見出し画像

【短編小説】帰れない 忘れられない帰り道 その後の10年


夏休み。
ホントなら、海に行ったり、プールに行ったりして、夏を満喫するところなんだけど、今年は無理だ。
何故なら、僕は大学受験を控える受験生だからだ。
 
僕は上田亮介、18歳。ホントのとうちゃんは、僕が小さい頃に、仕事中の事故で死んじゃった。
でも今は、僕が小6の時に通ってた塾の斎藤先生が、僕のかあちゃんと結婚して、お父さんになってる。
お父さんなんだけど、僕は斎藤先生と呼ぶ。先生を、まだとうちゃんとは呼べない。
 
僕は、斎藤先生と、斎藤先生の師匠である沖島洋輔教授のお陰で、二人が勤める大学の付属高校に通ってる。
 
じゃあ、もう、受験なんてしなくいいんじゃないか?
 
その通りだ。その通りなんだけど、ちょっと、事情が変わってきてる。
 
僕が、本当に恐竜博士になりたいのか、どうか、僕自身が分からなくなってきてるんだ。
 
洋輔おじさんも、斎藤先生も、古代生物学の先生で、カナダや、アルゼンチンの恐竜発掘プロジェクトに、僕は参加させてもらった。先生たちと一緒に現地に行って、発掘作業のお手伝いをした。
 
やってる時は、楽しいと思った。スゴイ事をやってるという実感もあった。
 
でも、最近は、本当にやりたい事なのか、どうかが分からなくなってきてる。
 
で、それを斎藤先生にも洋輔おじさんにも、まだ、言えてない。
 
言えてないけど、悩んでるから、一応受験する事を考えて、予備校の夏季集中講習を受けてる。
斎藤先生は、薄々気がついてるみたいだ。
だから何も言わずに夏季講習に行く事を認めてくれた。
 
今日も朝早くから、駅前の予備校に向けて自転車をこぎだした。
そして、夜9時ぐらいに帰宅する。
 
真夏で、弱音を吐きそうな程の暑さの中、へとへとになりながら帰宅し、晩飯を食って、風呂に入って、また勉強。でも、遅くとも12時までには寝るようにしてる。
 
自分が何になりたいのか?そもそも自分は何なのか?
分からないから、勉強する。
分かりたい。納得したいんだ。
 

僕は今、あるアイドルグループに推しがいる。
朝月美優紀ちゃん(ミュー)だ。
 
ミューの事を考えると、勉強も手に着かないほどで、実は土日に予備校へ行くと言いながら、実は握手会や、コンサートに行ったりしている。
高2の時までは、普通にコンサートに行くと、かあちゃんに言えたのだが、何故だか高3になってからはこっそり行くようになった。家の誰もが、推しを悪く行った事ないのに、何故だかこそこそするようになった。
 
学校、そのままエスカレーターで大学、行っちゃえばいいのに、とか、受験生なのに、とか、そんな風に言われた事もないのに、何だか、責められてるような気がしてる。だから、こそこそしちゃうんだ。
 
ミューの笑顔を見てると、僕は嬉しくなる。アドレナリンが湧き出てくる。
夢中なんだ。
 
ミューを見てると、恐竜の事、洋輔おじさんや斎藤先生の事も忘れてしまう。
 
将来、ミューの側で働きたい。
コンサートスタッフとか、テレビ局とか、何かよく分からないけど、芸能界関係で、働きたい。
 
何となく、そんなような事を考えてる。
 
でも、そんな事は洋輔おじさんや、斎藤先生には絶対に言えない。あの二人がいなければ、うちはずっと貧乏のままで、かあちゃんは働き過ぎで死んでたかもしれないし、僕だって、今みたいにいい高校に入って、友達もたくさんいて、楽しく暮らすなんて、出来なかったからだ。
 
でも…
 
ミューちゃんの側に行きたい。
その気持ちはどんどん大きくなっていく。
洋輔おじさん、斎藤先生は裏切りたくない。どうしよう。
 
そうだ、左藤のおじさんに相談してみよう。
 
 

