夏目漱石「坊っちゃん」⑩ 「坊っちゃん」は坊っちゃんの遺書である(3)

1、漱石はなぜ「坊っちゃんの遺書」を書いたか


ここまで、「坊っちゃん」は、坊っちゃんの遺書であるとの解釈を示してきた。

では、私の解釈で夏目漱石はなぜ、「坊っちゃんの遺書」なんて話をわざわざ描いたのかを、話したいと思う。理由は以下である

理由-「モテない男の悲哀を書きたかった」

もう少し細かくいうと、

理由-「お金や地位で男性を選ぶ女性と、そういう女性を好きになっては苦しむ男たちの悲哀を書きたかった」

こうなるだろうか。
「坊っちゃん」の「うらなり」や坊っちゃんが該当する。
以下、解説。

2、夏目漱石が描いた「モテない男達の悲哀」


他の投稿でもふれたように、「坊っちゃん」の特徴の一つに、
「主人公に恋人も、恋人になりそうな女性の友達も、一人もいない」
という点がある。

おそらく、この世のほとんどの物語において、「主人公」とは、異性に人気があるか、少なくとも物語のヒロインからは好かれている設定である。

しかしこの作品は、主人公の男性がヒロイン女性にも、それ以外の同年代女性にも、全く好かれていない。

さらに、これも他でふれたように、この物語は
「ヒロイン女性が自分の積極的意志で悪役とくっつく」
お話である。ヒロインであるマドンナは、財産が減った婚約者(うらなり)を振って金と肩書のある男になびくという、通常の物語のヒロインにはあまりない、むしろ悪役のような行動を、堂々と取っている。

ここで夏目漱石の他の作品群の話をするが、私が感じた漱石作品の特徴に次の点がある。

・男性の主要登場人物があまり女性にモテていない、もしくはお金で女性から選ばれている

これについては既にふれた。
夏目漱石「坊っちゃん」③ 漱石の経歴


あえてもう一度並べると

「坊っちゃん」
まず「坊っちゃん」は「マドンナ」というヒロインを登場させながら、主人公には恋人も、恋人になりそうな異性も一人も出てこない。マドンナは婚約者・うらなりが経済状態が悪化すると捨てて、収入の高そうな赤シャツと仲良くする。
これに対し主人公と唯一仲良くしてくれたのはお手伝いのお婆さんである清で、清だけは他の登場人物達とは逆で主人公が失業しようが貧しくなろうが異常なまでの愛情を注ぎつつ、物語の結末で死去したことがが語られる。

・「三四郎」
「坊っちゃん」から二年後、明治41年(1908年)に執筆された「三四郎」。
主人公の大学生:小川三四郎が物語の終盤、ヒロインの女性に思い切って告白する。しかし、ヒロイン:里見美禰子からは、告白を無視されてしまう。告白したのに相手の女性からは、いわゆる完全スルー・ノーリアクションで流されてしまうのである。
そしてヒロインは主人公にはなにも告げることなく、他の社会的地位がありそうな男性との結婚を決める。

・「それから」
「三四郎」の翌年、明治42年(1909年)執筆。
主人公:長井代助はかなりの資産家の息子という設定で、30歳なのに仕事を全くせず観劇や音楽鑑賞をしながら生活している。ある日、主人公の友人で銀行員であった男性が職場でトラブルを起こして失業、借金も抱えてしまいます。するとその銀行員の妻であるヒロイン:三千代から、主人公が猛烈なアプローチを受け、この3人の関係性はどうなるのかー というお話。

・「行人」(こうじん)
大正元年(1912年)執筆。
主人公の兄が結婚しているのですが、兄は妻であるヒロイン・直(なお)からはあまり愛されていない。外を夫婦で歩いている様子も「まるであかの他人が同なじ方角へ歩いて行くのと違やしない」と母親に言われてしまう距離感である。妻の態度に悩んだ兄は、弟である主人公に「直(なお)は御前に惚てるんじゃないか」と疑いを向け、兄弟や兄夫婦の関係はどうなるのかー というお話。

