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星の光に

 「能登の方も廻ってきました?行ってない?じゃあ、今度来る時はぜひ能登まで足伸ばしてみて。いいよー能登は」
 金沢へのひとり旅、最終日にふらりと立ち寄った鮨屋のカウンターで、気さくな大将が声をかけてくださった。数年前、自分にとっては2回目の金沢であったが、家族を置いてきて、好きなように見たいものを見て食べたいものをいただく、のびのびとした旅だった。その時はこんな日が来るとは夢にも思っていなかった。かの地の運命にも、自分の運命にも。

 初めて北陸新幹線に乗った。レンタカーも借りず、ハイヤーなどもつかわず、路線バスと自分の足で、細かく歩いて回った。巡回バスも観光に便利で、乗り放題チケットなども活用した。観光客に親切な街、そして、柔らかいイントネーションで話す地元の方々も親切だった。

 石川県立図書館、金沢21世紀美術館、兼六園、金沢城、茶屋東町と見所には事欠かない。印象深いのは、金沢能美術館、泉鏡花記念館、鈴木大拙館などで、特にしんとして人気のない中村記念美術館のお茶室を独り占めしてお抹茶をいただき喉を潤したあと、ひっそりとした「緑の小径」を辿ると、突如眼前に現れたモダンなグレイの壁に亀裂が入りーー壁に同化したドアの隙間ーーからちらりと見えた水面の理知的なきらめきは忘れることができない。それは、鈴木大拙館の水鏡の庭と思索空間の一部が見えたのだと、すぐ後にわかったのだが、そのスタイリッシュで端正なたたずまいは、私の中に深く根を下ろした。必ずもう一度訪れよう、この次は日本海側まで、能登半島までと心した。

 思えば一度目は亡夫の運転する車で舞鶴から海岸線をひたすら北上して、富山を経て石川にたどりついたのだった。あれは何年前だろう。月日はどんどん流れ、何もかも移ろい、変わりゆく。皆が去ってゆく。

 私はひとり、いつもの場所に取り残される。

 月のない夜、濃いブルーインクを流したような水平線の上に、星たちがおずおずとまたたく。太平洋を覆うシェルタリングスカイにまたひとつ、またひとつと震える何億光年の光は、無数の無碍な魂たち…
 
 届かないかもしれない、それでも、至高の祈りを捧げて眠れない夜の眠りにつく。

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