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アメリカ中西部 KfT#19 ダニーの家族と、銃と仕事の話


いよいよ最終日。
当時日本ではまだ公開前だった映画オブリビオンのDVDを観て、ダニーの家でくつろぐ。
もちろん、日本語のサブタイトルはなかったから、ふんわりしたストーリーと映像を観るだけにとどまったけれど。
キッチンカウンターで、初日にたんまり買った胸肉でチキンソテーを作って食べる、という食事が定番だった。
「いただきます」
をダニーに教えて、食事のたびに「いただきます」をした。
でも「ごちそうさま」は発音が難しそうだった。
日本語の発音は難しいみたい。英語も、お互い様だけどね!

マイルスの刺青と銃

ダニーは弟のマイルスと同居している。
朝早く起きて、マイルスとお話したときもあった。ダニーはまだ寝ていた。

マイルスがハイ!と初日に玄関で出迎えてくれた時、顔から首から腕からタトウだらけで、笑顔で挨拶の握手をしながら、ダニーから話は聞いていたが、実際に目にするとやはり衝撃だった。
初めて見る、タトウだらけのマイルスに聞いてみたかったこと、

「あなたは体にたくさんのアートがあるね!」
「そうだよ。全身にあるよ。俺、痩せてるからさ、指とか脇腹なんか、骨のところとか、チチチチって痛いんだよ」
うーん、そうなんだー
切れ切れのタトウを持つマイルス、まだ増やしたいと言っていた。

タクシードライバーのマイルス、日本なら顔や手にタトウを持った人は、今のところ、タクシーの運転手にはなれそうもない。そのあたりはさすがアメリカだ。

兄のダニー曰く「僕はタトウはいらない」興味ないそうだ。

マイルスは、ソファで趣味のGun銃の話をしている時もあった。Gunの弾をコレクションしているのか、カタログとともにテーブルにずらりと色々な種類の弾を並べて、延々とダニーに語っていた。
マイルスと話すと、気優しい印象なのと、趣味っていうのはイメージは重ならないものだなー
きっと何かどこか波長が違うのだろう。少し暗く、低い波長に引っ張られるのかもしれない。

猫たち


ダニーには猫もいる。
茶トラタビー黒茶グレーのにゃんこたち。

黒茶グレーはひたすら一人でいる。
まったく人を気にすることなく、寄りつかない。家を歩き、食べ、ソファーでねている。撫でさせてはくれるが、するりと向こうへ行ってしまう。


タビ―はなつこい。
ベッドに上がってくる。時々じゃれつく。時々ダニーと遊ぶ。私とも遊んでくれるけど、すぐ飽きる。若くて細身だけど、抱くと思いのほか重いのがおもしろい。マッスルなのだろうか。


地球儀


居間には、デカくて古い地球儀がある。図書館で拾ってきたそうだ。
「いいだろ?捨ててあったんだよ。もったいないじゃない」
木製の重厚な足。地図も古地図っぽいし、とてもクラシック。
大学の講義室にありそうなやつだ。
確かに素敵だけど、こんな大きなもの部屋におけるなんていいなあ。置いてもまったく余裕。インテリアになってる。
窓が広くて明るいし、大きいものを置いても暗くならない。


ダニーの仕事

デザートには、ダニーに教えてもらった、ハーシーズのチョコレートソースをミルクにぎゅーんといれてよく混ぜて飲む、これがうまくて、ハマる。
これが最後と大きいグラスで何杯か欲張って飲む。
後で腹に来るのだが、、、

その頃、私は仕事の状況があまり良くなくて、ダニーにその話をしていた。
「東京の人達なんて、会社で、皆遅くまで残業してるよ、定時に帰るなんてないよ」
「へえ、でもそれじゃ何のための人生なんだい?」
さらりと言う。

ほんとだよね。考えさせてくれるなあ。
まったくだよ。

ダニーは車の整備士
(ダニーの弟マイルスはタクシードライバー、妹のリニーは大型トラックドライバー、兄弟妹みな、車関連の仕事をしているのだ。この職業もアメリカ中部ならではかも)
昼休みの1時間は好きな時にとっていいらしい。フレックス昼休みかあ。それいいなあ。もちろん時間がくれば、すぐ帰る。

