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春の夢

 ああ、おかえり。 帰ってきた気配がして目が覚めた。 夢だったのか、現だったのか、私がベッドでまどろんでいる間に、長い出張から帰ってきたみたい。クローゼットに入っていく気配。  目をはっきり開けてみたら、いつものひとりの寝室だった。 帰ってきたの?って、もう永遠に既読がつかないLineに送ってみた。 春の明け方。春の夢。  そういえば、ずっといつもそうだった。私はいつも待っていた。でも必ず帰ってきたから。私が眠っている間に。

    • 春にして

      『春にして君を離れ』というアガサ・クリスティーの小説がある。彼女の作品の中でも、本格ミステリー以外でとても人気のある作品かと思う。最近オーディブルで聞いたのを機に、本棚の奥から取り出して文庫の方も読み直してみた。  自信満々で独善の極みにある中流階級気取りの主婦の話である。舞台は第二次世界大戦勃発直前のイギリス、そして主人公の旅先であるテルアブハミド。おおっぴらに帝国主義の時代なのだろう、主人公のジョン・スカダモアは田舎弁護士の妻でありながら、差別意識に満ち溢れている。  

      • 春幻

         土曜日は、たくさん届いた苺の冷凍作業をした。つやつやと赤く、まるまるとした苺の粒は、新鮮でそのままぱくっと食べるのがいちばん美味しいに決まっているのだが、ひとりなのでいっぺんにたくさんは食べられない。大切にいただくために一定量は冷凍保存することにした。数パック分をきれいに水洗いして、ひとつひとつへたを取り、半分にカットして、小分けにして保存袋に入れて三温糖を加えよくまぶす。きっちり封をして冷凍庫に収める。冷凍庫が、以前届いたブルーベリーと苺でいっぱいになった。  この週末

        • 春苺、花花、アンナ

            午前中、苺とお花の届け物があった。 苺は昨年寄付したふるさと納税の返礼品で、何ヶ月も経っていたので忘れかけていたが、うれしい届け物であった。ようやく良い粒が実り始めたのかなと遠くの苺畑に思いを馳せる。みなさんはふるさと納税ではどんなものを受け取っているのであろうか。私は、もっぱらお米、ブルーベリー、苺、の繰り返しである。次は、少し目先をかえてみようと思う。瀬戸内あたりの自治体でオリーブとかオリーブオイルなどが返礼品にあれば、寄付して頼んでみたい。あと、五島列島の椿油や、北

          春の雨、または長旅

           雨の中散歩するのも好きである。今日は早朝から息子が帰って来ていたし、仕事は仕事で忙しい。夜まで散歩に出かける時間がなかった。ああ、やっと、と思った時にはすでに外は真っ暗で、肌寒く、しとしとと小雨が降っているようだ。一瞬躊躇したが、一日休むのも気が悪いので、シェルジャケットを羽織ってさっと出かけた。今日は買い物の必要もない。林芙美子紀行集の続きを聞きながら、歩き始めれば小さく心が躍るほどである。  不思議なもので、どうにも身体を動かすのが億劫な時期がしばらく続くこともあるのに

          春の雨、または長旅

          春雑感

           ずっと続いていた諸々の大事雑事が片付いてきて、少し落ち着いた日々を過ごしている。まずは体調第一主義なので、朝のヨガと軽い腹筋、スクワットを再開。そして、忙しさにかまけてさぼり気味だったウォーキングにもしっかり時間をとっている。歩く速度も上げ、もはや散歩レベルではない。運動っぽくなった。最近初めて取り入れたのが半身浴で、もともと熱くてのぼせる感じが苦手でサウナなどとんでもなく、お風呂もカラスの行水だったが、美容家の友人からアドバイスを受けて、試してみることにした。低温でトライ

          ある詩人とマギンティ夫人

           今、何十年かぶりにアガサ・クリスティのミステリを読んでいるのだけど、これには理由があって、先日たまたま『荒地の恋』という映画?ドラマ?を観たからなのである。  なんとなくAmazonプライムを開くと目についたので、再生してみた。なんの予備知識もなく、出演している俳優にも興味がなく(女優は見てすぐに鈴木京香さんだとわかったのだが、主人公の男性は最後の方まで誰か分からなかった…とよえつであった)、ただ古い時代の横浜や鎌倉の風景、レトロなファッションやインテリアや建物、ゆるやか

          ある詩人とマギンティ夫人

          星の光に

           「能登の方も廻ってきました?行ってない?じゃあ、今度来る時はぜひ能登まで足伸ばしてみて。いいよー能登は」  金沢へのひとり旅、最終日にふらりと立ち寄った鮨屋のカウンターで、気さくな大将が声をかけてくださった。数年前、自分にとっては2回目の金沢であったが、家族を置いてきて、好きなように見たいものを見て食べたいものをいただく、のびのびとした旅だった。その時はこんな日が来るとは夢にも思っていなかった。かの地の運命にも、自分の運命にも。  初めて北陸新幹線に乗った。レンタカーも借

