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第289回、自分がAI画像を販売する理由を考えてみた


今月中にAI画像の販売をしようと思っている物の、一向に終わりの見えない画像の修正作業に、気持ちがやや折れ始めています。
正直面倒くさくて、やりたくなくなっているのです。

生成数が多いからとはいえ、AI画像生成がこんなに手間のかかる物だとは、思いませんでした。
そもそも売れるかどうかもわからないAI画像に人生をかけるなんて、まともな人間のする事ではないのです。AI画像販売なんてやめて、今すぐに普通に働くべきなのは、自分でもわかっているつもりです。

でも自分は簡単に画像の生成ができるから、楽してお金を稼げそうだから、AI画像に飛びついた訳ではないのです。

今回は、自分自身の気持ちを見つめ直す為に、なぜ自分が、AI画像の販売を行おうと思っているのかを、改めて考えてみる事にしました。


理由その1 少女写真集への思い

そもそも自分は昔から、少女写真集を手掛けたいという願望がありました。
もちろんそうした仕事についていないので、現実的には無理なのはわかっているのですが、そうした要素を除いて、自分が一番叶えたい願いを考えた時少女写真集というのは、自分の中で最大級に近い願望でもありました。

しかし仮に自分が、グラビア等を手掛ける出版業界で働いていたとしても、少女写真集を出すのは、殆ど不可能な事でもあるのです。

それは児童ポルノ禁止法の影響により、出版業界全体が、少女を対象とした写真集やグラビアビジネスから、完全に手を引いてしまっているからです。

かつて小学生の少女をモデルにした、写真集やグラビアビジネスは、存在をしていましたが、出版業界にとってもメインの仕事はあくまでも、18歳以上の女性を扱った物なので、警察に摘発されるリスクを負ってまで、小学生をモデルに扱う会社はなく、児童ポルノ禁止法の施行を境に、殆どの会社からこの手の写真集がなくなってしまいました。

つまり、どうあがいても実現しようがないと諦めていた少女写真集を、制作販売するという願望が、AI技術の登場によって、自分のような人間にも実現させられる可能性が、突如として出て来たのです。

もちろん少女写真集の販売をすれば、自分自身が警察に摘発される可能性もありますが、しかしこのジャンルに、一定の需要があるのは確かな事ですしリスクはある物の、出版業界が手を出せないからこそ、個人で制作、販売をする利点は、十分にあるのではないかと考えています。


理由その2 少女への熱意

もう一つは自分の、少女に対する尋常ではない熱意です。
はっきり言って自分の少女に対する熱意は、尋常ではないと思います。
一歩間違えば、警察に捕まる事もやぶさかではないレベルと思っています。

普通ならその熱意を抑えて生きるのが、正しい生き方なのかもしれませんが自分はそれを抑えた所で、普通の人生を生きられる訳でもありません。

社会に適応できず、何をしても長く続かない自分ですが、自分は少女写真集の製作ならば、永遠にやり続けられる自信があります。
それだけの少女への熱意と、尽きる事のないイマジネーションが、自分にはあるのです。

どうせ消える事のない熱意ならば、それを抑え込む事よりも、その熱意を創作とビジネスに転化をさせた方が、いいのではないかと思っているのです。


理由その3 クリエイターとしての願い
自分は挫折者ではありますが、かつてはクリエイターとして仕事をしていた経験もあり、若い頃にはCGデザイナーをしていました。
実力経歴共に、もはや業界に復帰する事は、到底無理な話ですが、どこかでクリエイターとして、もうひと咲きしたい思いがあるのだと思います。

自分本来の画力では、到底無理な事ではある物の、AI技術を用いれば、あるいはその願いも叶えられるのではないかという一途の希望を抱いています。

生きる為にも、AI画像販売による最低限の利益は欲しいと思っていますが、自分は別に大金を得られなくても、全然かまわないのです。生きていく上で必要な最低限の利益さえ得られれば、普通の人生の幸せは何も望まないのでクリエイターの端くれとして、AI少女の画像を制作し続けていたいのです。


理由その4 老後への対策
仮に定年まで普通に仕事を行った場合でも、自分にはそれで得られる貯金と年金だけで暮らして行ける、安泰な老後等はどうあがいてもあり得ません。老後も死ぬまで何かしらの金銭的な利益を得続けなければならないのです。

