないか。粒は、未だかつてあんなふうに、身も心も救われたことが無かった。
 あの時は驚きと感動、動揺、いろいろなものが混じり合って、指の感覚がいつもに増して麻痺していたし、身体じゅうが麻痺しているかのような状態だったように思う。
 
 多分、お湯につけてもらって、指をさすってもらって、とても温かかったろうと思う。確かに温かかった。
粒の内部にある、表面には絶対に出てこない、ずーっと奥に潜むなにかが、そう感じていた。

 そしてその時、粒が物心付いた頃から、くつくつと煮えたぎり続けている感情のたまり場に、光が差した。あたたかいぬくもりを感じた。
そうして今も、星加の傍で粒は、ぬくもりを感じている。

「先日は、本当にどうもありがとうございました。お陰様で、助かりました。星加さんがあのように対処してくださって、ほら、この通り、指は元気にしております!」

と、粒は指を滑らかに動かして見せた。

「ペンもスムーズに動かすことが出来て、作品も順調に仕上げることが出来ました。」

粒は、自分の分身のような作品を、星加に手渡した。

「いえ、僕はあの時、なんとかしなくてはと考え、衝動的にというか、日和さんの合意もなく勝手な事をしてしまい、ご迷惑をおかけしたのではと、心配していたんです。」

「一刻も早く温めなくてはいけないと思い、咄嗟に『お湯だ』って思いついたのですが・・・。」

「本当に、よくわかりもしないのに、勝手な事をしてすみませんでした。」
「でも、お元気で良かったです。本当に。安心しました。」
「頑張って仕上げられた原稿、拝見します。」

星加が原稿を確認している間、粒は彼の様子をうかがいながら、心はふわふわとさまよい歩いていた。


 
 これまで幾度も配偶者は、粒の蒼白な指を目の当たりにしてきた。
その都度、「うわ~」とか「お気の毒に~」と言っているかのような表情を見せるだけで、一度として、粒の指を何とか甦らせようと、働きかけてくれたことはなかった。手に触れることすらなかった。
まあ、自分は全面拒否するだろうけれど・・・と、粒は苦笑いをする。
 
 
 星加さんは、異質な人なのか?星加さんはいつもあのように、衝動的に動く人なのか?星加さんは誰に対してもあのように対処するのか?星加さんはどうして私の好きなにおいなのか?星加さんはどうしてそんなに身も心も美しいのか?だってそうではないか・・・いざという時に後先考えずに、人のために動くなんて、なかなか出来ることではないよ。心もきっと美しいよ。うん、顔に出てるよ内面が。で、星加さんは、あの時電車の中で、私の隣に座った事、覚えてる?
 

 粒は、目の前で星加が原稿を確認しているのを視野にいれながらも、もし自分が、テレパシーの使い手ならば、次から次へと湧いてくる質問を目の前にいる星加に投げつけて、星加の内部を掘り起し、回答を得ることが出来るのになぁ・・・と、つらつらここまで考えたところで、星加がこちらに目を向けていることに気が付き、ドキッとした。
ひょっとして、星加は超能力者で、粒の考えていることを、全て見通しているのではないだろうか?という気さえした。

「日和さん。僕、本当に大好きです、この作品。」

大事に原稿を揃えて、星加は言った。
粒の胸が、トクトクと喜びの声をあげた。
粒は心底嬉しかった。誰よりも、星加にそう言ってもらえて、嬉しかった。

 星加の言葉はおべっかな匂いが全くしない。例え、立場上そう言ったのであったとしても、いいのだ。
もう、その、星加の一言を聞いた瞬間に粒は、自分がした一大決心は間違いではなかったのだと思えた。

「仕上がりが楽しみですね!」

「日和さんの本を手にするのが、楽しみです。」

 そうかそうなんだ、と粒は思った。
もう、自分のやるべきことは、終わったのか。

 ほんのひと会話前には、嬉しかったのに。もう、粒の心はしゅんと、しぼんでしまっていた。

「じゃあ、これで私の作業は終わりですか?」

そうなのだとわかっているのに、敢えて尋ねる。
私っていつもそうかも・・・と粒は思う。
何かに取り組んでいる最中は、脇目も振らず、無我夢中で取り組むのだけれど、仕上がったとたんに、もう一気に気持ちがしゅんとなる。幕が閉じる感じだ。
 