・「こころ」
これは知っている人も多いだろうが、大正3年(1914年)に執筆された有名作品「こころ」。
主人公と主人公の親友「K」が同じヒロイン女性を好きになるが、ヒロインは主人公と結婚し、ふられた形となったKが自ら命を絶ってしまう。
この話でも、ヒロインと結婚できた主人公は亡父の遺産相続により、仕事をしなくとも何年も生活していけるほど資産を持っている設定(「それから」と似ていますね)。しかしKのほうは親から勘当されておりお金がない男性であった。そして最終的には主人公自身もー というお話。

・「明暗」
ここまで紹介したものとは少し変わったパターンで、大正5年(1916年)執筆開始され、夏目漱石の絶筆となった「明暗」がある(作品完成前に漱石が死去。享年49歳)。
主人公の男性:津田がこれまでとは逆に、おそらくは妻の親戚がお金持ちでそれを目当てに結婚したのではと思わせる話。主人公の妻:お延は夫(主人公)のことが大好きで夫のために自分の親戚に借金もしているが、夫側はそれほどではなく、お延と出会う前に付き合っていてある日突然振られてしまった女性:清子のことをずっと考えている。
やがてある事情から夫が元彼女である清子を訪ね、二人が再会したところで、未完となっている。

3、漱石の結論は、なし

上に列挙した「坊っちゃん」含めた他作品のように、夏目漱石はあまりモテない男性達を描いた。
くわえて金と地位のある男になびくヒロインも描いた。

そして、ではモテない男達は一体どうすればよかったのか?

これについて、漱石は何一つ、まったくなにも回答も、方向性も示していないのである。
モテない男たちはどうすればよかったのか、どうアプローチすればよかったのか、振れらた後はどう生きればよかったのか
なにも答えは書かれていない。方向性すら書かれていない。

ここで、一部の読者や評論家は、「三四郎」の三四郎や「こころ」のKについて、恋愛マニュアルのようなアドバイス、悪くいえばお説教を語りたがる。あるいはKに対して「フラれたぐらいで自殺までするなんて弱い」と批判的に語る。
(なお私の高校時代、現代国語の授業で「こころ」(終盤部分のみ)の感想を書かされたことがあるのだが、普段はとても大人しいある女子が「Kは弱い人だと思います」と批判的に書いたことを記憶している)

しかし、当の夏目漱石自身は、では三四郎やK、坊っちゃんやうらなりはどうすればよかったのか・今後はどうすべきかについて、小説中になにも示していない。
それどころか「三四郎」では、高校生時代に一度だけ見かけた可愛い女子の面影をいつまでも引きずっている中年独身男性(広田先生)が登場し、しかもその引きずりを批判的ではなくむしろ綺麗に描いている(またどこかでふれます)。
そして「三四郎」は以下の文で終わる。

三四郎はなんとも答えなかった。ただ口の中で迷羊(ストレイシープ)、迷羊(ストレイシープ)と繰り返した。

4、坊っちゃんと三四郎


ここで坊っちゃんと三四郎を対比するが、ふたりはともに20代前半だが、三四郎が未来を夢見る大学生であるのに対し、坊っちゃんは「物理学校」を卒業して教師に就職した男である。
なので発表年は「三四郎」のほうが後だが、人生の時間軸としては、
三四郎のその後 → 坊っちゃん
と言い得る。

もしそうだとすると、
三四郎 = ストレイシープ = 迷える子羊 のその後、が、
「小供の頃から損ばかりしている」、恋人も異性の友人も親友も仲のよい身内もいない、ちょっとしたトラブルで首をくくることを考え、一か月で仕事を辞めて収入が大幅に下がり、この世で唯一仲が良かった人までも死んでしまった男 = 坊っちゃん
なのである。

これはもう、「坊っちゃん」は、お話の後に自らこの世を去ってしまったのでは、と。

つまり「坊っちゃん」は「坊っちゃんの遺書」。

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