佐藤のおじさんに電話した。おじさんは、「自分の人生だ。自分のやりたいようにやらないと、一生後悔するぜ。だから、どうしても、やりたいなら、それを正直に沖島先生と斎藤さんに真心を込めて、話してみな。心さえ、こもっていれば、二人とも、絶対に分かってくれるはずだ。」と言ってくれた。
 
そうしようと、決めた。
 
土曜日の夜はいつも、ウチに洋輔おじさんがやってくる。
僕ら家族と一緒に、楽しく晩ごはんを食べるためだ。
僕はそこで二人に話そうと思った。そして、それを佐藤のおじさんにも話した。そしたら、左藤のおじさんは、「じゃあ、今度の土曜日、俺も行ってやるよ。だから、頑張って、話せ。」と言ってくれた。
 
スゴイ緊張するが、左藤のおじさんもわざわざ来てくれるんだ。
頑張って、話そう。
 

土曜日になった。
 
5時には洋輔おじさんがやって来た。おじさんは、朝早くから、友達と海へ釣りをしに行って来たらしく、釣りの格好のままで来た。アイスボックスに、入りきれないほどの鯵を持って。
 
お母さんはすぐに、鯵をさばき始めた。
そして、おじさんと斎藤先生は、鯵の刺身をつまみにビールを飲み始めた。
洋輔おじさんは、外房の生まれだそうで、子供の頃から釣りが上手かったらしい。
 
ビールを飲んでると、左藤のおじさんが来た。
左藤のおじさんにも早速、鯵の刺身とビールが供された。
 
僕は、同じ部屋でテレビを見ていたのだが、みんながビールを飲みだしたので、台所へ行き、お母さんを手伝う事にした。
 
お母さんは魚を捌くのが上手い。鯵は腕の振るい甲斐のある魚だそうだ。
 
刺身、タタキ、なめろう、アジフライ、そして、つみれ鍋。
あっという間に次々と作っていった。
 
料理が揃って、みんなで食べだした。
食べている時、左藤のおじさんのオーダーで、野球中継を見始めた。
 
埼玉西武ライオンズVS千葉ロッテマリーンズ 西武の本拠地ベルーナドームの試合だ。
 
佐藤のおじさんは、埼玉の出身で子供の頃からの熱狂的な西武ファンだそうだ。
一方、洋輔おじさんは千葉ロッテのファン。
 
二人で、お互いを罵倒しながら、試合が進んでいった。試合が進むとお酒の量も進んだ。
試合は、シーソーゲームの打撃戦になった。
お酒の量も進んだが、それ以上に応援のボルテージも上がってしまった。
 
僕が、いつ、話を切り出そうかと悩むほどに。
 

野球中継は白熱してきた。
8対8の同点、8回の裏の西武の攻撃で、先頭バッターが内野安打で出塁したところ。
佐藤のおじさんと洋輔おじさんの熱狂ぶりは凄まじい。
これじゃあ、いつ話せるか分からない。左藤のおじさんは、きれいに来た目的を忘れてしまってるようだ。
 
でも、僕は今日、何とか話したかった。だから、勇気を出して。
 
「洋輔おじさん、斎藤先生、ちょっと、僕の話を聞いてくれませんか。」と、大声で言った。
「何だ、亮介?今、忙しいんだが?」洋輔おじさんは不機嫌そうに言った。
「いや、沖島先生、亮介は何だか、大切な話をしたいみたいですよ。聞いてあげましょう。」と、斎藤先生は言った。多分、斎藤先生は察してくれたのだろう。
「ああん、いいが、亮介、手短にな。野球が終わらないように。」
「分かった。洋輔おじさん、斎藤先生、僕、先生たちのお陰で、今の学校に行けてるんだけど…でね、それについては、スゴイ感謝の気持ちがいっぱいあるんだけどね。だけど…」
「だけど、何だ?とにかく、手短にしてくれんか?」
「僕、僕、恐竜以外に、やりたい事ができちゃったんだよ。だから、今の学校でそのまま上がって、洋輔おじさんの学部には行けないなと、思ってて…」
「何がしたいんだ?」
「テレビ番組の制作とか…だから、それ系の芸術学部のある大学とか、専門学校とか、そんなのに行きたいかなって、思ってるんだ。」
「何だ、そんな事か。良いよ、好きにしたらいい。しかしな、実際テレビ局のディレクターとか、プロデューサーとかは、うちの大学の卒業生も多いぞ。文系だがな。まあ、理系でもいなくはないが、それはやっぱり少ないな…」
「えっ?そうなの?でも、あの大学じゃあ、芸術系ないじゃん。」
「そんなのは、関係ない。兎に角文系に進んで、就職の時にテレビ局ばかりを受けたらいいんだ。」
「そう、そうなんだ…で、それでも、本当にいいの?」
「いいさ、いいに決まってるだろう。お前の人生だ。お前が思う通りに生きればいい。もういいか、野球が大変だ。」
 