 そしていつものそれにプラスして、今回は生まれて初めての体験だったし、なんといっても正直に言うと、星加に会えなくなる寂しさで、一気に生気を失ったのだった。


 

 粒は、最初鉛筆描きだった絵を、ペンで上書きした。
それぞれの箇所にあわせて、太さの違うペンで、慎重に丁寧になぞっていった。薄く、ペンや鉛筆で色付けした箇所もある。

 本当言うと、鉛筆の質感がたまらなく好きだから、出来ることならば、鉛筆描きの状態のままにしておきたかったのだが、印刷するうえで薄くなってしまい、せっかくの絵のインパクトが弱くなるのは残念だから、ペン書きした。
でも、色付けはしないでおいた。シンプルなペン書きが、自分の描く絵のイメージに一番合うと思ったし、試しに色を付けてみたのだが、やはりピンとこなかったのだ。
 
 そして、その絵に合わせて、ページ毎にお話を入れてもらうのだが、これは自分でよく考え決定したものを、星加をはじめ出版社の職員に、入念に確認してもらい、いろいろと教えてもらったり、アドバイスをもらったりして創り上げていった。
 
 表紙や裏表紙、カバーは、粒の希望で、お話の一場面を取り上げてもらう事にした。

そして出版予定日は、2月4日。密かに粒の、46歳の誕生日である。


 
 ある小さな女の子は、ちょっと繊細で意地っ張り。遊び友達がいましたが、些細な事で喧嘩をしてしまいます。
女の子は“自分は悪くないもん”と思い、謝りません。それは、相手の子も同じ。その時女の子の心の中に、小さなトゲのようなものが芽生えます。日に日にトゲは育っていきます。
 
 女の子の心の中に、不安や不満や不信感や理不尽な気持ち等が積もるにつれ、トゲはどんどん成長していき、そのうち女の子はトゲに支配されてしまうのです。自らが、知らず知らずのうちに、大きく育ててしまった、自分の化身に。
 
 自分の化身にがんじがらめになった女の子は、ひとり静かに考えます。どうして自分はつんけんしてしまったのか、どうして自分はイライラプンプンしてしまうのか。どうして・・・。

生きているから・・・。
トゲトゲの女の子のところに、小さな生き物たちが来てくれます。
何にも言わないけれど、いてくれるだけで、あたたかい。
 

 生きていると、いろんなことがおこります。いろんな気持ちが生まれます。腹が立ったり、辛かったり、寂しかったり、虚しかったり、わけがわからなかったり・・・。
 心の中が嫌な事でいっぱいになってしまった時は、吐き出してしまえば楽になります。

そうしてまた、挑戦を始めるのです。
そしてまた、心が要らないものではちきれそうになったら、吐き出せばいいのです。


 粒の絵描いた作品は、そう、粒自身のこと。そして、粒に似て、繊細で集団生活の苦手な娘、あんのこと。

 

“子供だって、大人だって、同じように苦手な事は苦手だ。
そして、人それぞれ性格が違うのだから、人それぞれ苦手な事ももちろん違う。だから、皆ある意味同じなのだろう。
傾向としては偏ってしまうのだろうけれど、ひとりひとり何かを抱えていて、何かを背負っている。
人のこと全てを知り尽くすなんて出来ない。自分の事も、他人に理解してもらえなくても仕方がない。
だから、自分なりの生き方を、模索していくしかない。
自分の全てが、そう、自分を成り立たせているひと粒ひと粒が、幸せを感じることができるように・・・“

と、粒は思う。


 出版された【作・絵  日和 粒】の絵本は、出版社の宣伝のお陰で、恐れ多くも粒が作者であるうえに、全く魅力的とは思えないプロフィールだった(写真はなし)わりに、買い求めてくれる人がそれなりにいて、「日和さんすごいです」と、星加に言われた。

 このことを粒は、星加に褒められたと思うことにした。
そう思うことで、嬉しさが倍増したし、何となく、世話になった星加に、恩返しが出来ている気分になったから。



第十二話につづく


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