盲目患者からの学び 目が見えない生活とはどのような世界なのだろう。 朝起きて目を瞑ったまま、洗面所まで歩いてみた。 きっと目が見えないことで、人一倍注意力が高く、想像力が豊かなのではないか。 音を聞いてにおいを嗅いで環境を捉える力 食事の時間 睡眠の時間 家の中、外 耳で聞いて対象物を想像する力 声やコミュニケーションで人物を想像 音で情報を得る 味覚を楽しむ 美味しいと感じる気持ちは一緒 物を触って形を捉える力 私が患者さんとの
男女が平等に生きる、ということは非常に難しい。 性格や能力等は個人の努力に応じて評価されるべきであり、「女の子だから〜」「男の子だから〜 」という決めつけは、ステレオタイプであると言える。 一方で、身体面を考慮すると、根本的に女性と男性では体の仕組みが異なる。 女性や男性特有の病気があり、女性は生理を何十年も毎月経験しなければならない。 妊娠や出産は選択できるが、生理は避けられない。 私は生理痛が酷い。 毎月腹痛と下痢と倦怠感があり、鎮痛剤が手放せない状態に陥る。
※記載途中です。追加、修正する可能性あります。 運動 ボルダリングにチャレンジする 2024/2 ラン10km大会に出る 2024/3/24 ハーフマラソン完走する 2024/5 月100キロ走る チョコザップに毎日通う 体重52.2キロ→45.2キロ(-7キロ) 2024/2- 空手再開して緑帯まで飛び級する 2024/ 空手で茶帯を取る 痩せたらエニタイム、ゴールドジムに通う 勉強 ☆☆☆合格する (受かったらnoteで報告)2024/7 TOE
以前は… ずっと脳神経外科で働いてきて、失語症や意識レベルが低く反応が乏しい患者に話しかけていた。 要するに、言語的コミュニケーションよりも非言語的コミュニケーション、 急変を察知する"観察力"が重要だった。 現在 呼吸器内科に異動になってから、患者様との言語的コミュニケーションが増えた。 看護学生の頃は、 「患者に寄り添い傾聴できる看護師になりたい」 と言っていたが、実際の急性期看護の現場では、時間に追われていて、安全が第一となるため、患者の思いに寄り添うことは難
先月31歳になり、途端に不安が押し寄せてきた。 昨年、幼い頃面倒を見てくれていた祖母が亡くなり、長年付き合ってきた恋人とも別れたことで、思考は現実化しないということを実感した。 ただ願うだけでは何も解決しないし、何も得られない。 自分の思い描いた夢や目標を達成するには、優先順位、期限を決めて逆算して計画を立てなけれはならない。 そして、最重要課題は、日々努力し行動し続けることである。 Noteに投稿したいこと 自分の思考整理 目標の明確化 日々の生活や仕事からの