銃を持つ意味


ダニーに銃の話を聞いてみた。
ドライブ中、話をしている間に、銃を持つのは当然という印象は受けていたので、改めて聞いてみたかった。
「アメリカの人は、どうして銃を持つの?」
「家族を守るためだよ」
「どういう意味?」
「こんなに広い土地で、隣人とも家の距離が離れているような土地で、家に悪人が来たらどうやって家族や自分の身を守るんだ?」

当たり前だといういいっぷりだった。
「日本ならどうする?」
「えーと、警察に電話する、かな」
「電話する?電話している間に、緊急事態なんだから待ったなしだよ?
それに警察の奴らがいい奴とは限らないじゃないか。家に来た警察が悪人だったらどうするんだ?会ったことのないやつをそんなに簡単に信用してしまうのかい?」
「・・・日本は警察を信用する風潮はあるよ」
「へえ、それは素晴らしいね、でも少なくともここではそれは通用しないよ、基本的に国は信用していないからね」

人に頼らず自分の手で守る、ということだ。

言われると、確かに、納得する部分もある。
簡単に言い返すことができないところがあって、考えさせられてしまった。
ダニーは車の中にも銃を備えていると言っていた。「見るかい?」と聞かれたけれど、その時の私にはリアルすぎて遠慮していた。
今思えば見せてもらえば良かったかな。

ダニーが、国を信用してないというのは、Govermentを信用していないという意味合いだった。特に(2013年現在) 国立公園を政府の都合で閉鎖してしまうようなオバマ政権が嫌いだと言っていたダニーにとって、国を愛することと、政府を信用するかどうかは別問題だということのようで、それはとてもはっきりした主張だった。

銃を持つ習慣のない者の間で、銃を家に持つことは危ないと思う理由としては、危険な銃に慣れてしまうこと、突発的な事故の可能性など、があると思うが、銃は家族を守るためにある、という考えの元の人には、それは銃そのものが悪いわけではない、という。扱い方の問題だともいう。
それよりも、身を守る手段を確保する方が大事なのかもしれない。

他人や国を信用する、というよりも、お天道様が見ているから、基本悪いことはしない、だろう、をどこか前提としている日本人の感覚、性善説で基本的に人を信用する、お人好しということになるが、それは日本の長い歴史の流れからくる文化や習慣の表れであることも間違いない。

他人を常に警戒しつつ、自分はあなたの敵ではない、ということを示すために、知らない人にも挨拶をし、スマイルする、とも聞く。これも銃と同じく、アメリカで本能的に身を守る術のひとつなのかもしれない。
実際、ダニーは出会う人には、とてもフレンドリーに接する。

自国の政府のこと、その中で暮らす自分たちの立ち位置をしっかりと自分なりに把握し主張して、そのことを話題にして、お互いに話ができる。

彼らとそんな話をしていても気持ちが良いのは、それぞれの立場や主張をしつつも、さっぱりとしているところ。
それは個々が自立することで、お互いを尊重しているところからくるのではないだろうか。

歴史が作ってきた文化や習慣を学ぶことで、これからの日本をどうしていったらいいか、自分や家族を守り、そして日本国を守る、という現代に欠けつつある感覚、自国と外国のいいと思うところを取り入れつつ、未来の日本をつくっていきたい、と思った。

ダニーの国歌

ダニーの家にはギターがあった。
「ギター弾くの?」
「たまにちょこっといじるだけだよ」
「何か弾いてみて」

「うーんそうだなー」
といって爪弾き出したのが、アメリカの国歌だった。
私はこの曲がなぜかとても好きなのだが、何か一曲という場面で、国歌が出てくるということが、とても羨ましかった。
今の日本なら、ちょっと引いた反応が返ってくること間違いない。
どうしてだろうか。

それをダニーに言うと、
「じゃあ、kyoko、日本の国歌をここで歌ってみてよ」
日本の国歌はアメリカの国歌みたいに明るくなくて、ちょっと暗いのよ、みたいに言い訳をしている自分がいた。
でもここは日本人アンバサダーとして堂々としなくちゃ、と思い直して、
それでも小さく歌った。なんとも難しい曲である。
「いい曲じゃないか」
他の国の人がリスペクトするのに、なぜ当事者の日本人が国家を口ずさむことにためらいを持つのだろうか。
この違いはなんなのだろう。

ダニーとの旅で、いくつもの小さな出来事が、日本の現状の摩訶不思議な現象とマインドが、埋もれていた私の中から表に出てきて、その後の私の意識を変えていった。

一時が万事なのだ。国のこと?それはきっと、日本人ひとりひとりの中に凝縮しているものが、国に現れているということなのだ。


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