          星の光に

          白梅を想う

           お昼時に抜けて役所と銀行に行く。銀行とは13時にアポイントなので、役所で印鑑登録証明書を取ったあと、やや急ぎ足で向かった。冬晴れで白い陽射しに街も明るい。けれど、空気はとてもつめたくて、アイスグレーのたっぷりしたシャギーニットマフラーに顔をうずめて歩く。  お待ちしておりましたと、恭しく、奥のすりガラスで囲まれた小部屋に案内された。お飲み物は、と聞かれたので日本茶を所望した。担当者を待つわずかな間に、銀行で働くというのはどういう気分であろうか、と想像を巡らす。  何かに

          白梅を想う

          いつか忘れてしまう

           今夜はほうじ茶を淹れた。キャビネットから銀の茶筒を取り出して蓋を開けると、芳ばしい香りがぱあっと広がる。旅先で買い求めた茶葉である。もう残り少なくなって、そうして最後には無くなって、いずれ、旅の思い出も薄れていくのだろう。あれは山里の宿坊だった…  『残りの雪』をオーディブルで聴き終えた。確か20年ほど前に一度読んでいる。当時の感想としてはあまり否定的ではなかった記憶があるが、今回は、登場する男も女も各々滑稽で物哀しく見え、その恋愛模様がただ虚しく思えた。  一方で舞台

          いつか忘れてしまう

          Sawamura ロースタリー

           早朝、白い息を吐きながら、木立の間を歩いて歩いて、ひたすら歩いて、空を映す池を見に行った。街道を小道に折れると、冬枯れた樹々の奥にひっそりとたたずむ水鏡が現れた。青い冬空と針葉樹の濃い緑の木立が、そのまま逆さまになって映っている。綺麗だ。きりっと冷えた空気の中、霜柱が立つ枯れ葉をかしゃかしゃと、さくさくと踏みしめながら進む。先に広がる水面には、まさにデコイのように、鴨たちが浮かんでいるのが見えてきた。二十羽ほどだろうか。群れるというよりは、互いに微妙に距離を取って、一羽一羽

          Sawamura ロースタリー

          万事夢のごとし

           ふと振り返るとすべてが夢の中の出来事のようだ。或いは、未だ夢の中にいるのかしら。

          万事夢のごとし

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           オフショア、北風が強くて寒々しい朝。 ホワイトのタートルネックニットにホワイトのワイドパンツにアウターは何にしようか、スキンカラーのロングコートはやめて、グレージュのフェイクファージャケットにした。今日みたいな冬空にぴったりだ。パンツの下にこっそりタイツを履いてきたのも正解だった。寒風をものともせず高い空を見上げる。  年末、元報道カメラマンだったカナダ人と二週間ほど一緒に過ごした。カナダ国籍ではあるが、自分のルーツはアイルランド、僕はアイリッシュなのだと言っていた。若い

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          真珠のように、夜露のように

           箱根、山中湖、軽井沢と山々を旅した昨年12月、遠来の客も迎えていたせいか、心持ちに小さな変化が芽生えたような気がしている。日が経つにつれ、変化は少しずつ広がり、深くなってきているのを感じる。ほんの少しだけど。  本当は無理をしなくても、明るい文章を書けるようになりたいのだ。絶望ばかりでなく希望も。焦ることでもないのだろうが、「ぼくたちは決して乗り越えられやしないんだよ。だから、祝うんだ」という言葉が耳に残る。  娘のような同僚に教えてもらったSFの超短編を読んだ。  勝

          真珠のように、夜露のように

          For All We Know

           落ちてゆく陽を追いかけて、息を切らし、帰宅した。ずいぶんと動いた一日だった。テラスに出ても寒くない。白い街明かりの背後に悠々と浮かび上がる山の稜線、黄金色の夕空、黒々と降りてくる雲の塊。影絵のようだ。  気分が良いので、久しぶりに外のチェアに座り、刻一刻と移り変わる夕暮れを眺めることにした。ピノノワールをグラスに少し、ピスタチオと一緒に小さなトレイに乗せて腰を落ち着ける。  心を奪われる自然のスペクタクルも、誰とも分かち合わずに鑑賞することに慣れた。  夕空を目にしな

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          黄金と玻璃

           夕方、仕事を片付け急いで法務局に向かう。ブラッドオレンジに染まる西の空、黄金色の光線が伸びて、色づいた銀杏並木を照らす。秋の真ん中のこの日だけのこの時間だけのこのいっとき、ひとりで落ち葉を踏みしめながら歩いても、何も思い出すことはない。嫌いな作家が、悲しみに甘えるな、と言っていた。嫌いな作家の言うことは嫌いだ。  風が舞い、落ち葉が舞う。金曜日。行き交う人々は急ぎ足で笑っていた。用事を済ませ、局舎を出るころにはすっかり陽が落ちていた。  ヴァージニア・ウルフの短編集を読

          黄金と玻璃