こうして、僕の杞憂は、あっさりと終わった。
そして、僕はうちの大学にそのまま上がる事にした。
 

受験前の真冬に、僕が推してるミューちゃんが、卒業を発表した。
途端に僕のやる気が萎えた。
そこへ、斎藤先生が言った。「折角ここまで、理系の勉強をしてきたのだから、大学は理学部にしたらどうだ?」と。
僕は、斎藤先生の言うとおりにした。結局は、洋輔おじさんが名誉教授を務める学部に進む事にしたのだ。
 
今、思うと、洋輔おじさんも、斎藤先生も、そうなる事は織り込み済みだったのかもしれない。
だって、僕は、大学に進学してからは、ずっと考古学と古生物学に夢中になったからだ。
 

大学2年生の冬。
それは、突然起きた。
大学の教授室で、洋輔おじさんが倒れたのだ。
斎藤先生から電話があり、救急病院に運ばれたと聞いた。僕とお母さんは、慌てて駆け付けた。
 
脳卒中という診断。
かなり危ないという事。
 
一晩中、病院の集中治療室の前のベンチで僕と斎藤先生とお母さんは、洋輔おじさんが良くなる事を祈った。
 
しかし、祈りは聞き入れられず、明け方に洋輔おじさんは死んだ。
 
僕は泣いた。ビックリするほど、たくさん涙が出た。
斎藤先生も泣いた。
お母さんは、僕の背中をさすってくれた。
 

洋輔おじさんの葬式は、おじさんの生家がある千葉県の八街市で行われた。
家族葬という事で、身内だけで、ひっそりと。
喪主は、おじさんの弟で、八街で家業である落花生農業を続けている遼輔さんが務めた。
 
僕ら家族は、お葬式に参列した。
 
 
1週間経った。
斎藤先生の呼びかけで、東京で、大学と恐竜学者との共催で、お別れの会が開かれた。
場所は、大学の近くのホテルだ。
 
僕は、受付を手伝った。
 
そこに、直原がお母さんと一緒に来た。
直原と会うのは、斎藤先生とうちのお母さんの結婚式以来で、それから4年経っている。
斎藤先生と、お母さんは、店にちょくちょく行ってたみたいだし、沖島先生も一人でフラッと顔を出していたようだ。だけど、僕は色々と忙しく、一緒に店に行く事は無かったんだ。
 
