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多分、私は没入する生き方だとバランスを崩す

今回は、超個人的な話ですが、

【価値観】の手放しについてです。


私はですね・・・

“没入できる人”に、憧れがありました。

説明するのが難しいのですが、

雰囲気を伝えるなら、
こんな感じです↓

・・・伝わりますかね?

何ていうか、一言で言うと、
●才能(天才、奇才)
というか───、

それに加えて、

(あくまで偏見ですが)
『世界観に入り込んでる』
『その世界観を生きている』

そういう感じがする人・・・・

あまり言葉を選ばずに、
ライトに表現するなら、

『ガチっぽい人』って感じです(笑)

よく、天才アーティストの表現で(誇張かどうかは分かりませんが)、

キャンバスに向かって、
目をかっ開いて、
周りの声も聞こえないぐらい、
熱中している────

みたいなの、ありますよね。

そんな感じの人に、憧れてました。

それで、その・・・

『何か“ソレっぽい”生き方』をしたくて、たまりませんでした(笑)

私が(偏見で)、
“っぽいわ〜”って思っていたのは、

・不幸や絶望の中に美しさを見出す
・倒錯したものの中に愛を見出す
・人生を振り返り、一人泣く
・意味を理解していないと、繋がりがよく分からない言葉を、いきなり言う(今夜は月が綺麗ですねみたいな)
・ぶっ飛んだめちゃくちゃな世界
・子供みたいな無邪気さ
・スパイスのような、ミステリアスさ不気味さ

────長いので、これくらいにします(;^ω^)


で、一応、自分の中には、そういうインスピレーションがあるのか、ないのか?

これを見極めたくて、

数年間、

《感情に浸る》

ってことを、やってみたんですね。


まあ、タイトルから分かると思いますが、結果的には、ありませんでした。

何というか・・・、

芝居がかった、メンヘラぶりたがる奴───みたいな、何とも気色悪い仕上がりになりました(苦笑)

演劇の芝居を、日常に持ってきちゃってる奴みたいな・・・

あとですね、

私の場合、感情に没入しようとすると、ガチでボーっとしてしまうんです(笑)

突き動かす何かに、ならない(笑)

例えば、

クラシックを流しながら、
指揮をするように、
料理をする───、

みたいな感覚を味わっていると、

脳内で、流れるような美しい料理をする美少年とかを“想像する”ことはありますし、

それをしてると、気持ち良いんですが、

現実の自分の手は、
一切動きませんでした(笑)

むしろ、脳内の妄想の構成の方に夢中になっちゃって、妄想ばかりが楽しくなっちゃうんです。

良い夢を見た時に、
ずっと起きずに、
夢のストーリーを編集してるみたいな、

そんな状態になってしまいました。


なので、私は、没入するのは向いてないみたいです。

そして、この結果・・・

実は、個人的にめちゃくちゃ悔しいんです(笑)

だって、今まで、

●努力家より、天才と言われたい
●個性的なアーティストのように、見られたい
●いつか、そういった作品やコラムを世に出して、称えられたい
●私にも“何か”あるハズだ
●きっと物事の本質に辿り着いた時、人をハッとさせる奥深い発言ができるハズだ

そこに憧れて、生きてきたわけですよ。

この【価値観】の断捨離は、

一度、過去を捨てる作業なワケです。

で、元々の、自分からしたら“普通”に、戻るワケですよ。

─────悔しいいいい(笑)


はい、そんなワケで、
今回は【価値観】の手放しについて、

かなり個人的な話ではありますが、書いてみました。

もし、お役に立っていたり、楽しんで貰えていたら幸いです♪



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