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【小説】11月、落ちる紅葉を受容する【後編】

「すごい! きれいだね!」

 家に着いて一息ついてから娘に紅葉の写真を送ったら、意外にもすぐに返事が返ってきた。今日は仕事が早く終わったらしい。

「でしょう。あなたと一緒に行きたかったわ。」

「仕事だから行けないよ~。」

「そうよね。いつか行きたいわ。」

「ね! いつ行けるかなー。私が定年退職してからかなー笑」

 娘のメッセージを見て、幸子は一抹の寂しさを感じた。
 自分は紅葉をあと何回見られるのだろうか、と思ったからだ。
 人生には必ず終わりが訪れる。その終わりが早い人もいれば遅い人もいる。自分の終わりがいつなのか、誰にも分らない。自分の終わりを知ることができるのは、残された周りの人たちだけ。
 昔は死ぬことを怖いと思っていたけれど、この年になると怖いとは思わない。でも、同世代の友人たちが旅立っていく度に、取り残されたような気持ちになる。早く死にたい、というわけではないが、変哲のない毎日のこと、だんだんと自由の利かなくなる身体のことを考えると少し憂鬱な気持ちになるのは事実だ。
 スマートフォンに視線を戻すと、幸子の寂しさを感じ取ったように娘からメッセージが来ていた。

「冗談! 来年さ、都合をつけて有給取るよ。一緒に紅葉を観に行こう。」

「約束ね。」

幸子は続けた。

「今度いつ帰ってくるの?」

「お正月に帰るよ。」

「わかったわ。あなたの好きなお雑煮、作っておくわね。」

「やったー! 楽しみにしてる。」

「ありがとうね。会えるのを楽しみにしているわ。」

 メッセージのやり取りを終えると、幸子は夕食の準備に取り掛かった。
 10年前に夫を亡くしているから、独り暮らしには慣れている。手際よく野菜を洗い、食べやすい大きさに切って鍋に入れる。年々食欲が落ちているから、肉はもう食べられない。ほとんど野菜中心で、白米は少しだけ。調子がいいときは魚や豆腐などでタンパク質を摂る、といった具合だ。誕生日になると、娘がケーキを買ってきてくれるが、ここ数年、全部食べられた試しがない。かかりつけの医者からしっかり食べるように、と言われているが、もう胃が受け付けない、というか、食べることに疲れてしまうのだ。
 今日は外出したからか疲労感がひどく、作った食事を全部食べ切れなかった。
 幸子は早めに休むことにした。

 ベッドに早めに入ったはいいもの、幸子はなかなか寝付けなかった。正確に言うと、浅い眠りに入ることはできるが、夢ばかり見て目が覚めてしまうのだ。夢には、娘、幸子の両親、昔の友人、小学校の担任の先生など、たくさんの人が出てきた。その人達が幸子に何かを語りかけてくるが、どんな内容なのかは思い出せない。ただ、暖かい日の光の中で、懐かしい声で何かを言っていて、幸子に優しい笑顔を向けていて、なんだかとても楽しそう、という感覚だけが残っている。
 3時間経っても寝付けないので、幸子は眠ることを諦めて今日あったことを振り返ることにした。代々木公園の紅葉は本当にきれいだった。赤く色づく葉はもちろんきれいだったが、この紅葉は1か月程度しかみられない、という有限ゆえの美しさもあったからだ。今この時期に色づいている葉は、あと2週間もして季節が変わると役目を終え、散って枯れ葉となる。毎年同じ時期に赤くなるように見えるが、来年色づくのは新しい葉だ。新しい葉も時期が来ると赤く染まる。その命を燃やすように。
 だったら奇跡じゃないか、と幸子は思った。カエデの葉がたった30日の命を燃やす姿に今日出会えたのだから。
 
 そんなことを考えているうちに、夢の中にでもいたのだろうか。夫の顔が浮かび、笑顔で幸子に何かを言っている。頭の中がふわふわとしたと思ったら、強い光の中にいるように目の前が明るくなった。突然、すっと、体がベッドに沈み込む感覚がした。
 なぜかわからないが、ああ、よく眠れそうだ、そんな風に思った。目の前で微笑む夫に微笑み返しながら、幸子は深い眠りについた。


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