「この度は、どうも。」直原は萎れた顔で、殊勝に言った。
「わざわざ、お出でいただき、ありがとうございます。」と、僕が返した。
 
お別れの会はしめやかに行われて、終わった。
 
参加者は、帰っていく。
 
僕は、直原に声をかけた。
 
「直原!」
直原は、お母さんの一緒に会場を出ようとしていた。お母さんと話し、お母さんは会場を出ていった。そして、直原だけが僕の方へ向かってきた。
 
「上田君、悲しい?」
「ああ、でも、涙はもう、出尽くしちゃったよ。」
「そう。」
「久しぶりだね。今、どうしてるの?」
「ウチ、お父さんの具合が良くなくて。私は、大学には行かないで、店を手伝ってる。」
「そうか…」
直原のお父さんは、コロナ禍で店が休業状態まで追い込まれた時、うつ病になってしまった。
その後、洋輔おじさんの手配で、うちの大学の病院で診てもらい、一時は回復してた。それが、今はまた、具合が悪いらしい。
「大変だね。」
「そうね。」
「お父さんがいなくて、今は誰が寿司を握ってるの?」
「お父さんの弟子だった杉山さんに来てもらってる。で、私が今、杉山さんの弟子で修業中なの。」
「えっ?直原が寿司を握るの?」
「そう。だけど今はまだ、シャリも握らせてもらえないけどね。」
「そうなんだ。すごいなあ。」
「別にすごくないよ。店を守りたいだけだもの。」
「それがすごいんだよ。」
「そんな事より、沖島先生、残念だったね。急死なんだって?」
「そう、脳卒中で、救急車が病院に着いた時にはもう、脳死だったらしい。」
「そう。いい人だったね、沖島先生。」
「うん。ムッチャいい人だった。俺の恩人だよ。」
「ウチにとっても恩人だよ。ねえ、上田君。」
「うん?」
「今度、うちの店に来て。私が寿司を握るから。」
「分かった。じゃあ、落ち着いたら、連絡するよ。」
「待ってる。じゃあ、行くわ。外でお母さんが待ってるから。」
「分かった。」
 
 
それから3週間、僕は直原の店の定休日に、店に行った。
そして、直原に腹がいっぱいになるまで、稲荷寿司を振舞われた。
今のところ、彼女が作れるのはそれだけなようだ。
 

それからまた、4年が経った春、僕は論文を書いて、無事博士号を取った。
 
これで紛れもない恐竜博士になったんだ。
 
沖島名誉教授亡き後、うちの大学の古生物学を守ってきた斎藤先生は、晴れて学部長になった。
 
僕の博士号と、斎藤先生の学部長就任の祝って、直原の店で、食事会をする事にした。
 
直原の店は、その後色々あり、何度も潰れそうになったのだが、うちのお母さんが出資して、株式会社化し、立て直した。
 
うちのお母さんはしっかり者だとは思っていたが、どうやら抜群のビジネスセンスを持ち合わせているようで、うちの家を取り戻した時に入ってきたお金を使って、色んなところに投資をしている。
まず、うちが実は株式会社となっており、お母さんは上田投資顧問の社長である。
佐藤のおじさんの会社にも投資をしており、おじさんの会社の社外取締役も兼ねている。
斎藤先生が、海外に恐竜の研究や、発掘のために渡航する費用を健全に集めるために、NPO法人も立ち上げている。
 
