世界遺産 検定勉強世界編9

地震・危機遺産編

バムとその文化的景観(イラン・イスラム共和国) 登録年2004年/2007年範囲変更 文化遺産


参照:Pinterest バム遺跡

交易で発展したオアシス都市
・イラン南部にある城壁都市バムの起源は、紀元前6世紀〜前4世紀まで遡る
・砂漠のオアシス都市として、重要な貿易ルートにあり、特に7世紀〜11世紀の数百年にわたって、絹や綿の衣服の生産で繁栄した
・街の中心にある「アルゲ・バム」(バム城塞)を囲む全長2kmに渡る城壁は9世紀ごろに作られた。
木の生えない砂漠地帯のため、日干しレンガを主な建材として使用
・イランのオアシス都市にはカナートと呼ばれる地下水路がある
カナートを用いて灌漑農業などが行われている
・豊富な水資源を生かしたナツメヤシなどの栽培により、19世紀には人口10万人を超えたが、2003年の大地震が町とアルゲ・バムを崩壊させ約3万人の命がなくなった。2004年には危機遺産登録もされた。2013年脱した
・砂漠地帯におけるカナートの形成が、人間と自然環境の調和を示し、厳格な社会組織の中で維持されてきたことなどから文化的景観が認められた



カトマンズの谷(ネパール連邦民主共和国) 登録年1979年/2006年範囲変更 文化遺産


参照:Pinterest 仏教寺院スワヤンブナート

仏教とヒンドゥー教が融合するヒマラヤの万華鏡
ヒマラヤ山脈の麓にあるカトマンズの谷
→直径20kmの範囲内に約900もの歴史的建造物が密集している
仏教とヒンドゥー教が融合し、独特の文化が花開いた
・14世紀からマッラ朝が、17世紀にカトマンズ、パタン、バドガオンの3王国に分裂して互いの栄華を競い合った結果、様々な芸術性の高い建造物が築かれた
ダルバール広場には、20棟以上の寺院、僧侶や貴族の館がひしめき合う
→工芸が盛んなパタンは、「ラリトプル(美の都)」と呼ばれ、バドガオンは特徴的な木彫りの窓を持つ宮殿があることで知られる
・人口増加や開発などで、2003年から4年間危機遺産に登録されていた
→これまでに何度も地震に見舞われ、その度に再建されてきた
2015年のネパール大地震でも甚大な被害を受けた

エルサレムの旧市街とその城壁群(エルサレム) 登録年1981年/1982年危機遺産登録 文化遺産


参照:Pinterest エルサレム市街

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地
・エルサレムは前1000年ごろ、ソロモン王が「十戒」を収める神殿を建てたことで聖地となる
→十戒:唯一神ヤハウェがモーセに与えたとされる啓示
現在も3つの宗教の聖地である
ユダヤ教の聖地は「嘆きの壁」
→故国をローマ軍によって破壊され、離散(ディアスポラ)を強いられたユダヤ人の情景から名付けられた
キリスト教にとってこの地は、イエス・キリストが磔にされ処刑された土地であり、墓があるとされるゴルゴダの丘には「聖墳墓教会」が335年に建てられた
イスラム教の聖地は「岩のドーム」で、大天使ガブリエルに導かれイスラム教創始者のムハンマドが天界の旅に出たとされる
→7世紀に築かれた祈念堂である
・旧市街は宗教や人種により4区画に分かれており領有権を巡って度々争いが起こった
→638年 イスラム軍が占拠
→1099年 キリスト教徒による第一回十字軍がイスラム教徒を撃破。エルサレム王国を樹立
→1187年〜20世紀 イスラム教徒の王朝アイユーブ朝のサラディンが奪回
・19世紀後半にシオニズム運動(ユダヤ人がイスラエルに故国を作ろうとする運動)により、嘆きの壁で武力衝突。「嘆きの壁事件」
→双方100人以上の死者が出る事件に
・紛争が長く続くため、隣国のヨルダンが世界遺産申請をし、保持は実在しない国イスラエルがしているが、国際社会はそれを認めていない
・現在危機遺産に登録されているが、一番長くリストに入っているため対策が求められている


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