世界遺産 検定勉強世界編5

アジア・アフリカ・オセアニア編

北京と瀋陽の故宮(中華人民共和国) 登録年1987年/2004年範囲拡大 文化遺産


参照:photoAC

明・清王朝の宮殿である北京の故宮
・北京の故宮は皇帝の居城で、政治の中枢
・現在は故宮博物院として一般公開されているが、それ以前は紫禁城と呼ばれていた
・1421年 明の永楽帝の北京遷都の際に居城とした
→10万人を超える宦官や女官がいた
→1644年 明滅亡の際破壊
→17世紀〜18世紀 女真族の伝統文化と漢民族の伝統を取り入れ再建
・城壁内部は、中央の乾清門(けんせいもん)を境に、北は生活の場、南は公務の場とされていた
・外朝には太和殿(たいわでん)・中和殿・保和殿が並ぶ
太和殿は、現存する中国最大の木造建築
→内部には、玉座があり皇帝即位の儀式や殿試(高級官僚試験)の会場であった
・遼寧省の瀋陽の故宮は、2004年に追加登録された
遊牧民族の住居パオに由来する八角形の建物や儀式の柱など、女真族の宗教・文化が色濃い点が評価されている

フエの歴史的建造物群(ベトナム社会主義共和国) 登録年1993年 文化遺産


参照:tripnote

中国とフランスの影響を受けた城塞
・ベトナム中部にあるフエは、1802年から1945年のグエン朝時代に同国の首都であった
中国の紫禁城を4分の3に縮小して作られた
・中国の影響が強いベトナムに西洋文化が流入し、中国と西洋の文化が融合
・中国風を基本に、ベトナム伝統建築や、フランスのウォーバン式築城方法の影響も受けている
・フランス保護領下で築かれたカイディン帝陵も、バロック様式を用いた中国・西洋の折衷である

伝説の都市トンブクトゥ(マリ共和国) 登録年1988年/2012年 文化遺産/危機遺産


参照:Pinterest

金と岩塩で栄えたサハラ砂漠の黄金の都
・サハラ砂漠南端の都市「トンブクトゥ」は、13世紀マリ帝国統治
サハラの岩塩と二ジュール川の金の交易の中継地
黄金の都市と賞賛され、16世紀にソンガイ帝国で最盛期
・ソンガイ帝国滅亡後、ヨーロッパ人の開拓によりアフリカ西岸航路が発達→内陸路の需要が減り衰退
・イスラムの学問・宗教の拠点でもある
→多くのモスクや大学、マドラサ(高等教育機関)が置かれ、西アフリカ最大のイスラム都市に
→街は3つのモスクに彩られている「ジンガリベリ・モスク」「サンコーレ・モスク」(アフリカ最初の大学)「シンディ・ヤハヤモスク」
・サンコーレ大学には25,000人の学生が学び、イスラム教布教の重要拠点であった
・建造物の崩壊と、サハラ砂漠の砂で街が埋没する危険性が指摘され、危機遺産リストになっている


大ジンバブエ遺跡(ジンバブエ共和国) 登録年1986年 文化遺産


参照:Pinterest

国名の由来になった遺跡
・トンブクトゥと同じで金の交易で繁栄した後に衰退した砂漠の都市
・13世紀にショナ族が築いた石造建築による都市
「アクロポリス」「神殿」「谷の遺跡」が残る
・アクロポリスは、丘の上に築かれた「王の都市」で、石壁で楕円形に囲まれた「神殿」を見下ろす位置にある
・遺跡からは、中国製と考えられる陶器の破片やアラビアの貨幣も見つかっている
・人口増加による木々の伐採、食糧不足などから都市は衰退
・現地の言葉で「石の家」を意味する「ジンバブエ」はこの地を表す名称

ウルル、カタ・ジュタ国立公園(オーストラリア連邦) 登録年1987年/1994年範囲拡大 複合遺産


参照:Pinterest

6億年前の造山活動で生まれた巨石群
ウルル(エアーズロック)カタ・ジュタを中心とする一帯は、6億年前の地殻変動により地表が隆起
→砂漠の中で風化や浸食を受けて形成された巨大岩石群
・ウルルはオーストラリア西部のマウント・オーガスタスに次いで、世界で2番目に巨大な一枚岩
酸化した含有成分により岩肌は赤く見える
・カタ・ジュタには36の巨岩が並ぶ
→国立公園内には、有袋類(カンガルーやフクロウモグラ)や、多様な鳥類、爬虫類、植物の自生が確認されている
・この土地はアボリジニのアナング族の聖地である
→文字を持っていなかったため、岩壁には神話や伝承の絵が残る
・現在、アナング族と政府で協議を行い国立公園を共同で管理している
・1994年 複合遺産へ範囲拡大

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