お金に余裕のある人は、個人投資家という生き方もあるでしょう。
体力に自信があれば、老後も肉体労働で生きて行く方法もあると思います。
しかしどちらの生き方も、自分にとっては不適正と言わざるを得ません。

もちろんいざとなったらそうも言ってはいられませんが、少なくとも自分にとっては、AI画像の制作、販売は、老後の収益手段としても、そこらの副業ビジネスより、十分に可能性のある事ではないかと思っているのです。

しかし年老いてから、いきなりAI画像の販売ビジネスを行った所で、それが物になるかはわかりません。少なくとも今やって物にならないのであれば、老後に始めた所で、物にはならないでしょう。

今AI画像販売を行うのは、老後を見据えた収益手段の模索も含んでいます。もちろん数十年後も、今のAI技術である訳がありませんが、未来のAI技術に対応していく為にも、やはり今現在、AIビジネスのノウハウを蓄積しておく必要があるのではないかと思っています。


理由その5 発明家への夢
いきなり話が飛ぶようですが、自分は子供の頃から、発明家になるのが夢でもありました。しかし子供の頃に、自分の作成した発明品を親に見せた時に親がとても怪訝(けげん)な顔をしているのを見て、ああ親はこういう事を望んでいないのだなと、してはいけない事なのだなと思い、それ以降一度も頭の中の考案物を形にして来ませんでした。

しかし今でもやはり、発明家になる事への夢は諦めきれていません。
何を言いたいのかというと、少女クリエイターと個人発明家の両方の夢を、できる事ならば、自分は実現したいと思っているのです。

自分には「ランドロイドと」いう、実現させたい構想物があります。
しかしこれを実現させるには、少女クリエイターと個人発明家の両方の夢を実現させる位でないと叶わないのではないかと、最近は思い始めています。


理由その6 会社設立への思い
少女クリエイターと個人発明家の両方の夢が叶った場合、自分は次の構想として、ひきこもりの為の会社を作りたいという夢というか、妄想的な思いがあります。
日本にひきこもりの人数は、約140万人以上いると言われています。

症状はそれぞれなので一概にはいえませんが、これだけの人数を全員社会に復帰させるには、尋常でない額の国の資金がかかるのだと思われます。

しかも頑張って社会復帰をした所で、この人達が人並みの労働力になる事はまず望めないのです。人並みに働けるのなら、最初からひきこもり等には、ならないからです。

ならばひきこもりの人達を人間改造して、現代の社会に復帰させるよりも、そのままの状態で働ける労働市場を作ってしまった方がいいのではないかという思いが、自分にはあるのです。

「リトル・マーメイド」は、人体改造をして、自分の生き方を変えられた、素敵な物語ではありますが、果たして140万人の人魚を、全て人間にしなければならない物なのでしょうか?

人魚が人間にならずとも、人と共に生きられる社会の形成をしていく事も、あの作品が示すべき、もう一つの可能性ではないかと自分は思うのです。

※「ひきこもりは人魚ではなく、元々人間だろう」と言われる方もいるかと思われますが、それはひきこもりの人達の実態を理解していない、まともな人間の言い分なのだと自分は思っています。


まとめ

これが自分が、AI少女画像を販売して利益を得たいと思っている理由ですが
皆様はどう思われたでしょうか?
多分「こいつは気が狂っている、自分の現実を見ていない、ひきこもり人間の妄想だ」と思われたのではないかと思います。

客観的に見て、自分でもそう思います。自分はまともではないと思います。
その可能性の方が高いのかもしれません。しかし万が一、これらの事を実現できるのであれば、自分はその可能性にかけてみたいと思うのです。

「ファーストペンギン」という言葉がありますが、あれは人々に説法をして周囲を正しい道に先導する人の事ではありません。
人々に笑われて嘲られながらも、ただ一人泳ぎ始める人の事を言うのです。
その結果、溺れる可能性の方が高いのだとしても、自分はやはり泳がずにはいられないのだと思います。

※まだ一枚も画像の販売をしてないのに、これだけ妄想をする事ができるの逆に凄くないでしょうか?

自分は少女を生成していられるなら、それだけでいいのです。一生監獄の中でもいいのです。
(犯罪をするとかそういう意味ではありません。詳しくは第226回、創作監獄をご参照ください)

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