でも、普段のお母さんはいつも家におり、特段、ビジネスっぽい事はしていない。
ただ、昼間PCの前で作業をするだけ、それだけで、色んなビジネスを展開しているのだ。
 
お母さんは、仕事が暇な時はいつも、直原の店に行き、店の仕事を手伝っているらしい。
だから、今日も僕や斎藤先生よりも早く家を出て、直原の店に向かった。
 
僕と、斎藤先生は一緒に家を出た。店の前で左藤のおじさんと合流した。
 
店に入ると、サプライズがあった。
直原のお父さんが、店に出ていたのだ。
これにはびっくりした。
 
直原のお父さんは、顔色も良く、元気そうに見えた。
うちのお母さんが、僕らを出迎えてくれた。
そして、僕らは2階の広間へと上がっていった。
 
席に着くと、まず瓶ビールと突き出しが運ばれてきた。
佐藤のおじさんの発声で、乾杯をした。
 
それからはずっと、色んな料理が次々に出てきた。
どれもすごく美味しくて、みんなで美味い、美味いと言いながら、ぺろりと平らげた。
 
最後に握り寿司が出た。
どの握りも丁寧な作業が施されていて、まるで芸術品のようだった。
流石は直原のお父さんだと、みんなで握りを絶賛した。
 
デザートが運ばれてくる頃、お父さんが直原と一緒に広間に来た。
「皆さん、本日はありがとうございます。ウチの贅を尽くした料理の数々、如何でしたでしょうか?」
「いやあ、堪能致しました。ものすごく美味かったです。」と、斎藤先生が言った。
「どれも、これも美味かったが、特にすごかったのは、握りだね。こりゃあ、銀座の一流店でもなかなか食えない仕事だと思いましたよ。」と、左藤のおじさんが言った。
「流石ですね、大将。休んでたにしては、全く腕は衰えていない。」斎藤先生が言葉を継いだ。
「いや、実は、今日みなさんにお出しした料理は全部、ここにいる娘が作ったものなんです。」
「え?」
「私はどうも、いけません。身体がいう事を聞かない。もう、寿司は握れません。しかし、娘は、私の弟子だった杉山の元で、みっちり修行してくれました。で、皆さんに一番最初に、娘の作った料理を食べてもらおうと思った次第です。」
「そうですか、そうですか。それはどうも、おめでとうございます。」斎藤先生が言った。
「いやしかし、私どもとしては、皆さんを実験台に使ったわけです。ですので、本日のお代はいただきません。」
「いや、そんな事言うなよ、大将。美味かったって言ってるだろう。スゲエ美味かった。だから、ちゃんと金は取ってくれよ。俺は、払いたくて仕方がないぜ。」左藤のおじさんが言った。
「皆さんは、娘の料理、娘の握った寿司を合格だと?」
「もちろん、合格だ!合格どころか、満点だ!」左藤のおじさんが言った。僕もお母さんも斎藤先生も大きく頷いた。
直原のお父さんは、直原の顔を見た。直原は泣いていた。
「良かったな。合格どころか、満点だとよ。」
直原は、僕らの方に向き直って言った。
「ありがとうございました。」
 
僕は嬉しくなって、大声を出し、指笛を鳴らした。
 

その次の年の冬。
 
僕は、論文を書くために、ここのところ毎日、大学の自分の部屋に籠っている。
夜9時、今日も徹夜になりそうだな、そう思いながら、コーヒーを取りに席を立とうとした時、スマホが鳴った。
お母さんからだった。
「どうしたの?」
「直原さんのお父さんが、さっき亡くなったって。」
「えっ?何で?」
「みんなに黙っていたけど、直原さん、肝臓ガンだったらしいわ。何度も手術していたみたい。」
「そうなんだ…」
 
2日後、近くの葬儀場でお通夜があった。
僕は、論文作成が忙しかったのだが、大学からそのまま、葬儀場に向かった。
喪服に着替えてる暇がなかったので、ヨレヨレのジャケットに黒い腕章を巻いて行った。
 
直原は、お母さんの隣で小さくなって、座っていた。
僕は、何故かいたたまれない気持ちになった。
 
親族の席にお辞儀をして、僕は焼香した。
 
そして、棺桶の中のお父さんのお顔を見に行った。
お父さんは、安らかな顔をしていた。
 
その後、直原のもとへ行った。
直原は、「お忙しい時に、わざわざすいません。」と言い、ちょこんと頭を下げた。
「そんな、他人行儀な挨拶はいいよ。大変だったな、直原。大丈夫か?」
「うん…うん、うん、うん…」直原は、堪え切れずに涙を流し始めた。
僕は、直原をそっと抱き締めた。
 
告別式の日は、冬晴れの太陽の温かみを実感できる日だった。
 
式が進行して、出棺の時、僕や斎藤先生、左藤のおじさんは、お棺を持った。
 
僕らは火葬場までついていった。
 
火葬場で、みんなでお昼ご飯を食べている時、お茶を注いで回っていた直原が急に倒れた。
僕は慌てて、直原に駆け寄ると、倒れている直原の身体を抱き起した。
すごい熱がある。
救急車を呼んで、僕が付き添い、病院に運んだ。
 
診断結果は、過労による発熱だった。
 
それから2日間、直原は寝続けた。
僕はずっと、付き添った。
 
直原が、目を開けた時、僕は嬉しくて、涙を流した。
僕の涙は、直原の頬を濡らした。
 
直原は「温かい。」と、言った。
 

その次の年の秋。
 
僕と直原は、結婚する事になった。
僕は、寿司屋の亭主になった。
 
結婚式は、昔、斎藤先生とお母さんが式を挙げた神社で行い、宴会は直原の店で、家族だけが集まり、こじんまりとやった。料理は全部、一番弟子の杉山さんが、腕によりをかけて作ってくれた。
 
直原のおなかの中には、赤ちゃんがいる。
検査の結果、どうやら男の子らしい。
 
息子は、末は恐竜博士か?それとも、寿司屋の若大将か?
それはまだ、決まっていない。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?