神の国から来たわたくし

うちの職場はマオリと距離が近い職場なんだが、自分は内心マオリ文化もマオリ人もNZには800年前に来た移民なので自分たちは原住民ですって顔してるのを基本的には白々しく眺めている。なんせこっちは古事記と日本書紀とテンノーと神事と神社が所せましと存在する神の国から来た者である。

マオリの神話は日本の神話のコピペみたいな所が多く、それ故に彼らのルーツが本来台湾であることもある意味頷ける。なのでマオリ神話にしろ特別感心する所がないし、マラエにしろ日本の神社みたいなファンクションを持つ。そして今日夫から聞いたんだけどマラエ内で女性は発言が許されていないそうで、結構な家父長制の側面を持つ。またマオリは多くの部族が存在しその時代はとにかく戦争ばっかやっててかなり血なまぐさいのである。その流れを受け継いでいるのがマオリギャングたちの存在である。実際我が夫はマオリギャングが結構いる地域出身である。

彼らの文化や工芸品も特別驚くべき点はない。ハンギなんか阿蘇で出来る。それよりも日本の神社仏閣を見た方がその壮絶なクラフトマンシップを目の当たりにできる。また私は日本の田舎出身で田舎の閉鎖的な空気を良く知っているが、マオリも同様に田舎の閉鎖文化をしっかり持っている。

なので私はこのような理由からマオリ文化について価値や存在意義を見いだしていない。なので頭ごなしにマオリ文化に寄り添い迎合しようとする日本人が見受けられるがたぶん全員都市部の出身者である。
私のように東京に生まれ、福島石垣島熊本で育ち東京にも住み挙句海外に住んで突然英語で暮らし始め11年目の今は政府職ついている人間は本当に誰もいないと思う。

なぜなら多くの田舎出身者は田舎から出れないしまた外国に永住する事もできない。住んだとて、安易にその土地の何かにあっさり迎合する水飲み百姓が多い。私のように日本の都市部にも田舎にも住み、文化芸術にそもそも精通しているくせに、一切それを商売にせず、全く関係ないサイエンスをNZで学び大学院を出て政府職になった人間を私は見た事がない。

私は日本の文化芸術に精通しているし一時帰国中は京都で神社仏閣を巡り日本画を堪能してNZに帰る。しかし日本を売って生活していない。日本でやってたこと、私は日本ではたこ焼きもたい焼きも焼いてないし、日本料理店のシェフでもないし、書道を教えていないし、日本語を教えてもいない。センター試験195点でも日本語を教えようとは思わない。なぜなら難しいし日本でしか通じないので学ぶ利点があんまない気がするからである。

だいたい皆「書き文字がやべえ」という。ひらがなカタカナ漢字のコンビネーション、柔軟な構文構造、ビュービューシャーシャーみたいた擬音語、もうやめておいた方がいいとしか言えない。私なら絶対に日本語なんか習わない。あまり得がないし上達に非常に時間がかかるからである。

中国人韓国人なら文化的な近さや共通点も多いので概念自体がそもそも理解しやすいかもしれないがそれ以外の文化圏の人には絶対に勧めない。

あと文化とは、マオリを見ても思うのだが非常に恣意的で感情的である。
それ故に余り好きではない。芸術は見るに値するが文化はめんどくさい。マオリは芸術的には劣るし文化がめんどくさい。それは何かというと政治利用しているからである。この点において私は政治利用されてかつ感情的なマオリ文化からは距離を置きたいと思っているのである。文化のクオリティも特別高くはないし、元々アートデグリーを持ってる自分からすると、芸術点の低いものを評価することは到底できない。なので私は何も言わない。

都会から来た、田舎を経験していない、経験値の浅い日本の若者としてきた日本人はなぜかradical政治マオリに共感する。私には分からない。なぜなら私の夫はマオリで注意深くそのようなマオリから距離を置いているからである。彼自身も同様に、マオリではあるけれども、政治的にその一部になろうという気がない。私も、日本の文化芸術に造詣は深いのだが、日本人を体現しそれを売って外国で暮らそうと思わない。なぜなら私は勉強が出来るからである。

端的に言えば、たこ焼きやたい焼きを売る事と、マオリダンスを披露することは地続きである。勉強が出来る人は故郷を捨てがちである。それゆえに田舎には勉強のできない人が残る。マオリもカネを稼ぐために豪に渡る人が多い。伝統的には鉱山のトラック運転手とかである。めっちゃ稼げるからである。そういう人はある意味マオリを捨てた人でもある訳だ。

このように考え始めると伝統文化の担い手って勉強が出来なくて地元に残ったバカ共、という風にも言えるかもしれないし実際そうかもしれない。しかしそういう人がいないと田舎も風習も文化も神社もマラエも亡びてしまうのである。

マオリ文化は植民地支配によって一度抑圧されたが1980年代に入って教育カリキュラムに取り込まれた。それ以前の人はマオリ語が家族内で伝承されない限り話すことができなくなる。夫家族がそれに当たる。義理母はマオリ語が話せないが自分はマオリだという気持ちが強い。見た目はマオリではないけど、たしかにはっきりと白人かというといくばくかのマオリ的特徴を備えている。ハッキリ色黒でマオリと分かる人と、特徴が消えて血筋で部族名を持っている人と分かれる。うちの夫は後者である。あとよくマオリ達は「学校でマオリ語話したら罰せられた。マオリ語禁じられた」みたいな事を言うが夫のマオリ村ではふつーにマオリの先生がいてマオリ語を習ってたらしい。ギズボーンの高校でも別にマオリ文化が禁じられたような記憶はないらしい。彼が過ごした196-70年だの話である。齟齬が多すぎる。

夫がマオリでドチャクソマオリ村出身なのは結婚してから知ったし、もともも田舎出身で大学は筑波だったので初めて夫の村を訪れた時は「ここはもしや桜川でわ??」と思った矢先、マオリの若者がドチャクソうるせえバイクで河川敷を通り抜けていった。それもまたつくば的光景で、当時はよく暴走族を目にしたものである。それを彷彿とさせる出来事だった。

そういう訳でマオリ文化より断然日本文化の方が歴史も長く優れておりマオリみたいな自然神信仰も普通に存在し、かつそれ故に1000年樹齢の木を神様とまつったり、神社仏閣がその周辺の深い森を湛えており、ゆうたら自然保護の一翼を担っているわけである。マラエの周りには広く開けているがそれはマラエを中心として集落が存在した名残だろうと思う。マラエにはゲートがあり、鳥居みたいなもんである。マラエに至るまでには距離がある。その距離を使ってマオリが出て来てベロを出したり奇声を発したりする。これがハカと呼ばれる行動様式である。歓迎に使われたり、 またラグビー開会の前に相手を威嚇することにも使われたりする。これは日本のシャーマンはしないことではあるが、激しいものとして裸祭りだの、神楽なども神に奉納する儀式はあまた日本には存在する。

こう考えると本当に日本とは奇妙な国で、多くの日本人は神社仏閣を自然と神聖なものと捉えているし、1000年樹齢の木は勝手に神が宿っていると解釈する。あんなもん切ってしまえば終わりなのだが日本人は1000年それをしないでいた。一方ニュージーランドに到達した英国人は1000年樹齢の木を容赦なく切り倒し,帆船のマストにし、家を建てた。日本人だったら切ってなかっただろうなとつくづく思うのである。

一方マオリは自然破壊しなかったかというと、している。マオリは先ほど述べた通りマラエ周辺は平たい広い広場にする。そのため住まいを確保するために森林を伐採する必要がある。実際は焼き畑をかなりやって開墾し、それゆえにある程度はNZのネイティブフォレストもマオリによって破壊されているのである。なので自分的にはこいつら何言ってんだという思いもある。マオリは別に自然のガーディアンでもなんでもない。日本人の方がよっぽど自然と共に生きてきた歴史が長い。田んぼなんかその象徴のようなもので多くの命を育む生態系の一部になっていたりする。マオリはそんなことはしない。ひたすら貝を掘り、芋を育て、伊勢エビを捕獲するだけである。日本の農村のような自然と文化と暮らしが溶け合い融合したような山里はマオリ文化には存在しない。彼らがやってきたことは森林を焼き畑しだだっ広い場所にマラエを作りそこに集落をつくり、部族同士で戦争し、一部のネイティブバードを食いつくし絶滅させたりもしている。

それはニュージーランドで移民である私が突いてはいけない部分なのである。マオリという存在はひたすらリソースの奪い合いを原点しているし自然保護もタダメシを自然から得たいだけである。働いて稼いでいれば伊勢エビもパウアもキナも買える。そっちの方が経済的価値があると思う。ただ最悪な事に、NZの伊勢エビも、ウニも、アワビも日本のものに比べて全然美味しくないのである。日本の海産物が美味しいのは温水と冷水がまじりあい、温度変化があるため豊富な魚の種類と潮流の変化から季節の魚がメタボライズし冬は油が乗って美味しい。それに比べると風味も糞もあったもんではない。特に養殖のサーモンは脂がのりすぎていて食うと胸やけがするので私はノルウェー産を好んで食べている。

海産物が美味しいならいいが、美味しくない。その美味しくない海産物をマオリはカイと呼んでタダメシ食うために漁に出る。それが文化なのだそうだ。ハワイにも困った文化がある。船でポリネシアンの祖先が持ち込んだ豚が野生化し森林破壊をしているのだそうである。しかしハワイアンにとってはこの豚が貴重な食糧源でこの豚を狩猟するのが「文化」だそうで、この豚を駆逐できないでいる。

NZで野生化したシカやヤギも同様に森林破壊に寄与しているが狩猟が文化であるマオリも英国人も駆逐する気はない。何故なら「文化」だから。

私は非常に合理的で無感情な人間なので人のお気持ちなどどうでもいい。環境は破壊されたら辛いがお気持ちの破壊は個人が我慢すれば済む話である。

私はマオリと近い政府職にいるのだがこのようにマオリ文化やそのノリもホントどうかと思っている。そういう訳なので個人的にマオリは「自然のガーディアン」みたいなポジションに入れて蓋を閉じる事に決めた。そうでなければ道理が通らないからである。

ワイタンギ条約の齟齬は自分には関係ない。どうぞ英国とマオリ間で解決してくださいと思う。移民はこのディスカッションには入りたくない。マオリだって800年前に先に来たから先住民面してるだけで結局彼らも移民なのである。これは日本には残念ながら古墳など出土してしまってるので日本人は800年前どころかそれ以前にそこに住んでおり古墳や貝塚なんか作ってしまっているので、800年程度で原住民面すんじゃねえと古事記と日本書紀と縄文式土器と古墳と卑弥呼でマオリの横っ面を引っ張たいてやるたくなるのである。


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